結婚して30年、定年間近の58歳の会社員です。
10年前、家をリフォームする際に家の中を事前に片付けている時、押し入れの奥のカビた箱に鍵のかかった冊子がありました。
何となく開けてみると、鍵が腐っていて簡単に開きました。
それは、妻の古い白黒写真が貼ってあるアルバムでした。
部分的に黄ばんだ白黒写真は、明らかに個人で現像したものとわかりました。
なぜなら、妻はほとんど裸だったからです。
それに、昭和末期でもさすがに写真はカラーだったし、店に依頼できなければ自分で現像するしかありませんが、そうなれば白黒しかありません。
写真の妻はどう見ても大学生の頃で、撮影したのは、きっと妻の初めての男であった大学の写真部の彼氏だと思われました。
昭和も終わりの頃、20代後半で大失恋して落ち込む私を見かねた上司が紹介してくれたのが妻でした。
当時、男は20代後半、女は20代半ばで結婚するのが当たり前の時代、失恋した元カノとは当然結婚を考えていましたから、私の落ち込みようは相当でした。
上司の奥さんは、
「別嬪だし、性格はお淑やかで真面目なお嬢さんよ。大学を出てまだ2年ですからお年頃ですわよ。一度、お会いになってみたらいかがかしら。」
硬し気張ったお見合いではなかったので、見せられた写真はスナップでしたが、テニスウェア姿の妻は長い髪をヘアバンドで留めたとても美しいお嬢さんでした。
しかも東京にある某有名大学を卒業した才媛でした。
上司に紹介された時、上司の奥様は、
「適齢期のお二人なんだから、いい加減な気持ちで付き合うなら止めてくださいね。」
と言われましたが、写真より実物の妻は美しく、テニスウェア姿から感じた活発さはなく、非常に気品あるお淑やかな美人でしたから、私は、
「もちろんです。私は、お付き合いするのであれば結婚を前提にさせていただくつもりです。」
と言ったところ、妻も、
「私もそうさせていただきたいと思います。」
と言いました。
大学を出て2年の美人淑女との交際は、夢のようでした。
交際2か月で一拍旅行に誘ったところ、下心を読まれて、
「分かりました。それならば、正直に言います。私、処女ではありませんから、そのような期待はなさらないでください。」
大学時代に写真部の1つ先輩と2年間交際していたことを知りました。
しかし、その言葉には、それほどのショックはありませんでした。
外見があまりにも上品でお淑やかなので、もしかしたらという希望はありましたが、時は昭和も60年代、女子大生だった美人が処女のまま4年間を過ごすとは考えられませんでした。
リゾートホテルで28歳の私と24歳の妻が初めて結ばれました。
妻は美人なだけでなく、スタイルも抜群で、後に披露宴の衣装合わせの時に計測したら、身長165㎝、B88、W58、H87という素晴らしいスペックでした。
非処女とはいえ、これだけの上玉を抱ける喜びに大興奮でした。
舌を絡ませるキスは、完全に非処女のそれで、足を開かせて眺めた陰部は、陰核近くの陰唇が濃い紅色で、過去にそれなりの陰茎の抜き差しがあったことを窺わせました。
クンニに色めき立つと、艶めかしい吐息で応え、愛液を滴らせました。
フェラもネットリとした舌使いに元彼の指導を感じました。
コンドームをして、正常位で挿入すると、切なそうな顔で喘ぎ、可愛らしい啼き声で身を捩りました。
乳房が揺れるほどの佳境に入ると、足を私の腰にからませて、上品な淑女の面影は消え、違和感を覚えるほどの淫婦に変身しました。
「素敵なセックスでした・・・これからもよろしくお願いします・・・」
行為を終えて暫くしたら、ベッドの上に裸で三つ指をついて頭を下げられました。
「はい。ぜひ、私と結婚してください。」
私は初めてのセックスの場でプロポーズして、その半年後に結婚しました。
上司の紹介から8か月の結婚に、上司夫婦も驚き、仲人を買って出てくれました。
私たちは結婚してからは、浮気も無くセックスレスにもならず、円満で仲のいい夫婦で暮らしてきました。
美しい妻とのセックスは何年たっても飽きることなく、生のまま膣外射精、安全日はそのまま妻の子宮に精液を流し込みました。
時にはラブホテルに行って、破廉恥な道具で妻を辱めたりもして、妻に被虐心を植え付けたのは私だと思い込んでいました。
ところが、10年前に見つけたアルバムに写っていた白黒写真の妻は、裸で白いロープで縛られていました。
