わたしは今、北海道の苫小牧港に向かうフェリーの甲板にいます。
そこから見下ろすと、フェリーを係留するための太いロープが何人かの作業員によって外されるのが見えます。
その後のほうからエンちゃんが走って来ました。
そして、エンちゃんは岸壁のギリギリまで近づいて大きく手を振っています。
わたしが、楽器を吹くために鍛えた肺活量いっぱいに息を吸い込み
「いってきま〜す。」といって大きく手を振ると、岸壁で手を振っていたエンちゃんから
「いってらっしゃ〜い。」とエンちゃん独特の少し高めの声で返ってきました。
すると、いつのまにかフェリーが動き出していて、だんだん手を振っているエンちゃんが遠くなっていきます。
動き出したフェリーは港の中でグルリと向きを変え、いつかエンちゃんのハチロクで来た沖防波堤の横をすり抜けると、急にフェリーが揺れるようになりました。どうやら港の外へ出たようです。
フェリーの一番後ろで右手が痛いのも忘れて手を振っていたわたしは、エンちゃんどころかフェーリーターミナルの建物が小さくなり見えなくなるまで手を振っていました。
肩が痛くなって我に帰ったわたしはそこでやっと手を振るのをやめました。
手を振るのをやめた瞬間、エンちゃんと本当に離れ離れになっちゃった実感が込み上げてきて、わたしの瞳から取り留めもなく涙が湧き出てきます。
しばらく、フェリーターミナルの方の山の稜線がボンヤリしか見えない水平線の彼方を見てたら、だんだんと涙が乾いてきました。
「何にも見えなくなっちゃった。エンちゃん、もう下宿に帰ったかな?」
なんて思っていると、今になって肩の激痛に気づきました。
「イタタ…これじゃ、明日絶対筋肉痛になっちゃう。エンちゃんもそうかな?」
と思って、甲板から客室に入る鉄の扉を開け、両手で自分のホッペを「パチン」と叩いて気合を入れ直してから2等客室にいるお母さんのところに行きました。すると
「アレ、あんたの顔、ひどいことになってるよ。とりあえずこれで拭いて」とハンドタオルを渡されました。
渡されたタオルを右手に持ち、左ポケットにいつもしまっている手鏡で自分の顔を確かめると、なるほどさっき乾いたと思っていたはずの顔が涙でぐちゃぐちゃになっています。
さっき、気持ちを整理し1年後に向かって歩き出した自分に気合を入れたつもりでしたが、その鏡で見たその涙を見ると、こみ上げてくるものがあって
「お母さん、チョットトイレ」と言って駆け込んだトイレの個室で大泣きしちゃいました。
しばらく泣き続けましたが、泣き疲れてひゃっくりがでてきた頃大分落ち着きました。
そして、わたしは心に決めました。
「次にエンちゃんに逢うまで泣かない」って。
「涙はエンちゃんにあった時のための、嬉し涙に取っておこう」って。
そう心に決めて自分に一区切りできたと思ったら、泣き続けたせいもあり大分お腹が減ってきちゃいました。
そして、トイレの個室から出たわたしは、洗面台の鏡で顔を整えるとお母さんのところへ帰えろうとトイレと通路の境にある敷居みたいなところを跨ごうとしました。
すると急に船が揺れて、ドアの角に頭をぶつけてしまいました。その瞬間、目の奥に火花みたいなものが飛びました。
せっかく涙が乾いたのに別の涙が出てきそうです。
それは、フェリーが陸地から大分離れて北海道に向かっている現れでした。船の奥底から聞こえる「ゴーーー」という低いエンジンの音に混じって、揺れるたびどこからか「ギギギギー」という音も聞こえてきます。
この後、お母さんが準備したお昼を食べて、しばらくこれからについて話をしました。
ここは大広間みたいな2等客室で、この日はあまり混んでなくここ一角は貸切みたいになっています。
ここの時初めてお母さんから知らされたのは、
わたしに、この春中学生になる義理の弟ができるということ。
また、苗字が工藤から早坂に変わること。
義理のお父さんになる人は中学校の先生をしていて、亡くなった前の奥さんも先生だったこと。
今、お母さんは妊娠していて、最近安定期に入ったこと。
ということでした。
妊娠という話はうすうす知ってはいましたが、きちんと聞いたのはこれが初めてです。
この時フェリーは進路を変えるためか時々左右に大きく傾きます。そしてしばらくすると大きく上下に揺れます。沖合で波が高くなってきたみたいです。
昼過ぎに出発したこのフェリーは、この後夜の8時過ぎに苫小牧に到着します。そこで新しい義父さんたちと合流して、会食後一泊してから旭川に向かう予定になっていました。
この後時間とともにフェリーの揺れは更にだんだん大きくなってきて、入れなく前に入ろうということでお母さんと入ったお風呂は、浴槽のお湯が右に左に大波となってあふれています。
とても入っていられるものではありませんでしたが、何かのアトラクションみたいで思い出に残る光景でした。
ハダカのお母さんを改めて見ると、服を着ている時には目立たなかった下っ腹がポッコリ膨らんでおり、そこに赤ちゃんが入っていると思うとなんか不思議です。
そのお母さんはわたしと同じで体毛が極端に薄く脇毛もほどんどありません。もちろんアソコもツルツルです。
後で聞いた話によると、お母さん一族は揃って体毛が薄い家系で、お母さんの従兄弟なんかも修学旅行では大変恥ずかしい思いをしたと話していたと言うのも聞いていました。
わたしは逆に、修学旅行のお風呂場で「うらやましい」と友達から言われていました。時代がかわったのでしょうか?
