もう何年も前のは話だけど、ボクの命よりも大切な女性2人の話を聞いてくれるかな。
その日、いつもは通ることのない近所の公園を通って帰ろうとしたら、おさげ髪にセーラー服姿の女の子が同じ制服を身に纏った女子と詰め襟の男子数名にいじめられていた。
周りが囃し立てて、最初は言葉でからかっているだけだったのが段々とエスカレートしてきて、男子が女の子からカバンを取り上げるとパスをまわすようにして楽しんでいた。
「返して・・・」
女の子が小声で言ってたけど、そんな風に声を上げれば上げるほど男子陣は面白がって、嫌がらせを続けた。
◯学生ぐらいまでは、ボクもどちらかというといじめられっ子だったので、ついパスが回ったカバンをインターセプトして、
「おい、お前ら、なにやってんだ?」
と凄んでしまった。
「誰だよ、お前」
とイキがって言い返してきたヤツがいたけれど、睨みを利かせて、
「コイツのアニキだ」
とはったりをかましてやると、奴等は明らかに怯んだ様子を見せて、顔を見合わせるとバツが悪そうにその場を離れていった。
もともといじめられていた方だから、ホントは喧嘩なんかした事はないのだけれど、甘いマスクのイケ面ではないのが少しは幸いしたようだ。
「どうも、すみません」
2人で後に残されると、女の子がボクに頭を下げてきた。
「いつも黙っているから、ああいう奴等が図に乗るんだよ」
ボクはカバンを手渡してやりながら、女の子を改めて見てみると”ああ、いじめられても仕方ないな”と思ってしまった。
だいたいいじめられやすいタイプというのは、いかにもイケてないダサい感じのやつか自信のないヤツ、何を言われても反撃しない引っ込み思案なヤツと相場が決まっている。
最近ではその傾向も変わりつつあると聞くが、昔はそんなところだった。
女の子はこれらの条件にほとんど当てはまっていた。
「お前さ、そうやって背中丸めて自信なさそうに歩いているからああいう奴らがチョッカイを出したくなるんだよ」
“ああ、余計なお世話をしているなぁ・・・”
そう思ったけど、つい言ってしまった。
「だって・・・」
「だって、何だよ」
「ホントに自信ないんですもの・・・」
「何が?」
「全部です」
「例えば?」
「運動音痴だし、勉強もできないし、見た目も悪いし・・・」
全てが中学時代のボクと同じだった。
中学のころ、大した不良でもないくせにちょっとだけ悪ぶっている奴らにボクはよく体育館裏に呼び出されて容姿をからかわれたり小突かれたり、なけなしのお小遣いを巻き上げられたりして憂鬱な毎日を送っていた。
トイレの個室に逃げ込んでも上からホースで水を掛けられたり濡れた雑巾を投げ込まれたりして、お決まりの嫌がらせが続き、毎日が本当に苦痛だった。
ところがある日、ボクはたまたま数学の試験で良い点を取って、それを先生がクラスで褒めてくれた。
すると、何故だかイジメの頻度が少し減ったのだ。
あいつ等は自分たちよりも何かが秀でている相手はターゲットにしない。
そう気づいたのだ。
奴らの運動神経は人並み以上なので、スポーツでは対抗できない。
そう思ったボクは、勉強に励んだ。
勉強なんか好きでも何でもなかったけれど、イジメから逃れるためにボクは必死になって勉強をした。
それまで、下から数えた方が早かったボクの成績は少し勉強しただけで人並みになり、半年ほど続けると上位に入っていた。
ボクはイジメの対象から外され、たまに教室で後ろからサッカーボールをぶつけられたりもしたが、毅然と”やめろよ!”と告げると奴らはドッと笑ったが、それ以上のことは何もしてこなくなった。
トイレまで追いかけて来て、水を掛けられるといったことも無くなった。
成績が上がることで、ボクは以前よりも自信が芽生え、いじめやすい相手ではなくなっていたらしい。
スポーツは相変わらずダメだったので、体育の時間は目立たないように過ごして何とか中学を卒業した。