股を拡げた状態で縛られ、全開の陰部には淫らな張子が挿し込まれ、ウットリした表情で元彼の陰茎を頬張っていました。
乳首を洗濯バサミで挟まれながら全開にされた陰部には、陰唇の左右に4つずつ、そして中央の陰核に1つ、洗濯バサミが挟まれ、膣には太いゴーヤが挿し込まれて、女子大生の妻がまだ幼さが残る美形を歪ませていました。
大学の構内らしき場所で、長い髪を三つ編みにしてセーラー服姿で縛られて、膣からローターのコードをぶら下げたコスプレ写真や、セーラー服で排尿する写真、そして排便までさせられた写真もありました。
排便の写真はどう見ても浣腸されたと思しき下痢状態で、その後、肛門に小さなコケシを挿し込まれていました。
アナルセックスの写真はありませんでしたが、元彼の陰茎が妻の膣にグサリと突き刺さる写真はたくさんあって、元彼はその都度様々なコンドームを陰茎に被せていました。
私が妻と恋人時代に使っていたような普通のコンドームではなく、イボイボがついていたりする変ったものでした。
体位もアクロバティックなハメ撮りがいくつかありました。
私は、震える手でそのアルバムをしまいましたが、妻には見つけたことは言えませんでした。
結婚して20年近く過ぎて、結婚前の事をグチグチ言うのも気が引けたのです。
しかし、鍵付きとは言えどうして妻はあのようなふしだらな写真を保存していたのか、それだけは気にかかりました。
妻には言いませんでしたが、リフォームを終えた後に写真のうち特に卑猥なもの何枚かは、PCにスキャンしました。
しかしそれが原因で、妻に私がアルバムの存在に気付いたことを知られました。
ある日、妻が複合機でスキャンした際、第一段階で保存される日付のついたフォルダを間違えて開いて、私が消し忘れた妻の緊縛白黒写真数枚を見つけたのです。
「あなた・・・もしかしてあのアルバム・・・見たんですか?」
「え?何のアルバム?」
声が上ずっていました。
「これ・・・」
画面には、妻が和室でM字開脚で座椅子に縛られて、丸出しの陰部に温泉コケシが突っ込まれている黄ばんだ白黒写真が写し出されていました。
私は、見つけた経緯を話し、結婚前の事だから黙っていたこと、愛する妻の若かりし頃の痴態を見て興奮したこと、元彼との交わりに嫉妬していたこと、嫉妬のおかげで勃起力が増大したことなど、正直に話しました。
妻は、
「見てお分かりだと思いますが・・・私、マゾにされたんです。だから、あなたにラブホテルで辱められたとき、本当は嬉しかった・・・愛する夫に受ける凌辱で夫に痴態を見られる・・・」
妻は内股になってモゾモゾし始めたので、スカートの中をまさぐると濡らしてしまっていました。
「ああ・・・あなた・・・」
その場でパンチィを脱がし、交わりました。
あれ以来、週に1度は妻を凌辱するようになりました。
特に娘が大学で家を出てからは、家の中で妻を凌辱します。
椅子に開脚させて縛り、アダルトショップで買いこんできたバイブやローター、更にはクリチュパという陰核を吸引しながら振動させる強烈な道具を買い込んで、妻を辱めました。
「お前は、いつ元彼に処女をあげたんだ?」
「うう・・・だ、大学2年の10月・・・学園祭の打ち上げの後・・・」
「その彼氏にマゾにされたのか?」
「好きだったから・・・ああっ・・・はあはあ・・・彼に色々恥ずかしいことをされているうち・・・」
「ケツの穴もコケシ入れられてたよな?」
「あううっ・・・でも、お尻でのセックスはしてない・・・彼、それは汚いからって・・・」
「じゃあ、俺のチンポではどうだ?」
そう言って大股開きの妻の肛門にローションを塗って、陰茎を捻じ込みました。
「うああああああ・・・・ああっ・・・あなた・・・お尻の処女はあなたに・・・」
妻は吸い上げられて振動させられた陰核と肛門を犯され、大量の潮を噴きました。
結婚した頃とほとんど体形が変わっていない美しい熟妻は、現在54歳、すっかり飛び出した陰核には5年前に銀婚祝いのピアスがぶら下っています。
閉じても陰裂から飛び出した肥大陰核とピアスは、パンティを穿いても膨らんでいるので、それをパンティの上から弄ってやるとあっという間に妻のパンチィは染みだらけになります。
「別嬪だし、性格はお淑やかで真面目なお嬢さんよ・・・」
今でも妻は別嬪で上品な熟女ですが、陰核にピアスを通すマゾ妻なのです。