遺伝って怖いです。この先どこまでその遺伝子が引き継がれるかなんてわたしには知る由もありませんが、その時、わたしの遺伝子とエンちゃんの遺伝子が混ざるとどうなるかチョットだけ心配になっちゃいました。
話がズレてしまいましたが、フェリーが苫小牧に到着すると初めてお逢いする義父さんが出迎えてくれました。
その時初めて逢った義理の弟は、義父さんの後ろに隠れてオドオドしています。そして、義父さんに促されるとふてくされるような小さな声で「シンジ」ですと自己紹介しました。
わたしも「今日からお姉ちゃんになるマコトです。よろしくね」と自己紹介すると、シンジはまた義父さんの後ろへ隠れてしまいました。
しかし、お母さんが自己紹介するとなぜか「お母さ〜ん」と言いながらお母さんに抱きつき、さらにベタベタカラダを触りながら猫撫で声で「逢いたかった〜」なんて言っています。
その時、一瞬わたしの方を見たそのシンジ表情がニヤリとしたのをわたしは見逃しませんでした。
「何これ?もうすぐ中学生になるっていうのに。この幼い子供のような振る舞いは。しかも、あの気持ち悪いあの目。」
この時、何か悪い予感というか気味の悪いものを覚えてしまいました。
この後、ホテルで今まで見たこともない豪華な夕食を囲むと、お腹いっぱい食べてそれぞれの部屋で休むことになりました。
わたしは当然お母さんと一緒の部屋かと思っていたところ、お母さんから
「まだ幼いし、小学生だから、シンジちゃんよろしくね。お姉ちゃん。」と、今日初めて逢ったばかりの義弟と同室で過ごすことになってしまいました。
わたしは凄く不安で仕方がありません。
でも、先ほどお母さんと別れる時に見せたお母さんの表情は、母親の顔から、オンナというかメスの顔に変わっていたように感じ、何も言えませんでした。
その後そのシンジとは一緒にテレビを見ていましたが、特に会話をするわけでもなく、どことなく重い雰囲気が流れています。
夜も遅くなり、シンジが「眠い」と言い始めたので、パジャマに着替えさせ、歯磨きを促がすと、ツインのベットの片側に眠るように言いました。
わたしは、なんかモヤモヤした気分をサッパリさせたっくって、シャワーを浴びてから寝ようと、持ってきた体操着入れから替えの下着を取り出すとシャワーを浴びました。
そして、シャワーを浴びてからパンツとブラジャーを身に付けバスタオルを巻いてベットまで戻ると、読書灯だけになっていて薄暗い部屋の中で見た体操着入れの中の物の配置が心なしか変わっているような違和感を感じました。
その時は暗いせいもあり、気のせいと思ったのですが・・・
そのあと、読書灯を消して眠りにつきましたが、夜遅くになにか人の気配で目が覚めました。
すると、ベットサイドの時計のボンヤリとした明かりの中で、シンジがわたしの体操着入れをガサゴソして、さっきまで着けていた下着を入れた白い洗濯ネットを持ってトイレに行くのが分かりました。
わたしは、急に怖くなりそのトイレのドアまで足音を立てないようにして近づき、聞き耳をたてました。すると・・・
「ママ・・・ママ・・・」という小さな声に混じり、ギシギシという音がします。しかも荒い息遣いとともに何かを擦るような音がしています。
ソレがだんだんと早くなっていき、最後に「ウッ」といってそれがとまると、トイレットペーパーが「ガラガラ〜」と引き出される音に変わりました。
わたしは凄く怖くなって、自分のベットに戻ると頭まで毛布にくるまっていましたが、結局朝まで眠ることはできませんでした。
朝、明るく何頃合いを見て、「う〜ん。」と言って背伸びをして、まさに今起きたように装い、隣で寝ているシンジに「おはよう」と声を掛けましたが無反応です。
そして、わたしの体操着入れををの覗くとヤッパリでした。
その時チョット驚いて「えっ」と小さく声を出してしまいましたが、そのときシンジのカラダが少し「ビクッ」となったのをわたしは見逃しません。
わたしは、更に体操着入れの奥底に無造作に入れられている、洗濯ネットのチャックを開けて中を見てみました。
すると、キチンとたたんで入れたはずのパンツとブラジャーがぐちゃぐちゃになって入っています。
しかも、なんか湿っていて、鼻を近づけるとエンちゃんの精子と同じような栗の花の匂いがしています。しかも、コッチの匂いは、私のカラダが受け付けないような生臭く濃い臭いで吐き気がします。
「なんだこれ?」
「何が、どうすればわたしの下着が精子まみれに?」
「なんで・・・?」
と、最初は状況がつかめませんでしたが、冷静になって考えると、それは結局
「わたしの使用済み下着を使ってオナニーしていた」
こと以外考えられません。
もう、わたしは怖くなったというか、気持ち悪くってどうすることもできません。
お母さんに相談しようとしましたが、朝に「おはよう。よく眠れた?」なんて、清々しい顔で部屋を訪れてきた幸せそうな母さんの顔を見たら言い出すこともできなくなってしまいしました。
この後、特にシンジとは話をすることもなく、みんなでホテルのバイキング朝食を済ませて義父さんのランドクルーザーという大きなクルマで旭川を目指しました。
予定では、午後には旭川へ到着するって言われていましたが、道路標識なんてこの先200kmなんて平気で書いてあるし、途中、早期高速道路の整備を望む期成同盟会の看板が何箇所も建っています。
時折運転席から聞こえる「キンコン・キンコン」という100km/hを超えると鳴る警告音を聞きながら、高速道路なんてなくっても・・・と思いましたが、走っても走っても同じ景色ばかりで、改めて北海道って大きいなと感じた瞬間でした。
途中、どこかも分からない街で昼食をとり、途中2〜3回休憩を挟んでやっとこれから住む家まで到着しました。
ずっと座り続けていた後部座席の座り心地があまり良くなく、お尻が痛くってなっちゃって二つに割れそうなくらいでした。しかも、「グオ〜ガラガラ〜」というディーゼルエンジン特有の音が耳から離れません。
初めて入るその建物は、そこは今まで友達の家とかで見てきた間取りとは全く違っています。
大きい空間に大きいロフトがついて、そのロフトの両端に部屋がありました。新築住宅のチラシでよく見かける間取りを表す記号で言えば、「2LDK」というところでしょうか。
しかし、親と子供の部屋が1つづつしかないその家でのわたしのスペースは義弟との共有空間のみになります。
わたしの部屋となるその部屋に入ると、一つしかないドアを境に簡易的に部屋が左右に仕切られていました。
10畳ほどのその部屋は二分割され、それぞれ5畳弱の場所にベットが1つづあり、わたしの部屋は向かって左側となります。
