57歳の恥ずかしい教師です。
ここでだらしない私の過去を告白しました。
私は背が150しかないのに巨乳でブラはI70とかJ70をつけてるんです。
贅肉でお尻、太股もムチムチさせて生徒から先生方までも、もう爆乳です、ホルスタインです、私はそういうことなんです。
職場で誘われます、街で知らない男性にもです。
主人も定年退職してますが同じ教師で、若い私を妻にしました。
母子家庭で育った私は、家で絵を描いて独りぼっちで、窓辺から夕日を見るといないお父さんの像を思い浮かべて、そんな内気でおとなしい女の子でした。
ただ胸の発育が母親譲りで、乳輪は薄く拡がって乳首も大きさが恥ずかしいものでした。
中◯に入ると胸のサイズが止まらなくて、二年生でブラはF70をつけてました。
豊満な母親にお布団に通ってくる55歳の中年男性を父親代わりよと言われて、週末になると男性の車で団地へ、まだ性の知識が無いままその方からオトナの営みに、私は初体験にされました。
高◯でも内気で、でも胸のサイズのせいですぐに男子の的にされました、ブラはG70でした。
それは先生方もでした、どこかで相談しようかって私に代わる代わるに言いに来て、そして教頭先生もでした。
58歳の教頭先生。
56歳の柔道部の大きい先生。
54歳の濃い髭にぼってりお腹の先生。
偶然でしょうか、私はそれぞれから交換日記にされてまた私の父親代わりでした。
週末のデート、そして夏休み、冬休みには皆さんから順番のようにラブホテルにされて、それは中年の嬉しい営みでした、口止めされて抱かれました。
前回までにここまでの告白を書かせていただきました。
内気な私はまだ性の知識がわからず3人に、簡単に妊娠はしないから、だから皆苦労してるんだから、そう教え込まれて膣のなかに精子でした。
中年にはありがたい子でした、父親代わりだなんて今思うと私の母親の歳よりもずっと上だったのにです。
私はいない父親への憧れと、学校の偉い人には逆らえない内気さから、泣いてつかまって断ち切ることができまんでした。
そこへまた一人、また中年が。
高◯三年の12月、クラスメイトが受験勉強になって私も流されるように、でも母子家庭のうちには私が家庭教師や塾に通う余裕がありませんでした。
仲良しの女子から一緒に行ってって、月謝は要らないからって、塾みたいな寺子屋みたいな大きな屋敷でした。
広い畳の間、テーブルで近所の中高生男女が数人、個々に勉強を見てもらってました。
大熊先生から。
教師を退職されて自宅で近所の勉強を見てて62歳でした。
藤岡弘さんみたいな力強い男性で、着物を着てなんたか武士のようでした。
独身でした、奥さんが早くに先立って仏壇に若い写真でした。
母が頭を下げて私も門下生に、学校から帰宅すれば制服を着替えて屋敷へ、夜8時までの勉強に通い始めました。
暖かい部屋で上着を脱ぐと私だけ胸が目立ちました。
母親からお下がりはどれもニットで胸がいっぱいに伸びました、母親のスカートも太股が恥ずかしいことになりました。
3日ほど通うと先生が塾生に学力テストでした。
問題文にとりかかる私の背後に先生がついて、そして耳元で、
「皆よりできてないよ、残ってちょっと頑張ろうか、」
「あ、はい、」
私だけに居残りを言いました。
私だけが毎晩先生と二人だけの勉強にされて、そしてもう、
「皆に追いつかないよ、徹夜、冬休みに、先生からお母さんに言うね、」
「あ、それは、」
私だけが徹夜勉強にされました。
母も娘の学力を先生に預けました。
そして私は冬休みに、他の塾生は夜8時に帰っていくのに私は、いったん帰るふりをしてまた屋敷へ戻るように言われました。
先生はまず私に夕食を出してくださって、でも夜の勉強では、
「ここが弱いよ、それはxとyにこの数を当てはめて、美也子ちゃん、」
「あ、はい、」
「この先長いから、お風呂頂いて、上がってからまた、美也子ちゃん、」
「あ、それは、」
先生の教える位置がテーブルの向こうから私の背後へ、肩に手を置いて私の上からに変わりました。
私はニットと太股を手で直しながら、そして先生は、
「ほら入れるよ、xとyに先生が、ハァハァ、入れてもいい?、入れてもいい?、美也子ちゃん、」
「あ、はい、」
「そこに先生、ハァハァ、入れてもいい?、全部、入れてもいい?、ハァハァ、どう?、ほらほら、美也子ちゃん、」
「あ、はい、入れてください、」
