私は過去に複数回、あるクラスメートから性的被害を受けました

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明希奈(あきな)と言います。

名前を名乗らないのは失礼かも知れないと思ったので、下の名前だけですが、本当の名前を名乗りました。

22才の社会人です。

私は、生きる自信がありません。

生きる資格が無い、と言った方が正しいかも知れません。

心が壊れた自分を自覚してます。

自覚出来てしまっているから、自分に生きる価値が見出だせないでいるんだと思います。

でも、そこまで分かっていても、自分ではどうする事も出来ません。

人に、顔を合わせて話せる勇気が無いため、誰かに相談するとか、カウンセリングを受けるとか、考えた事はありません。

自分が弱いから壊れたまま。壊れて更にに弱くなった自分に出来ない事は、やっぱり無理なんです。

ここまでこじれてしまったのは、自分のせいだと思ってます。発端は、私が子供だった頃のショッキングな体験です。

ずっと一人で抱えて、引きずって苦しんで生きてきました。そのせいで私がもう人として、普通じゃ無くなっていると思います。

そうなった自分が嫌だし、怖いんです。

この場が相談窓口じゃないのは知ってます。だから、場違いな投稿なのは分かってます。

人として普通でいる方に、私がどうすべきかを、中立的な目線で教えて欲しいんです。

端的に言えば、死ぬべきか、生きるべきか、という事です。

私のような女を、同じ女性の目線ではなく、対極的な男性の目線で見たとき、どんな審判が下されるか知りたいので。

女性をみる目に長けている人達の目を信じてみたくて、敢えてこの場を借りました。

なので悩み相談みたいな内容です。お気に召さなければ、或いは途中で気を悪くされた方は、私を無視して下さい。

生きる自信を見出だせなくなった経緯を記します。出来るだけ詳しく記しますが、あくまで出来るだけです。勇気が出なくて書けない事は、省かせて下さい。

誰かに打ち明けるのは、これが初めてです。

私は過去に複数回、あるクラスメートから性的被害を受けました。

最初は、小学5年生の11月でした。クラスメートの男子(A君)と私は図書委員で、その日の放課後の図書室の受付係でした。

A君が、私に一目惚れして、ずっと前から私に気があったのを、複数の友達から聞かされてました。

初めて聞かされたときは冗談かデマだと思ってました。でもその頃には既に本当だと気付いてました。

私は片思いでも他に好きな人がいたし、A君に対して全く興味は無く、言い寄られてもずっと無視してました。

A君は、クラスでも少し浮いた存在でした。女子に対して、恥ずかしい言葉や話を平気で振るし、人が嫌がる事をして楽しむような、手を焼かされる男子でした。

私も、しつこく服の上から体を触られたり。いやらしい言葉でからかわれたり。

A君は笑いをとるのが上手で面白かったから、男子達からは人気だったみたいだけど、女子の間では嫌われてました。

私にとっても、一番苦手なタイプの男子でした。

正直言うと、A君は嫌いでした。

大嫌いでした。

そんなA君に、ちゃんと自分の気持ちを伝えず無視し続けた私が、間違ってたんだと思います。

図書室の受付時間が終わった後、他に誰も居ない図書室で、A君に犯されました。

何も言わず、いきなり正面から抱き付いてきた。

抵抗したら、A君に平手で殴られて。倒されて殴られて、髪を捕まれ立たされて、また殴られて。

「てめえ何睨んでんだよ!」

と言われ、A君の平手は、握りしめた拳に変わった。

殴られる度に、顔が左右に飛ばされるくらい、本気で殴られた。

お腹を思いきり膝で蹴られ、息が出来なくなって。

床に倒れたまま、着ていた物は何もかも全て脱がされて。

私が「やめて」とお願いしても、私が黙るまで何度も殴られて。

クラスの中でも小柄で、まだ身長が130センチを少し越えたくらいしかなかった私に対して、A君は力を抑えていた様子が感じられなかった。

そのときのA君は、人間の男の子とは思えませんでした。人の意思が通じない、獲物を貪る猛獣と同じに思えました。

私は、下半身を脱いだA君に、自分の下半身を突き刺され、体を繋げられてしまいました。

A君に

「好きだ、ずっと前からお前が好きなんだ。」

と何度も言われながら。

たとえA君の一方的な好意であっても、愛情を持ってるなら、好きな女の子に対して、A君が何でそこまで暴力的になれたのか、今も理解出来ません。

破瓜の痛みによる私の悲鳴は、私の口の中をA君の舌が這い回る、おぞましいファーストキスで塞がれました。

そのときに受けた心のダメージは、言葉では説明しきれないほど大きかった。

A君の唇とは舌が絡み合うまで繋り、膣では体の奥まで刺し込まれて繋り、受け入れたくないA君と自分が一体化してしまったとき、私は、無垢な生娘としての人生が早々に終わった事を知りました。