この左側は、天井が低くなっており天窓が付いています。寝ながら星空が覗けるという夢のような部屋なのですが・・・
その部屋は真ん中にちょっとした物を置く棚みたいな家具が背中合わせになって置いてあり、ソレが仕切となっいるだけでした。
しかもその部屋は、一つしかないドアの前が自由に通り抜けできるようになっており、とてもプライバシーなんてものを配慮した作りではありません。
でも、お母さんとお義父さんは、義弟がまだ幼い小学生ということもありそんなに真剣に考えていないようです。
わたしは、凄く不安です。
昨晩あんなことがあってから、義弟がなにか得体の知れないモノにしか見えなくなっちゃっています。
さらに、わたしの衣類などの身の回りの荷物は事前に宅急便で送ってありましたが、どう見ても一度開封した形跡がありました。
特に、衣類の入ったものは一度全部取り出して、入れ直した痕跡があり、自分のカラダが身ぐるみ剥がされたような感覚となっています。
わたしは、一度人の手で何がされたか分からない下着類はカラダに身につけたくなく、そもそもお姉ちゃんのお下がりがほとんどだったため、ちょっとした作戦を立て実行しました。
翌日、お義父さんと新しく通う高校に転入の手続きに行った帰り道、お義父さんに少し甘えたふりをして
「お義父さん。新しい下着を買って欲しいのですが…。ブラなんて最近きつくなっちゃって…。そのほかもお姉ちゃんのお下がりばっかりだったんで、新しいの欲しいの…。」
「自分で買ったことなくって、どんなの買っていいのか自分じゃ分からないから一緒に選んで欲しいの。お母さんに言うと絶対ダメって言われるから…」
と、ワザと下目使いでお願いしました。
実はこれにはもう一つ目的があって、息子が息子なら親は・・・ということで、その親がどのようなものを選ぶのか知る目的もありました。
普通であれば、恥ずかしくって店員に任せたりすると思います。でも、百歩譲って選んでくれたとしても、それがベーシックなものとすればソレはマトモな親と言えますが、そうでなければ・・・
ということで、転校先の制服を受け取るもの兼ねてデパートに来ています。採寸は元住んでいた街にあった同系列のデパートで行なっており、データを送って仕上げてもらっていました。
制服は一般的なブレザータイプで、学校指定のスカートの丈が膝上5cmという微妙な長さです。
全体的に灰色で、スカートはチェック柄です。また、夏服は同じ柄の薄手のスカートに灰色のブラウスの組み合わせです。
受け取った制服は特に手直しもなくそのまま持ち帰れそうですが、下着売り場に到着した途端義父は
「若い娘の下着選ぶなんて久しぶりだな〜」なんて鼻息を荒くしながらつぶやくと、あれこれブラジャーを物色しています。
わたしが一緒にいなかったら通報されそうな、そんな感じです。
わたしが呆れていると、いつのまにか女性店員がそばにいて「サイズお計りしますね」と言われるまま更衣室で採寸されました。
すると、その店員がちょっと悩んでいます。
「どうかしましたか?」と尋ねると
「カップの大きさが、DとEの微妙なところですのでちょっと困っています。」
「でも、成長期ですのでEにしておきましょう」
ということで、結局「E65」というサイズになりました。
すると義父がしつこくサイズを聞いてきたので、最初は「恥ずかしい」とだけ伝え、相手にしませんでしたが、
「サイズ分からないと選べないだろう」などと、あまりにもしつこいので
「Eの65っていうサイズです」と教えると、鼻をヒクヒクさせて
「そうか〜、Eか〜。大きいとは思っていたけど、ヤッパリEカップか〜」なんてつぶやいています。まるで変態です。
しかもその女性店員から、サイズを間違えると胸の形が悪くなると言われた途端。
「今持っているのは全部捨てさせますんで、1週間分買います」なんて言っています。
さらに、その変態義父が選ぶブラジャーは物凄い派手なハーフカップのもので、とても高校生がつけるようなものではありません。
しかも、この店は日本製ブラの最大手ブランドを主に扱うところですが、「このメーカーがこんなの作っていたんだ」と感心するようなものまでありました。
で、結局どうしても買ってあげたいと駄々をこねたレースの半分透けたようなブラ1つだけは義父の好みを呑みましたが、ソレ以外は、わたしの好きなワイヤー入り3/4カップの普通のもの2つと、体育用のスポーツブラ1つだけ買ってもらいました。
しかも、自分で選ぼうと思っていたパンツも頼んでもいないのに選び始める始末です。
それで、結局ブラとお揃えのレースもの1枚とわたしの好きな水色2枚、それとストライプ柄2枚を買ってもらいました。会計の時、結構な値段がしていましたが義父は嬉しそうです。
その時わたしは「この家の父子は揃いも揃って得体の知れない生き物である」とわたしの中にインプットされました。
ソレから数日は何事もなく過ごしていましたが、新学期が始まってから、家に帰るとわたしの部屋が心なしか物色されていることが度々ありました。
しかも、洗濯機に入れたはずの下着がなくなったと思ったら数日後別の洗濯物に混じっていたり、朝起きると身に付けているブラジャーがずり上がっていたりと、おかしなことが起きるようになってきました。
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この頃、3年生になって転校してきたこんなわたしでも暖かく向かい入れてくれた吹奏楽部に感謝しながら、部活の方もスタートしていました。
吹奏楽部は、7月に全国吹奏楽コンクールの支部大会があり、夏休み中の8月に定期演奏会をやって、その活動の殆どが終わって、その後3年生にとっては進学や就職に向けた期間となります。
わたしが転校前に所属していた吹奏楽部は、過去数回全国大会まで出場したことのあるそれなりの大所帯な部活で、秋以降も訪問演奏や秋祭りなどのイベントにも招待されるような部活でした。
しかし、ここの吹奏楽部は人数も総勢20名足らずでどう見ても数が足りません。そこで、わたしは本職であるユーフォニュームのほか、トロンボーンという楽器とチューバというとても大きな金管楽器を掛け持ちすることになりました。
前の学校では野球がそこそこ強く、野球応援ではトロンボーンを吹いていたので問題はなかったのですが、小さなカラダのわたしにとって、そのチューバという楽器は相当手強いものでした。
しかも、合奏をまとめるコンダクターにも抜擢され、毎日充実していましたが、慣れない環境も相まってクタクタでした。