高校に進学してからはイジメの対象にならないように最初から勉強をした。
勉強に対する興味など一向に湧かなかったが、イジメの対象になるのが嫌でただひたすら成績を上位にキープすることに徹した。
おかげで勉強嫌いのボクが、どういう訳だか大学にも進学することが出来たので人生というものは分らない。
「いじめられないようになりたい?」
そう尋ねると、最初は怪訝そうな顔をしていたけれど、女の子は直ぐに頷いた。
「何年生?」
「1年です」
「中1にしては背が高いね」
そう言うと、女の子は少し憮然として、
「高1です」
とボクの間違いを正した。
「あ、そうなんだ・・・、ごめん」
そう言いながら、”あいつら、高◯生にもなってこんな子供じみたいじめをやってるのか”と口には出さなかったけれど思った。
ボクは公園のベンチに腰を下ろすと女の子は隣に座ってボクの言葉を待った。
そしてボクは自分の中学時代の話をしてやった。
「本当にそんなことで、いじめられなくなるんでしょうか」
「信じるか信じないかは君次第だよ」
「でも・・・」
「じゃあ、1教科だけ勉強を見てやるよ」
そう言うと女の子はすこしホッとした表情を見せて、
「お願いします!」
と言うと、素直に頭を下げて見せた。
その週末の日曜日にボクたちは図書館で待ち合わせをした。
別れ際に名前を訊くと、ソヨンだと言った。
その時に初めてボクは女の子が苛められる別の理由があることを知った。
その時は何人なのか聞く勇気がなかったけれど、今では韓国人だとわかっている。
携帯電話の番号を聞いて何か下心があるように思われるのが嫌で、ボクはノートの切れ端に自分の携帯の番号を書いてソヨンに渡すだけに留めた。
見た目が悪くてモテないのを認めたくなくて、硬派を装っていた。
「使うことはないかもしれないけど、一応渡しておくよ」
ボクの番号を渡されてもソヨンは自分の番号を教えてくれなかったので、無理に聞こうとしないでよかったと思った。
そんなこともあったので約束をすっぽかされるかとも思ったが、ソヨンは約束の時間に遅れることなく図書館にやってきた。
日曜日だというのに制服姿でやってきたのがソヨンらしいと思った。
前に会った時には気がつかなかったのだけれど、ソヨンは凄く色白でメガネの奥に隠れている睫毛が長かった。
貧乳で、スカートから伸びている二本の脚は爪楊枝のように細かった。
早速自習室に席を陣取って数学の教科書を開かせて練習問題をやらせてみた。
ほとんど解けない。
小声で教え始めると周りから咳払いが聞こえ始めて、居心地が悪くなったボクたちは図書館を後にした。
近くのファミレスに入ってようやく腰を落ち着けるとボクは本格的に勉強を教え始めた。
ソヨンは覚えの早い娘ではなかった。
すっぽかさずにやってきたということから、自分を変えたいと思ってきたことは分かるが、一通りの説明をして問題を解かせても解けない。
ボクの表情に落胆の色を取ってみたのだろう。
「すみませんすみません」
とソヨンはボクにしきりに謝っていた。
「直ぐにできるようにはならないだろうから、気にしないで」
そう言って慰めてみたものの、ソヨンがいじめから解放される日はかなり遠い気がした。
別れ際にソヨンが言った。
「あの・・・、来週も教えてもらっていいですか?」
「うん、いいけど、今日やったところはちゃんと復習してきてね」
そう釘を刺して伝票を持つと、ボクはレジで会計を済ませた。
「あの、私、払います」
財布を出してソヨンが言ったが、そっと覗いてみると千円札が一枚しか入っていなくて、
「いいよ」
そうひと言告げると店を出た。
次回は最初から同じファミレスで約束をして、
「じゃぁ・・・」
と言って帰ろうとしたとき、ソヨンがボクのワイシャツの袖を引っ張った。
振り返って見ると何かを書いたメモ用紙を差し出している。