私のすぐ近くになってもう息づかいを荒くさせてました。
「お風呂入んないなら、ここ広いから風邪引くから、ハァハァ、奥で、美也子ちゃん、」
「あ、どこ、」
「暖かいから、奥は、ハァハァ、先生の言うこと聞いて、美也子ちゃん、」
「あ、はい、」
息づかいで私の背中を奥の部屋へ、奥は狭くてお布団が敷かれてました。
カーテンを閉めてストーブに点火したら先生は、布団の上で教科書を広げて私と寝そべりました。
「そこも数字、入れようか、ハァハァ、先生と、ハァハァ、美也子ちゃん、」
「あ、先生、自分で、」
「ブラジャー、ハァハァ、つけてるの?、クラスの女の子も?、ハァハァ、おっぱい大きくなってくるの?、あああ、ブラジャー、美也子ちゃん、」
「先生、あ、あ、」
先生は私の背中を撫でながらで、そしてニットのなかにも、背中をじかに撫でて着物のなかに手を入れてました、きっと自分を触ってました。
体を私に密着させて、そして下半身を当てるほどに腰振りになって、ニットのなかでは私のつけてるブラの縁をなぞって、
「ほら問題解いて、ハァハァ、ああもう、おっぱい大きい、ハァハァ、美也子ちゃん、」
「先生、あ、あ、」
「きついでしょ、うちでは外してていいよ、ハァハァ、まだ経験してないの?、お友達も?、じゃ、ハァハァ、先にオトナに、ハァハァ、先生と、」
「外さないです、先生え、あ、ああぁ、」
もう背中のホックを外しました。
話が違う先生でした、私はもう、
「ああん、ここ、乳首、」
「ダメえ、あああ、」
背を向けてもブラのなかをじかに揉まれました。
枕に寝かされたら告白されて、
「美也子ちゃんがいちばんだよ、先生、ああもう、あむ、れろ、」
「あむぅ、あああ、」
口づけられて、オトナは舌を入れました。
万歳でニットを脱がされて、私の大きいブラは大熊先生も取りあげて匂いをでした。
「あああ、こんなおっぱい、してたんだ、あああ、凄いよ、美也子ちゃん、」
「いやん、ああん、」
私の恥ずかしい乳房、乳首が全部さらされると大熊先生も、両手で寄せていっぱい嬉しくて、私はもうダメでした。
だって口づけは私は連動してました、私は乳首とクリトリス、膣のなかにもつながってました。
口づけはどっちもドキドキして勃起に、顔ああん、ああんでした。
だって週末の教頭先生たちがそんな仕組みにしました。
「ああもう、凄い乳輪、乳首も大きい、ああもう、しゃぶらして、れろれろ、」
「ダメえ、ああん、」
大きい乳首は先生も夢中でしゃぶりました。
だらしない乳輪は先生も全部口に入れました。
奥の狭い寝室はそういうことでした。
私は62歳の大熊先生にも体を頂かれました。
両手で存分に乳房に揉んで埋まられました、大きい乳首はしゃぶり転がされました。
脚を開かれて太股に吸いつかれて、ドキドキしたクリトリス、膣のなか、そこはもう先生が、
「ああもう、ここ、ああもう、女の子、綺麗なピンク色して、ああもう、れろれろ、」
「そこ、ああん、」
「たまらん、女の子、ああもう、舐めさして、ちゅぱあ、」
「先生え、ああん、はあん、」
舐め転がして指もでした、私はすぐにイカされました。
だってやらしい中年でした、若い女の子は滅多に無いってもう、オトナの勢いで先生は執拗でした。
「もう子種無いから先生、大丈夫だから先生、ちょっとだけ、ああもう、挿れさして、ああもう、」
「そんな歳上、ああん、はあん、」
「あああ、挿いったあ、あああ、気持ちええ、あああ、あああ、」
「んあああ、」
もうぺニスを挿れました。
ちょっとじゃなくて奥まで全部にして、だって徹夜勉強はそういうことでした。
大熊先生も気持ちいいナマがいい人でした。
「あああ、若い子、あああ、締まる、ちっちゃい、あああ、あああ、」
「ダメイク、んあああ、」
「あああ、このままでいたい、気持ちええ、ナマ、あああ、美也子お、美也子お、」
「はい、はい、イクイク、んあああ、」
もう美也子って呼び捨てにされました。
両手で乳房に埋まられてストロークにされて、そして、
「始めてここに、来た時から、おっぱい、
欲しかった、美也子お、美也子お、」
「はい、はい、イク、イクイク、」
「もうあかん、あイク、」
「んあああ、イクイク、んあああ、」
大熊先生もそのまま膣のなかに放ちました。
先生も大丈夫とか言って自分を叶えました。
ナマで硬くて、なかでドクドク脈打ちにされたら私はイクイク痙攣でした、先生の裸に泣いてつかまりました。