今回、わたしが吹いているユーフォニュームという楽器は、この春学校で購入したヤマハの新品です。新しいので、ピストンのアタリも付いておらず吹きにくいうえ、前の学校で吹いていた3本ピストンのものと違い4本ピストンです。
わたしは手が小さいので、小指で押す4番ピストンがうまく届かず、結局3本ピストンの指使いで楽器を吹いています。
でも、こんな転校生に新しい楽器を預けてくれた低音パートのみんなには、こんな愚痴なんて口が裂けても言えません。
また、知っている人も多いと思いますが吹奏楽部に休日はありません。しかも、今は春休み中に決めてあった課題曲と自由曲のの練習をしています。さらには、3年生の中では定期演奏会の曲選びなどしていてとにかく忙しいです。
でも、嫌いじゃありません。コレ。
こんな忙しい毎日でしたが、気がまぎれるというか余計なことを考える暇もなく毎日過吹奏楽に没頭していました。
そして迎えた7月のコンクールの支部大会では、創部以来はじめての金賞を受賞して盛り上がっています。
「道大会が定期演奏会と被るけどどうする〜」なんて会話が飛び交っていましたが、我が高校は道大会には推薦されず、結局「ダメ金」という結果でした。
でも、ダメ金だろうが金は金です。来年のコンクールは下級生に託して、3年生は残された定期演奏会に向かうだけです。
コンクールの会場を後にする時、下級生から「マコト先輩、来年も指導に来てくれるんですよね」と言われましたが
「もちろんだよ〜」とは答えたものの、すごく心苦しいものがありました。
それは、来年わたしはエンちゃんの元に戻っていて、ここに居ないはずです。こんなに良くしてくれている部活のみんなを裏切るみたいですごく申し訳ない気分でいっぱいでした。
そんな時、心配しているはずのエンちゃんに、わたしの近況を知らせるための手紙を書きました。
それは、あえて部活のことだけを書いたもので、新しい家族の事とかはいっさい書かず、エンちゃんが心配しそうなことには触れないどうでもい近況報告みたいなものでした。
最初は、この気持ち悪い家族のことや自分の身が心配などの相談事も書きましたが、エンちゃんに心配をかけたり、心配になってこっちまで来ちゃったりすると思ったので、そういう文面は全部消しちゃいました。
また、「絶対戻るから待ってて」てなんてことは、エンちゃんを縛るつけるだけなので、これも書きませんでした。
例え、エンちゃんが待ちきれずに別の彼女をつくっちゃたとしても仕方がありません。それは待たせているわたしの責任だからです。
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そして、部活に没頭した高校生活がまもなく夏休みに入ろうかとしたその日のことです。
その日は朝からお母さんの体調が思わしくなく、お母さんはベットから起きてきませんでした。
仕方なくトースターでパンを焼いて朝食をすませ学校に向かいました。昼も購買部で買った食パンを食べ、部活では定期演奏会の舞台構成など話し合ってから家へ帰ると、母さんがパジャマのまま車に乗せられ病院に向かうところでした。
その時母さんは「切迫かもしれないから一応ね。」と言い残し病院へ行きました。
出発間際に「遅くなるかも知れないから、適当に何か食べてね。万が一朝まで戻らなかったら、戸締りだけよろしくね。」と言っていましたが心配です。
もちろん母さんのことももちろん心配ですが、義弟のシンジと二人きりの今晩は自分の身の心配もしなければなりません。
比較的生理の重いわたしは、生理の2〜3日前になるとお腹がモヤモヤして食欲が無くなります。逆に直前になると食欲旺盛になるのですが、今日はそのモヤモヤの日です。
夕食なんて食べたくないところでしたが、シンジためにスパゲティーを作ったので、仕方なくわたしも付き合い夕食を済ませました。
そして、お風呂から上がって自分の部屋の勉強机で定期演奏会で演奏する曲の譜面を見ながら、楽器を吹くイメトレをしていました。
すると、その時珍しくシンジが「コレ」と言ってコップにカルピスを持ってきました。
風呂上がりでちょうど喉が渇いていたわたしは「ありがと」と言って、何の疑問も持たずそのカルピスを一気に飲み干しました。
それからどれくらい時間が経ったか分かりませんが、急に物凄い眠気に襲われて、このままだと机で寝てしまうと思い、やっとの事でベットまでたどり着くとそのまま寝ていました。
しばらくすると、わたしの夢にエンちゃんが出てきました。
そのエンちゃんは、バンザイの格好で寝ているわたしの着ているTシャツの裾から手を入れて、ブラジャーの上から胸を揉んでいます。
「エンちゃん。そんなことしなくたって・・・服脱ぐまで我慢できないの?」
と思った時、寝ているわたしのTシャツをすそからめくって、頭までずり上げました。
その次に、ズボンとパンツを一緒に脱がそうとしています。
この時わたしは、脱がされる時お尻を浮かして脱ぎやすいようにすると、スルリと下半身がハダカになります。
わたしのカラダにはブラジャーだけが残っています。
するとエンちゃんは、わたしの背中に手を回してブラジャーを外そうとしますが全く外れません。
すると、それを諦め今度はそのブラジャーを上にずらして胸を揉みだし、乳首をチューチュー吸っています。
生理前でオッパイが張っているのでもうちょっと優しくして欲しいところです。でもなんか、乳首が固くなっちゃいました。
チョットくすぐったいです。
すると、今度は指でアソコを触ろうとしています。でも、いつものエンちゃんとはなんか違うような感じです。
わたしは触りやすいように脚を広げました。すると、今度は指を入れてきました。まだあんまり濡れていないのに。
しかも、なんか触り方がガサツでチョット痛いです。
そして、今度は脚をさらに広げるとカラダをそこに割り込ませてきました。
いつものエンちゃんならこの後ユックリ舐めてくれるのに…。
すると、わたしのアソコに何か硬いものを擦り付て、それが終わるとその先端を入れようとしています。
でも、ソレは場所が違うというか的外れの上の方を突いているような感じです。
しかも、入れようを力を入れるとつるりと滑って中々入れることができなくって、なんか焦っているような感じです。
「もうちょっと下だよエンちゃん、今日は調子が悪いね」なんて夢の中で問いかけると、足を持ち上げられた瞬間その硬い先端がわたしの中にグリグリと入ってきました。
「イタタタ。エンちゃん。チョット痛いよ。」なんて夢の中でエンちゃんに伝えますが、ソレは止まりません。
そして、わたしのカラダに抱きつきながらハーハー言って腰を打ち付けてきます。