受け取って二つに折りたたんだメモを開いてみると、普通の電話の番号が書いてあった。
目を上げてソヨンの顔を見ると、
「あの・・・、それ、うちの電話番号です。私、携帯電話持ってなくって・・・」
と顔を少し伏せるようにして恥ずかしそうに言った。
今どき携帯電話を持っていない女子◯生なんて天然記念物だと思ったが、ボクはありがたくメモをうけとると胸のポケットにしまった。
カノジョとのデートがあるわけでもなく、時間だけはたっぷりあったボクはそれからも週末を迎えるたびにソヨンの勉強を見てやった。
ソヨンはその場では直ぐに問題は解けるようにならないのだけれど、きちんと復習をしてきて次にあった時には教えたことをきちんとマスターしていた。
試しに教えたことをその日には解かせずに次の週に解かせると必ずできるようになっていた。
学校の授業をボクだと思って聞くように言って、ファミレスで会った時には教えることに重点を置いて復習の成果だけを見るようにするとソヨンの学習スピードはどんどん上がっていった。
その間に少しずつソヨンのこともわかってきた。
ソヨンのうちは今どき流行らないくらい貧乏で、いじめの対象になっていたのにはその辺りの事情もあったらしい。
嫌な話だが、日本人でないことも間違いなく災いしていたのだと思う。
余計なお世話かとも思ったけれど、ザ行の発音がおかしいので繰り返し発音させて、ついでに直してやった。
半年も経つと、ソヨンはボクが教えなくても自分で学習できるようになっていて、数学だけではなくて他の教科も自力で勉強ができるようになっていた。
もともと頭は悪くなくて、勉強の仕方を知らなかっただけのようだ。
成績が上位で安定してきた頃、ソヨンは以前に比べて明るくなり、いじめられることもなくなったようだった。
そんなソヨンからショックな話を聞かされたのはそんなある日だった。
ソヨンのうちの事情で、ソヨン一家は韓国に帰ることになった。
もともと色白で、明るくなったソヨンは最初と比べると見違えるほど可愛らしい女の子になっていた。
カノジョのいないボクにとっては、そんなソヨンに会うのがだんだんと楽しくなってきていたところだったので、落胆の色を隠せなかった。
ボクはやはり女の子には縁がないのだとつくづく思った。
「それでいつ帰るの?」
「多分、月末には日本を離れることになりそうです」
月末まで三週間ほどしかなかった。
「そう・・・、それじゃ、これまで頑張ったご褒美にどこかへ連れて行ってあげようか?」
本当はボクが行きたかったのだけれど、試しに言ってみた。
するとソヨンは眩しいくらいの笑顔を見せて、大きく頷いた。
モテない大学生と女子◯生のデートだったので、映画を見てお茶をして帰るというだけのものだったが、ボクは楽しかった。
チラチラとソヨンの横顔ばっかり見ていたので、映画の内容はよく覚えていない。
映画館を出るときにさり気なく手をとって握り締めたら、ソヨンも握り返してくれた。
手を取らないとソヨンは必ずボクの二、三歩後ろを歩くので話しにくいと言い訳をした。
「向こうに着いたら連絡くらいくれよな」
「はい」
ソヨンと最初に出会った公園でベンチに座り、そんな会話を交わした後でボクはソヨンの肩をそっと抱いた。
長い沈黙の後、ゆっくりとソヨンに顔を近づけていくとソヨンは目を閉じて動かなかった。
手を置いたソヨンの方が震えているのがわかったが、ボクはそっと唇を重ねた。
薄い唇だけどふわっとして柔らかかった。
唇を離すとソヨンは大きく息をついて、ニッコリと笑ってくれた。
ソヨンはボクのことを親には話していなかったので、ボクはこっそり空港まで見送りに行った。
荷物検査の入り口のところでボクの姿を見つけたソヨンは胸の前で小さく手を振ってくれたが、そこまでだった。
それからソヨンとは音信不通になってしまった。
