金曜の夜、俺と彼女は仕事が早く終わる方のアパートで過ごした。
呆れるほど舌を絡めて、呆れるほど交わって、呆れるほど仰け反って、呆れるほど射精した。
翌土曜日はどこかへお出かけして、ラブラブな二人の仲を見せびらかした。
アツアツのバカップルだった。
夜は居酒屋で飲んで、12時近くまで遊んでアパートに帰って一緒に寝た。
翌日曜日は10時くらいまで寝てて、真昼間からセックスに耽った。
明るい部屋で、恥ずかしがる彼女を無視して股を開かせて、マンコの奥まで覗いた。
「ダメェ~~恥ずかしいよ~~」
の声が、次第に、
「ダメェ・・・ハ、ハァン・・・」
となって、結局パジャマを全部脱がされ、じっくり視姦されて濡れていった。
そして乳房を揉まれて乳首を舐められ、乳首が勃起して、両足を大きく広げられ濡れたマンコ丸見えになると、カチカチのチンポをズブリ、愛液がジュブっと出た。
激しく出し入れすると、マンビラがペロンペロンとめくれて、愛液が白く泡立ってマンビラとチンポにへばりつく。
愛液の音がジュピジュピ、肉のぶつかる音がパンパン、彼女の喘ぎ声がアンアンと部屋中に響いた。
安全日の時は、そのままマンコの中にドクドク射精、そうでないときは彼女のお腹にドピュドピュ射精した。
裸のままお昼を食べて、シャワーで汗を流して、午後も汗だくでセックスに励んだ。
ジュビジュビ、パンパン、アンアン・・・部屋中に猥褻な音が響き渡った。
そして夕方、近所をお散歩デートして、
「じゃあ、また週末会おうね。」
と言って、さようならした。
暮れなずむ街を歩いて、自分のアパートへ帰る足取りは重かった。
あの彼女とは結婚すると思っていた。
彼女だってそう思っていたはずだ。
そうでなければ、安全日とは言え中出しなんかさせないと思う。
でも、2011年3月、彼女の故郷が高波に浚われた。
帰りたくても手段がない彼女、不明の家族の安否、抱きしめる事しかできない俺。
仕事中だった父親と専門学校にいた妹は無事だったが、彼女は母親と実家を失った。
結局彼女は、父親の実家に身を寄せた家族に会いに行ったまま、東京には戻らなかった。
いや、一度戻ったけれど、それは、仕事を辞めてアパートを引き払うためだった。
あれ以来、裸で愛し合うことは無く、俺は、泣きながら彼女の引っ越しを手伝った。
結婚しようという言葉は、あまりに残酷で口にできなかった。
「じゃあな。頑張れよ。何か力になれることがあれば、遠慮なく言ってくれ。」
「ありがとう。あなたと過ごした時間は、忘れない。出会えてよかった・・・」
「これ、少ないけど・・・」
お見舞いと、彼女の亡きお母さんへの香典を渡した。
「ごめんね。遠慮なくいただくね。」
そう言った後、彼女の目から大量の涙が流れた。
「さようなら。」
「さようなら。そしてありがとう・・・」
彼女は改札を抜け、東北新幹線のホームに向かうエレベーターに消えた。
俺26歳、彼女24歳、2年の交際は幕を下ろした。
あの後、俺は彼女との思い出の中で生きていた。
彼女と別れた1年後、後の妻となる女に告られ、彼女を忘れるために付き合い、ほのぼのとした安らぎを感じて、5年前に結婚した。
去年第二子が生まれ、俺は二児の父となっている。
先週、あの日からもうすぐ9年になろうとしている東北の沿岸に出張した。
日帰りで間に合う仕事だったが、金曜日だったから宿を取った。
翌日、出張先からそう遠くない別れた彼女の故郷を訪ねてみた。
まるで、区画整理したように綺麗に造成され、復興の力強さを感じた。
プラプラと当てもなく、風来坊のように2時間くらい街を散策した。
まだ、建物はまばらだが、十分に人の気配が感じられた。
この街のどこかに、彼女がいるかもしれない・・・彼女、32歳の彼女は幸せだろうか・・・
そう思って街並みを見渡したら、急に涙があふれてきた。
帰りの新幹線、彼女と過ごした2年間が走馬灯のように頭を巡った。
ここに彼女との思い出を書き綴って、彼女の幸せを祈りたい。