濡れていなかった私のソレから痛みが伝わってきます。
夢の中で「痛いよエンちゃん。チョット待って。」と問いかけますがそれは止まりません。
腰が打ち付けられるたびわたしの胸が揺れるのが分かります。
しかも、その抱かれているはずのエンちゃんの匂いは、あの大好きなエンちゃんのものではありません。
そしてその動きがだんだん早くなってきて、腰を叩きつけるようなパンパンパンパンという音が聞こえてきて、
わたしのあそこから痛みが伝わってきて、耐えきれなくたってきた頃
「ママ。もうボク・・・もう」と聞こえたところで私の目が覚めました。
そのときわたしは、口を粘着テープで塞がれ、来ていたTシャツで巾着のように頭を覆われていて何も見えません、しかも手首まで何かで縛られています。
そのような状況下、叫ぼうにも「ムー。ムー。」としか声が出せず、頭から汗がドバーッと出てくるのが分かります。
しかも、わたしの股間を突き上げるような動きが止まらないそのカラダを足で蹴ろうとしますが、腰をガッシリ掴まれておりわたしの足が空を切るのが分かります。
手首が縛られた手でその頭を叩きますが全く効いてくれません。
そして最悪なことに、その下から突き上げるような動きがますます早くなってきて、やがてそれが急に止まって「ウッ、ア〜」と言ったかと思うと、そのカラダがブルっと震えました。
わたしはその瞬間偶然口の粘着テープが剥がれ「キャーーーーーーー」と叫びながら、火事場の馬鹿チカラでわたしにのしかかっていたソレを蹴飛ばしカラダを起こすと、わたしの顔にかかっていたTシャツがズレ落ちました。
そこで目にしたのは、蹴飛ばされたシンジが白い液体を発射しながらベットから転がり落ちる瞬間でした。その飛び散った白い液体が、わたしのおデコと胸にも飛んできました。
そして自分のアソコを見ると、白い液体が流れ出ています。そしてソレを粘着テープで縛らている手をねじるようにして恐る恐る触ると、そのその指にべっとり白い液体が付いています。
無意識にソレを触った自分の手を見ようと手を持ち上げた瞬間、ソレが指の間から糸を引いてシーツまで滴り落ちました。
それを見た瞬間「イヤーーーーーーーー」と叫びましたが、時既に遅しです。
わたしは、義弟に犯されてしまったのです。
しかも、最悪なことに中に出されてしまったのです。
「エンちゃんゴメン。わたし汚されちゃった。エンちゃん以外の遺伝子、わたしのカラダに入っちゃった。」
「こんなことになっちゃって・・・わたし、これからどうすれば・・・」
というところで、玄関の方からバタバタと足音が聞こえてきて、さらに階段を駆け上ってきます。
そして、部屋のドアが勢いよく開くと「どうした?」と言ったのは義父でした。
ベットの脇で下半身裸で呆然としているシンジと、ベット上で手首を縛られ、クビにTシャツが巻きつき、更にブラジャーがずり上がった状態で泣いているわたし。
エンちゃんと再会した時のために取っておいた涙が、こんな事でドンドン溢れて頬を伝っています。
義父はシンジに駆け寄り
「オマエ、お姉ちゃんに何をした!」と一発殴りました。
するとシンジは、ほっぺたを抑えながら小さな声で「お父さんが前に中学生にしていたこと」と言い始めました。しかも、続けて
「ボク知ってるんだよ。お父さんが学校の生徒連れてきて、お父さんの部屋でやってたこと。」
「お父さん幼いのが好きなんでしょ。毛がないのが好きなんでしょ。毛が生えてきたら怒ったよね。」
「そして、髭剃りで剃ってたよね。」
「いろんなことして、いろんな格好させて、写真とかビデオとかいっぱい撮ってたのも知ってるよ。」
「ボク、いつもクローゼットの中から見ていたから知ってるんだよ。」
「そして、ボクが本当のお母さんにそれを言ったら、お父さんがいない時、ボクにね、お父さんが撮ったビデオ見せながら、お父さんがやっているコトと同じことさせるんだよ。そして、最後にはいつも、いっぱい出たね。頑張ったね。って誉めてくれたんだよ。」
そして「マコトも毛がなかってけど・・・・でも処女じゃなかった」ボソッと言いだしました。
義父が「なに?もう一回言ってみろ」と声を荒げました。
するとシンジも声を荒げ「だから、マコトは処女じゃなかったって言ってるんだよ。だって、血が出なかったんだよ。」
「お父さんが連れてきた生徒は、一番最初のとき血がたくさん出てた。父さん、オマエの処女は先生がもらったって嬉しそうに言ってたでしょ!」
わたしの心配なんて全くないそのやり取りに嫌気が差し、吐き気さえおぼえました。
そしてわたしは思わず「もう、やめてーーーーーーー」と叫んでいました。
すると、「マコちゃんには申し訳ないことをしてしまった。すまない。こんな親子で。申し訳ない。」
そして「今シンジが言ったことは母さんに黙っていてほしい」
とだけ言い残し、義父はシンジの襟首をグッと掴んで部屋から連れ出しました。
こんなこと言えるはずがありません。今それを言ったら母さんとお腹の赤ちゃんを路頭に迷わすことになりかねません。
そこへお母さんが息を切らせながら階段を上がってきて、ハダカで泣いているわたしの顔を見るなり
「マコト何があったの、どうしちゃったの?」
わたしはお母さんにすがりつき
「お母さん、ごめんなさい。わたし…犯されちゃった。」
「なんか急に凄く眠くなって寝ちゃってて、気がついたらこうなってて…」
と伝えると、お母さんはしゃがんでわたし手首に巻かれた粘着テープを剥がし、更にカラダのあちこちに付いた白い液体をティッシュで拭き取り、最後に股間をティッシュで吹きながら
「マコト。これから病院いくよ。」
「ごめんなさい。これ、お母さんの責任だね。シンジくんこないだまで小学生かと思って甘く見てた。考えてみれば、今は立派な中学生だもんね」
すると、机の上にあったコップを見て、
「マコト、アンタ睡眠薬飲まされたんだよ。前のお母さんが処方されてた睡眠薬が、キッチンの薬箱にたくさん入ってた……捨てときゃよかった」
と言いながら、わたしの首に巻き付いていた黄色味かかった白い液が付いているTシャツとブラジャーを一旦脱がし、椅子にかけてあったシャツだけを着せ、ノーパンのままのわたしに適当なスカートを履かせ、さらにパーカーを羽織わせました。
母さんが、タンスを開けガサガサしている時、自分自身が今どんな格好になっているのか姿見で見ると、生理の時によく履く黒い膝丈スカートに、学校の体育祭の時にクラス対抗戦のために作ったクラスお揃いのTシャツでした。
その盛り上がった胸の膨らみの部分に「3年1組」と、クラスのみんなで考えたロゴが大きく書いてあります。