それから一年余り経って大学の三年になった頃、番号非通知の電話が携帯にかかってきた。
「もしもし」
電波があまり良くなくて声が途切れ途切れだった。
「・・・ぱぁ、・・・しっぽよ」
「しっぽ?もしもし・・・、もしもし!」
通話はそれだけで途切れてしまった。
ソヨンの声だったような気がしたが、掛け直そうにも番号が表示されていない。
万事休すだった。
何の確証もなかったけれど、ボクはその時の声がソヨンだったと確信した。
ソヨンのことは忘れようと努めていたのに、声を一瞬聞いただけでソヨンに会いたいという気持ちに火が点いてしまった。
ボクは憑りつかれたようにアルバイトに励み、お金を貯めるとリュックサック一つで韓国へ渡った。
見送った時の飛行機の行き先がソウルだったことだけは覚えていたので、ソウルへ向かった。
着いてから、どこへ行けばよいのか皆目見当がつかずに華街を目指した。
明洞と呼ばれるところを端から端まで何度も歩いてソヨンの姿を当てもなく探したが、見つかるわけがなかった。
街中をただ歩き続けて数日が経ったある日、不意に背後からあの電話のフレーズが聞こえた。
「・・・ぱぁ、・・・しっぽよ」
咄嗟に振り向いてみるとボクと同じくらい歳の女性が携帯電話で話をしてた。
ボクはお姉さんが電話を終えるのを待って、思い切って話しかけてみることにした。
歩いて行こうとするところを前を遮られてお姉さんは警戒したが、何も言葉が出てこないボクの姿を見て、
「あの・・・、日本の方ですか?」
と言った。
「はい!日本の方ですか?」
そう尋ねると、
「いいえ、でも大学で勉強をしているので、日本語、少しわかります」
ボクはホッとして、”ぱぁ”と”しっぽ”のことを訊いてみた。
最初は何の事だかわからないようだったが、そのうちに、”オッパー、ポゴシッポヨ”と言いました。
と少し顔を赤らめながら教えてくれた。
「どういう意味なんですか?」
「”オッパー”は親しい目上の男性を呼ぶときに使う”お兄さん”と言う意味です」
「”しっぽよ”は?」
お姉さんは少し間をおいてから視線をボクに向けると、
「”シッポヨ”ではなくて”ポゴシッポヨ”と言いました。”会いたい”と言う意味です」
“やっぱりソヨンだ”
ボクは心の中で思った。
ボクを”お兄さん”と呼び、”会いたい”と韓国語で言ってくれそうな人はこの世でたった一人しかいない。
ボクはあの時の電話がソヨンだと確信した。
お姉さんにソヨンの年齢と名前を告げてひょっとして知らないか尋ねてみたが、ソヨンの名前は韓国では結構一般的な名前で、同姓同名の人は山のように大勢いるはずだと教えてくれた。
ボクはそれでも諦めきれなくて、それからも何日か街を徘徊したが、運命を感じさせるような偶然の再会に遭遇することはなかった。
バイトで貯めた資金も底を尽き、ボクは失意の下、日本に戻った。
年が明けて受験シーズンも終わり、春休みに入ってから下宿でゴロゴロしていると、携帯に公衆電話からの電話が掛かってきた。
「もしもし」
「オッパー」
今度はきちんと聞き取れた。
「・・・ソヨン?ソヨンなのか?」
ボクは興奮して携帯の声に全神経を集中させた。
「はい、ソヨンです」
「今、どこ?韓国から電話しているの?」
「いいえ、今日本に着いて、空港にいます」
「戻ってきたの?」
「はい、しばらく日本に居ます」
ボクの胸は高鳴り、ソヨンの居場所を聞き出すとコートを掴んで下宿を飛び出した。
空港の中は人でごった返しているだろうからビルを出たところのバス乗り場で待ち合わせをしたが、ソヨンの姿が見えない。
キョロキョロと周りを見渡して探してみても、どこにもいない。
その時、不意にボクの目の前に旅行用のカートを引いた女性が立ち止まった。
「オッパー・・・」
「えっ?」
ボクは警戒心を隠せずに、改めて目の前の女性をジロジロと眺めてしまった。