私が妻を亡くしたのは40歳のとき、結婚して11年、妻は33歳の短い生涯を閉じました。
義父を5年前に亡くしたばかりの義母は、一人娘にも先立たれて憔悴しきっておりました。
なので私は、二人の子供をつれて妻の実家に身を寄せました。
孫を可愛がることで生き甲斐を見い出した義母を一人にしたくない、そんな思いだったのですが・・・
ある夜、風呂に入ろうと脱衣所で素っ裸だったところへ義母が入ってきてしまい、モロ出しの陰茎を見られてしまいました。
恥ずかしながら、風呂でオナろうと事前にエロ画像を見てから脱衣所に向かったので、勃起していたのです。
暫くの沈黙の後、義母が、
「そうよね・・・あの子、いなくなっちゃったら不自由するわよね・・・」
そういうと、その場に跪いてフェラで抜いてくれました。
「お義母さん・・・今度、抱かせてくれませんか?」
義母は優しく微笑みました。
翌日、私は禁忌される義理母子セックスをしました。
義父が何度も言い寄って、根負けした形で結婚したほどですから、義母は美人です。
そんな義父が長い間愛用していた大切な義母の淫裂をこじ開けると、灰色の小振りな陰唇が広がり、ピンクの膣口がポッカリ口をあけました。
私が、白髪の下に膨らむ淫核を口をすぼめて水気味にしながら舌で撫でると、
「ハウッ・・・クククウ~」
と快感をこらえ切れずに義母が出したその声が、亡き妻にソックリで泣けてきました。
次第にヌルヌルの液体が流れ出し、義母の腰がカクカク震えだしたので、私は陰茎を生のまま挿入して、美しい義母と一つになりました。
亡き妻よりは若干肉付きがいいのか柔らかな抱き心地で、ゆっくりピストンすると胸が波打ち、お腹が揺れました。
いつも涼しげな眼差しの清楚な雰囲気を漂わす美しい義母が、快楽の波に身を委ね、オンナのヨロコビを享受する様子は、何とも言えず興奮させました。
「アアン、アアン、アン、アン、アン・・・・」
淑女のイメージが崩れていくとき、ああ、義母もオンナだなと再認識したのです。
このとき私41歳、義母57歳、もちろん義母の子宮に精液を注ぎ込みました。
一度関係ができると止まらなくなりました。
私は毎日のように義母を求めるようになりました。
子供部屋は2階、義母の部屋は階段から最も離れた玄関先の客間の更に先ですから、子供達に義母の声を聞かれる心配はほぼありません。
私が夜、義母の部屋に忍び込むのさえ見られなければ済むことです。
義母を抱いて1年くらいすると、私は義母を愛し始めました。
還暦を迎えても義母は若々しく美しく、周囲に驚かれていて、
「本当にお若くて、おきれいでいらっしゃるわ~。もしかして、息子(私)さんに男を感じちゃってたりして~」
などと言われて、ドキッとしたこともあるそうです。
現在私は48歳、義母は64歳になりました。
今でも週3回は義母を抱きますので、この7年間で、義母を抱いた回数は1000回を越えていると思います。
義母も、とても64歳とは思えぬほどセックスが好きで、月に1回はラブホテルへ行き、色んな淫具を使って義母を快感地獄でヘトヘトにさせています。
喘ぎ悶えて身をくねらせて、逝きまくる義母は贅肉が落ち、とても64歳とは思えぬ女体ですし、顔も若々しく本当に美魔女と言えます。
セックスは人間を活き活きとさせるのでしょうか、最近、義母は美しいだけでなく可愛さも出てきたように思います。
私は、還暦を過ぎた女性がセックスをするというイメージがありませんでした。
しかし義母は、今では何の躊躇いも無く義理の息子である私に脚を広げ、灰色の陰唇をめくって膣口と淫核を剥き出しにして淫らな誘いをします。
高3と中3のダブル受験生の孫を持つ64歳のお婆さんが、48歳の男の陰茎を膣に迎え入れ、色気を振りまきながら快楽に乱れるのです。
私と義母の間には、単なる男女の性欲だけでなく、大人の男と女の愛があります。
私は義母を女として愛し、義母も私を男として愛してくれています。
陰茎と膣で一つになり、唇を重ねて舌を絡ませ、義母の子宮に私の遺伝子を注ぐのです。
もう、子孫を残すことは機能的には無理ですが、義母の膣は、愛する男の精液を欲して蠢き、委ねた快楽に目を閉じながら何度も逝くのです。
いつか、義母もその一生を終えてお別れするときがきますが、私を愛してくれた義母に感謝して、穏やかな気持ちでお別れしたいと思います。
そして私も、いつかは妻の元へ行きますが、そのとき、義母を愛したことを、素晴らしい女性を愛したことを誇りに思うと伝えたいと思います。