そして、母さんがタンスから適当なパンツを取り出し自分の上着のポケットにしまうと、のっしのっしと階段を降り、リビングの電話から
「先ほど伺った早坂です。今度は娘連れて行きますので、チョット開けてて欲しいんですが。はい。はい。わたしはもう大丈夫です。チョット緊急なんで。はい。はい。そうです。あっ、裏口にですね。先生ありがとうございます。では、のちほど」
という会話が聞こえました。どうやら、先ほど行った産婦人科の先生に電話をしていたようです。
すると、大きい声で「アナタ〜。マコトを病院連れて行くから。シンジ君のことは帰ってきてからにするから」と、2階の部屋にいる義父に声を掛けて、わたしをランドクルーザーの後部座席に押し込み、
「病院行くよ。こればっかりは時間との勝負だからね」と言ってアクセルを踏むお母さんのズボンはパジャマのままです。
現代では、こういう時「アフターピル」などで対応するかもしれませんが、この時代にはそれがあったのかどうかも分かりません。避妊薬としてのピルも知名度は低く、知っている人でも「アレは副作用が大きい」として敬遠されてた。そんな時代です。
しかし強姦されてしまった場合、妊娠の他にも性病やいろんな病気の心配もあるので、事後の診察は必須です。
病院に着くと母さんは病院の裏口に車をつけ、ドアの脇にあるインターホンで何か言っています。
そして出てきた看護婦さんが母さんに「お体大丈夫ですか?」と声をかけ、その看護婦さんがわたしを抱えるようにしてそのドアから病院へ入りました。
すると、すぐ隣にあるカーテンで仕切られた部屋に入れられて、そこにあった初めて見るような診察台に寝かせられると、ふくろはぎを変な台にのせられ脚を開いた状態で固定されました。
するとカーテンの外で男の人が「まず洗って。」と看護婦に指示しています。
すると看護婦さんがカーテンの中に入ってきて、お尻の下にバケツみたいなものをセットすると、どこからかホースみたいなものを引っ張り出し、温度を確認しています。
するとわたしのアソコに生ぬるいお湯がかけられ、洗われているのがわかりました。
そして、わたしの腰にカーテンがかけられ、自分の下半身が見えなくなったところで先生が入ってきました。
するとその先生は「早坂さん。わたしは一度もアナタの顔を見ていません。ですから街で出逢っても分かりません。」
「安心してください。私たちには守秘義務がありますので、このことは一切口外されません。」
「人に見られるのは凄く嫌だとは思いますが、これだけはあなたを守るのに必要なコトです。処置を誤って一生残るような傷が残ってしまったり、妊娠してしまってはあなたのこれからの人生がめちゃくちゃになってしまいます。」
「だから、少しだけ我慢してください・・・」
「これから、アナタのカラダの中を調べさせてもらいます。ちょっとした器具も使いますので、違和感があるかもしれませんが、我慢できなかったら言ってください。」
「では始めます」
と伝えられた直後、なにか金属がカチャカチャ音がしたかと思うと、私のアソコに少し冷たいものが入れられたのが分かります。
そして「ちょっと広げますね」と看護婦さんの声がかかると、わたしのアソコが広がりました。
すると、わたしのアソコが何か道具のようなもので触られて、わたしのわからない専門用語が飛び交います。
そして、「一応、検体の方も採取しておきますね」と看護婦から声がかけられました。
「検体?それって、わたしの中に出されたシンジの精子のことだよね。でも、それってわたしの体液と混ざっているよね?」と考えると、そんなものは即刻捨てて欲しかったのですが、「今後のこともある」とのことだったので仕方ないと諦めました。
検体が採取されている最中、看護婦さんが手首に内出血が起きているわたしの手を握りしめて、
「痛かったでしょう?つらかったでしょう?。中には、こうなってしまっても病院にすら来れない方もたくさんいらっしゃいます。キチンと処置しますので安心してください。」と声をかけてくれました。
それが一段落すると、「看護婦さんが、今度は中洗いますね」といって、わたしのアソコの中にお湯が入れられます。時々ピリピリして凄く嫌な感じです。できればこんな感じは一生思い出したくないです。
その次に、「ちょっと中触りますね」と声がかかり、わたしの中に多分先生の指かと思うのですがそれが入ってきて、あちこち押し始めました。そして先生から
「どこか痛いところありませんか?」
「この辺痛くないですか?」
と聞かれ、その辺がピリピリしたので
「その辺、ちょっと痛いです。」と答えると、再びライトを当てて覗いているようです。
わたしの上半身と下半身を隔てているカーテン越しに、先生の持っているライトの光が動いているのが分かります。
すると「ちょっと炎症が起きています。念のためお薬出しておきますね。」と看護婦さんが言った直後、先生の声で
「早坂さん。不幸中の幸いです。こんな不幸な事に巻き込まれた女性の中には、一生残るような痕跡ができてしまう女性も少なくありません。」
「でも、あなたの場合それがない。全く綺麗な患部ですよ。安心してください。」
と言って、わたしのアソコから器具をカチャカチャと取り去りカーテンから出て行くのが分かりました。
そして、カーテンの外で「ちょっとお母さん。話があるので…」と言いながらお母さんを部屋の外に連れ出して行きました。
そして、看護婦さんににカラダを拭かれ、「これ、お母さんからです」と渡されたパンツは、いつか義父が買ってくれたレースの半分透けたようなものでした。
それにナプキンを当て仕方なく履きましたが、アルコールみたいなもので拭かれた直後ということもあり、局部がとてもスースーしています。
この後、病院の青いガウンを着せられたわたしは、経過観察という理由で1週間入院する事となりました。
これは、わたしの精神状態が不安定だった事と、住環境が整っていない事。
それと、家に帰ればあのシンジがそこにいるという事も理由のひとつでした。
もう少しで1学期の終業式でしたが、夏休みの最後に定期演奏会を控えたこの時期に楽器が吹けないのはもの凄い痛手です。
しかも、それより心配だったのはわたし自身が、抜け殻になってしまっている事でした。
その時のわたしについてはあまり覚えていませんが、受け答えがおぼろになっていて、何を聞いたも「はあ」「はあ」としか答えず、分かっているのか分からないのさえ分からない状況だったそうです。
ただ覚えているのは、入院中個室にいても、トイレに行くにしても、お風呂に入るにしても必ず誰かがそばにいたというコトでした。