なかに精子は私がダメダメになってもうちゃんとはできません。
「ハァハァ、もうわしの子や、ええな、ええな、ハァハァ、もうたまらんわ、お前は、お前は、」
「ああん、はい、はい、お父さんで、お父さんで、」
「ハァハァ、皆と帰るふりして、お前は戻れ、ええな、お前はずっと通え、ええな、ええな、」
「ああん、はい、はい、お父さん、お父さん、」
お前って呼び捨てられてもう、大熊先生にもお父さん、お父さんでした。
62歳の精子も膣のなかでした。
教頭先生が定年退職されても父親が3人のだらしない私でした。
「大学もちゃんと通したる、ええな、親にも言うな、ええな、お前のお父さんや、よかったな、よかったな、」
「ああん、はい、はい、お父さんです、お父さんです、」
その夜は先生がまだまだ自分を叶えました、揉んで埋まってぺニスを挿れました。
膣のなかを3度も、気持ちいいナマでそのまま精子も、もうお前は頂きますってことでした。
62歳が15歳のなかにぺニスなんて幸せすぎます、奥さんが早くに先立って長らく営みが無いから膣のなかは、気持ちいいナマで頂きました。
ストロークして気持ちいい悲鳴をあげて、
「んんん、あああ、きついし、乳でかいし、お前は、お前は、」
「んあああ、んあああ、そんなの、イクイク、」
「あイク、出る、出る、」
「ダメイク、あはあは、」
私の若いなかを堪能しました。
だから私の冬休みにはもう毎晩のように徹夜を言いつけました。
私に皆と同じように勉強させて、お前は先に帰るふりせえ、裏から戻って奥で布団におれ、そう言いつけました。
だから私は先に奥のストーブに点火して脱いで布団のなかで待たなきゃでした。
先生は塾生を帰すと帯をほどき脱ぎ捨てながら奥へ来ました。
全裸で飛びついて、私が裸で待っていないと腹をたてました。
「裸で待ってたんか、そかそか、ええ子や、お前は、お前は、」
「やあん、お父さん、裸、」
「何言うとんや、あああ、綺麗やここ、ピンク色や、ああもう、どうして欲しいんや、お前は、お前は、」
「お父さんが、いやん、ああん、」
若い肌を悦んで私の父親になりました。
乳房に揉んで埋まって父親になりました。
「お父さんな、ハァハァ、ああもう、溜まってる、ハァハァ、美也子、美也子、」
「はい、はい、ああん、」
武士みたいで堅い人なのに二人になるとぺニスを我慢しませんでした。
トイレに立つと、指でぺニスを根元まで大きいものにしながら戻って、
「ちゃんと拭いてきた、口でして、」
「はい、はい、ほおぉ、ほおぉ、」
「ああん、ええ子や、離さんもう、」
「はい、はい、れろれろ、」
私の口にも虜になりました。
私を朝まで頂いて勉強なんて見ませんでした。
そして、私は父親が3人になって、柔道部の大きい斉藤先生と性欲の強い原田先生には朝待ち合わせに走って、つかまえられるとメロメロでした。
その人たちのラブホテルが済むと夕方からは屋敷の大熊先生の番でした。
皆さん私の乳房ばかりにでした。
皆さん私の大きいブラを悦びました。
皆さんうちの娘よりも若いって、嫁よりも好きだよって言って埋まりました。
皆さん奥さんよりも若い私と気持ちいい営みを、ぺニスを叶えました、精子を出しました。
私は歳の離れた父親に膣のなかでドクドクにされるともうダメダメで離れられなくて甘い時間でした。
「美也子のお父さんです、もうお父さんです、」
「ほんとに先生だけです、先生だけしか逢ってないです、」
「はい、はい、美也子もお布団で甘えます、もうお父さん、お父さあん、」
「はい、はい、美也子も、美也子も、ああん、ナマおっきい、ああん、はあん、」
もうお布団ばかりのだらしない高◯時代でした。
そして、クラスの女子よりも先に気持ちいい営みを覚えた優越感もありました。
父親たちは、クリスマスや誕生日のご褒美は自分のぺニスでした、叱られてごめんなさいの時もぺニスで、私はオトナはやらしくてドキドキしました。
ドクドク精子にされて幸い妊娠はしませんでしたが、今思うと危ない行為でした、今書いててもドキドキします。
このあとの私は、大学の経営者さんたちから誘われてそこを入学します。
授業料を免除されて母子家庭の母親は悦びます。
免状は要らない、うちにおいで、私立の総長にも誘われて、それが今勤めている男子高◯です。
そこで結婚します。
長々と書いてごめんなさい。
書いてていいのならまた告白いたします。