それは看護婦さんだったり、お母さんだったり。
病室は個室だったのですが、いつも「ナースステーション手狭になっちゃって。ちょっと場所借りますねー」といって、いつも看護婦さんが小さい机で事務作業をしていました。
あとで分かったのですが、これはわたしが変な気を起こしちゃうんじゃないかって心配してのことでした。
事件から3日後に生理が来て少し安心はしましたが、正直、この頃「自分の命を絶つコト」を真剣に考えたこともありました。
しかし不安になるだけなので、とりあえずその時は「先のことは何も考えない」ようにして過ごしていました。
また、産婦人科に入院しているという事が知れ渡ると、誰しも何があったのか疑うのは仕方がありません。
そこで、病院の先生が卵巣にできた良性腫瘍の治療ということにしてくれて、噂が広がる前にお母さんを通じて積極的に学校や部活のみんなに周知してくれました。
そして、ようやく精神状態が安定した頃お見舞いに来てくれたクラスメイトや部活のみんなに対して、病院側で子宮頸がん予防の講習を開いてくれたりして、婦人病についていろいろ教えてくれました。
この後看護婦さんから「こんな機会滅多にないから凄くありがたいって先生が感謝していましたよ。」と伝えられました。
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まもなく退院するという頃、わたしは凄く不安になっていました。
この先何も考えないという期限が、退院により切れそうになっているからです。
あの家に帰ればあのシンジがいる。あの義父もいる。そしてなによりプライバシーのかけらもないあの部屋がある。
果たしてそんなところで生活できるのか。
わたし自身がそれを受け入れることはできるのか。
そして、病院が消灯となる9時を過ぎてから、眠れないベットの上でひとり自分の命を絶つコトを考えてしまうようになっていました。
そして、いよいよ明日退院という日の夜一つの結論に達しました。
それは、「せめて、みんなで頑張ってきた定期演奏会までは頑張って生きよう」と。
そして退院の日、看護婦さんに見送られながら、お腹の大きくなってきたお母さんの運転するランドクルーザーで家に帰り、吐き気を覚えながら自分の部屋まで来ると、そこには・・・
プライバシーを保つことのできなかったわたしの部屋には鍵付きのキチンとしたドアが付いており、簡易的に家具で仕切られた部屋の仕切りはキチンとした壁になっていました。
反対側のシンジの部屋は逆にドアが取り外され、カーテンのみの簡易的なものに変わっていました。
ここ1週間で、突貫的に建築工事が行われたようです。
しかも、シンジの体液が飛び散ったカーペットと布団なんかも新調され、更にカーテンまで変わっており、まるで別の部屋みたいになっていました。
そこで母さんが、「ごめんね。これ母さんの好みで変えちゃったの。母さんがマコトぐらいな年に『こんな部屋が欲しかったな』って思っていた部屋を再現してみたの。」
「予算が青天井だっていう事だったからね。」と義父の方をちらっとみながら話しました。
その時、「お母さん、ありがとう」といってお母さんには抱きついて感謝しましたが、とても義父に対してはそんな気持ちになれませんでした。
気になるあのシンジは、あのことがあってから部屋に引きこもっているそうです。
父子ケンカの末、急遽引きこもり対策としてシンジの部屋にはドアがつけられなかったと聞きました。
その後久し振りにお母さんとお風呂に入りました。
お母さんのお腹はさらに大きくなっていました。その時お母さんは自分のお腹をさすりながら
「この子女の子なんだって。お母さんって、女の子しか産めないのかな〜」なんてため息ついています。どうやら男の子が産みたかったようです。
そして、わたしのカラダを丁寧に洗いながら
「マコトのカラダって本当に綺麗ね。最近よく見てなかったけど、シミひとつなくって、こんなに白かったっけ?といいながら、泡をいっぱいつけて洗ってくれました。
こんな丁寧にカラダを触られたのはエンちゃん以来です。
お母さんはわたしのカラダを洗いながら、
「こんなに綺麗なカラダなのに…」と言ったきりお母さんは黙ってしまいました。
そして「大好きなエンちゃんにちゃんにもらってもらうんだよ。」とお尻をパチンと叩きました。そして
「あんな事になっちゃったけど、エンちゃんならきっと分かってくれるから・・・。」
「マコト…ゴメンね。こんな事になっちゃって。お母さんが無理に連れて来たばっかりに・・・」
「マコトのいう通り、お姉ちゃんのところに置いてくればよかった。お母さん。一生の不覚。」と言ってその手が止まり、その大きなお腹のカラダでわたしに抱きついて泣いています。
そこでわたしはお母さんを安心させるため半分嘘をつきました。
「もう大丈夫だよ。わたしこう見えても強いんだから。エンちゃんにだってキチンとはなせるから。もう、大丈夫……(定期演奏会までは…)」
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定期演奏会は、お盆を過ぎた後の夏休みの最終週に予定されています。
今年は地区大会で金賞を受賞したという事で保護者会が頑張ってくれ、前日に本番と同じ会場をリハーサルで使えるように計らってくれました。本当に感謝です。
部活に復帰してからわたしは、遅れを取り戻すべく猛練習を重ねていました。
これが自分の短い生涯の集大成だと心に決めていたからです。
久し振りに楽器を吹いているので、マウスピースにあたる部分の唇が赤くなり、さらには痛くなって来ました。
そのなかで、わたしが入院中演奏が決まったという曲の譜面を渡され、それの練習に取り組んでいました。
「マコトなら初見で大丈夫でしょ」と言って渡されたその譜面にわたしは何か違和感を感じていました。
今でこそ知名度があるユーフォニアムという楽器は、当時バリトンとかユーフォニュームと呼ばれていました。
当時としては基本的に低音のみを担当する楽器で、まず演奏が表に出ない楽器です。
つまり、メロディーにあまり縁のない非常に目立たない楽器と言えます。
しかし、渡された譜面をみると曲の冒頭4小節全てが旋律、つまり全てメロディーなのです。
そしてリハーサルの日、久しぶりにコンダクターとして指揮棒を振る時に渡されたスコア(指揮者用の全パートの譜面が並んでいるもの)を見てビックリしました。
それは、わたしの担当するEuph(1)と書いてある五線譜以外の他のパートの五線譜に音符が付いていない事にです。
それは、わたしがその曲の冒頭4章節分をソロで吹くということなのです。
そして、その曲の全体合わせの時、その曲が始まっても誰一人音を出している人はいません。
わたし一人が指揮棒を振っているだけの静寂の時間が流れます。
そして、その4小節分の指揮棒が振り終わると徐々に低音楽器から音が出始め最後にはで全体で音が奏でられ終演を迎えるというものでした。
それはまるで、わたしのために組み立てられたその合奏を聞いたわたしは、指揮棒を振りながら号泣していました。
なんて優しい部員たちなんでしょう。途中から加わったわたしなんかになんでここまで優しくしてくれるのでしょう。もう、感激という言葉しかありませんでした。
そして迎えた本番当日。
本番は、指揮を市内で活動する吹奏楽団にお願いしています。前に数回合奏で指揮をお願いしていたので心配はしていませんでしたが、今は自分のソロが一番心配です。
演奏会は2部構成になっており、前半がクラシック、後半はアニメソングを含むポップス系になっています。
その中で、わたしのソロのあるクラシック曲は第1部の最後の曲です。
そして、いよいよその曲が始まろうとしています。
指揮者は、わたしの目を見て目で合図します。
わたしが、いま両手で構えているユーフォニュームの「YAMAHA」と刻んであるピストンを全て試し押しして目で合図しました。
そして指揮棒が上がった瞬間、打合せでは何も言っていなかった照明が一瞬全て落ちて、そして指揮者とわたしのみにスポットライトが当てられます。
チョットビックリしましたがわたしは予定どおり立ち上がり楽器に息を吹き込みます。
暗くて譜面がよく見えません。しかし、わたしの指が譜面を覚えています。
この時すごく緊張しました。音程を安定させる部分で息が震えてビブラートになってしまったりしましたが、落ち着いてくるとわたしの音が客席に跳ね返ってチョット遅れて聞こえて来るのが分かりました。
このとき、「吹奏楽をやっていてよかった。この仲間で良かったと」思った頃わたしのソロがおわりました。
そして、頭を下げた時に客席から大きな拍手をもらい、わたしの後を引き継いだみんなの音に隠れて大泣きしてしまいました。
その後の第2部では、ポップスでトロンボーン、アニメソングではチューバを吹いたり忙しくも楽しい時間が過ぎ、アンコール演奏が終わった後わたしたち3年生はみんなで泣いていました。
吹奏楽部というのは、高校卒業後続ける率がとても低く、御多分に漏れず部員全員が全く違う道に進む予定です。
そうです。これが終わればもう大好きだった楽器と触れあうことも、合奏もできなくなってしまうのでその決別にみんな泣いているのです。
しかし、ここでわたし一人がソレにも増して違う理由も含めて泣いていました。
それは、吹奏楽という部活だったり、仲間だったり、お母さんだったり、エンちゃんとの別れを決心しているからです。
そして、会場の観客の皆さんがはけた後、みんな舞台の中央に集まって、自分の楽器をもって保護者の方に写真を撮ってもらいました。
しかもわたしは、その中央に集まった3年生のさらにセンターのど真ん中で撮影されました。
その写真は、舞台照明によりわたしのユーフォニュームにキラキラ輝いていて、とても思い出に残る写真です。
そして定期演奏会が終わるとわたしは自分の身辺整理を始めました。
そして、わたしがいなくなった後、困らないように持ち物の置き場所が分かるものまで準備しました。
そして、わたしが自分と決別するために選んだ方法は睡眠薬でした。
以前、お母さんがたくさんあった睡眠薬を全て処分したと言っていましたが、定期演奏会の直前、生理がキツくて鎮痛剤を探していた時偶然見つけた別の睡眠薬を大量に確保していました。
そして、その決行場所はわたしが犯されたベットの上と決めています。
そんな時、エンちゃんから一通の手紙が届きました。
それは特に何かあったという内容ではなく、ごく普通のどうでもいいような日常を報告するような内容です。
お盆に汗だくになってハチロクのエンジンを載せ替えたとか
そのハチロクを調整のため義父さんに預けたところ、なかなか返してもらえないとか
バスガイドの女子寮に灯油の配達に行って、給油の時に壁越しに誰かがシャワー浴びてて緊張したなんてことも書いてありました。
そこでわたしも、定期演奏会で緊張したことなど何気ない平凡な部活での出来事を綴って、あの集合写真を同封して送りました。
でも、あのソロを吹かせてもらった時の緊張感は聞いてもらいたくていっぱい書いちゃいました。
エンちゃん宛てに書いた手紙を近所のポストに投函した後、自分の部屋に戻って勉強机に座りながらエンちゃんから届いた手紙を何回も何回も読みかえし、エンちゃんとの思い出に浸っていました。
すると、そこでうたた寝してしまったわたしの夢にエンちゃんが出てきました。
そのエンちゃんが出てきた場面は、3月にフェリー埠頭で交わした最後の会話の場面です。
「マコちゃん。死んじゃダメだよ。何があっても…。」
「死んじゃったら、マコちゃんと一緒になる僕の夢が叶わなくなっちゃうから・・・」といって、その夢の中のエンちゃんが泣いています。
さらに、その夢の中のエンちゃんはわたしの両腕を掴んで
「僕ね、もうあんな辛い思いはしたくないんだ。自分の愛する人が死んでしまう。あんな絶望は二度と味わいたくないんだ。」
と、鼻水を垂らしながら訴えています。
そこで、船を漕いでいたわたしの頭が本棚にぶつかり目が覚めました。
そうです。わたしもエンちゃん1年後再会してもう一度告白すると約束もしています。
しかも、わたしが死んでしまったら、前の彼女が亡くなってしまった時のように再びエンちゃんを苦しめることになります。
さらにエンちゃんにまた辛い思いをさせたうえ、平凡な日常をめちゃくちゃにしてしまうかもしれません。
そこでわたしは決心しました。
とにかく生きてやります。わたしはとにかく生きてやります。
エンちゃんに逢ったら、全部包み隠さずわたしの身に起こった事を話そうと思います。
エンちゃんさえ辛い思いをしなければ、わたしは捨てられても構いません・・・。
そう思ったわたしは、その決別の日に向けて書いた置き手紙と沢山の睡眠薬を全部庭で焼き棄てました。
そしてその瞬間、
今までの自分でない自分に生まれかわった。心の中にあったしこりがとけたような・・・
そして、肩の荷がおりたそんな感じかしました。
ありがとうエンちゃん。それとエンちゃんの亡くなってしまった彼女。その悲しい出来事がなたったとすればわたしは思いとどまることはできなかったでしょう。
そして、次の目標をエンちゃんと再会する瞬間に定め、あたらしいマコトは再出発しました。(終)