私が抵抗したのは初めのうちだけで、繋がってしまったときからは、全て諦めきって無抵抗でした。

A君は、性交のやり方は知ってるくせに、正しい性や避妊の知識なんて、多分ろくに持ち合わせてない。そんな印象でした。

A君は、私と避妊せず体を繋げたまま、まだ大人になりかけだった私の体の中で、何度も逝ったんです。

A君が逝く度に

「また出てる、中で精子出てる。」

「気持ち良い、気持ち良い。」

「子供のうちはセックスしても簡単に妊娠しないから安心しなよ。」

とか言って、恐ろしいほど無邪気な態度で逝ってた。

私の中で、何度も逝ってた。

私は初潮が来てまだ1年くらいの幼さで、自分の大切な価値を、女の子としての大事なプライドを奪われました。

A君にとっては、私の価値やプライドなんて、どうなろうが眼中に無かったんだと思います。

A君が私にもたらしたものは、痛みを伴うおぞましい挿入感と、死にたいくらいの恥と、恐怖でした。

暴力で無理矢理経験させられた私には、快感なんてある訳ない。まして、そのとき私が逝くなんて有り得ない。

A君も多分初めてだったと思うけど、A君は、私の心と体をズタズタに破壊し、私の体を使って快感を得て、挙げ句に逝く事まで経験して楽しんでた。

神様なんて信じられない。あまりにも、不公平です。

痛かった。怖かった。悔しかった。A君を許せなかった。気が狂いそうだった。今すぐ死にたいとまで思った。

現実離れした惨劇に頭が付いていけず、途中からは、思考が停止しかけたみたいに頭が働かず、体も動かせず、裸で床に横たわってました。

終わったあと、私は裸で放置されたまま、しばらく動けなかった。気がついたらA君は帰っていて図書室は無人で、窓の外は、もう日が落ちて暗かった。

乾いた涙で顔がガサガサでした。

ポニーテールにして束ねていたはずの髪は、いつの間にかヘアゴムが外れていて、解けてボサボサに乱れてました。

まだ小さかった乳房には、A君が噛んだ歯形が赤く無数に付いてました。

まだ形が変わり始めたばかりの乳首の根元は、左右とも、噛まれて出血までしていました。

右手の甲を擦りむいてたので、傷を舌で舐めたら、ベットリと真っ赤な唾液が付いた。

え?と思い、下を向いた状態で口を開けたら、口から沢山の赤い唾液が、ビチャッと床に溢れ落ちて。

血が混じった唾液と言うより、血そのもので、そのとき初めて口の中の出血に気付きました。

何度も殴られた衝撃で、口の中の、左右の頬の裏側は、歯が当たって削られて皮が剥けてズタズタで、口の中が血だらけでした。

痛む膣の辺りを恐る恐る見ると、膣の周辺は血糊が広がって血みどろでした。

その日を境に、A君が怖くなりました。気の休まる事が無い毎日は地獄でした。

膣は数日間、私が汚された事を物語るように、痛くて血が滲み出ました。

口の中の傷の痛みで、しばらく食事がまともに出来なかったのと、極度の心労もあって、一時的に体重が32キロから3キロも落ちました。

自分に汚物のような嫌悪感を感じて、自分が嫌いになりました。

私は、無口と言うほどではなかったけど、恥ずかしがり屋で、おとなしくて内気な性格でした。

片思いの人に「好きです」の一言も言えなかった自分に、10才にして「犯されました」なんて、周りに言える訳なかった。

A君が、自分から犯したなんて誰かに言うはずも無い。だから、私が我慢して黙っていれば済むんだ。と考えてしまって、親にも、先生にも、友達にも言えなかった。

自分で自分を守るため、自分の意思で、黙って耐える事を選んだんです。そうする事しか、頭に浮かびませんでした。

ズタズタに傷ついた私の心は、いずれ時間が癒してくれる。そう願ってました。

小5でセックス経験したなんて知られて、周囲から白い目で見られたくなかった。

学校は行きたくなかったけど、不登校になれば、原因を探られて、犯された事が知られてしまうと思ったので、休みませんでした。

自分の体の中を、何億もの数のA君の精子が、卵子を求めて泳ぎ回ってる事実が、おぞましい恐怖となって頭から片時も離れなかった。

犯されたときの挿入感を思い出す度に、息が詰まるみたいに呼吸が苦しくなった。

同じクラスに、常に自分を襲った張本人が一緒にいる生活が、いつも怖かった。

まだ幼かった私が背負うには重過ぎた現実は、もう地獄でした。

そんな状況下でも、勉強して、友達と遊んで笑って、家族と過ごして、何事も無かったふりをして生きるのが、とても辛かった。

そのとき誰にも助けを求めなかった私に、結局全て責任があるのかな。

放課後の図書室の受付係は、月に2回あり、その都度、私はA君に脅され、犯されました。

それ以外の日も、週に一度くらい、放課後に体育館の備品倉庫に連れ込まれて犯されました。

(男性の脳は、初体験で知ったときの感動と興奮と快感を一生涯忘れられない。そのとき抱いた女性の体の味を忘れられない。幼少期にそれを知ってしまった男性は、執拗にその味わいを求め続ける。)これは、ずっと後になって私が知った言葉です。

A君は、まさにそんな状況に陥っていたんだと思います。

そして、私が、止まない極度のストレスを受け続けたのが原因だと思うのですが、綺麗な黒だった私の髪は、自然に色素が薄まって茶髪になり始めました。

既に生えた部分は黒のままでしたが、新しく生えてきた部分は薄茶色で、今のところ二度と元の黒髪に戻る事はありません。

冬場は、図書室はストーブがあって暖かったけど、備品倉庫は寒かった。でもA君は、服、下着、靴下まで、全て私から容赦なく取り去った。

「一度やったんだから、もう何回やっても一緒だよな。」

みたいな事を言われて。全く罪の意識を感じてない様子で。

A君の言うとおり。一度犯された私は、もう何回犯されても、これ以上価値が下がる事はないんですから。

思春期でしたから、私もセックスに関心はあったけど、大人になるまで経験する気なんて無かった。

Hな話は、苦手だったし、好きじゃなかった。

けど、最初に犯されたとき、私の心に、どこか壊れた部分が出来たと感じてます。それが自暴自棄か、諦めのような形で現れました。

初めてのときは必死に抵抗してたのに、2度目からは、もう、襲われても抵抗しませんでした。

それを拒絶する意思表示の類いを、ただの一度も示しませんでした。

セックスしたくなかったし、怖かったのは確かですが。

そのときは最初のときのように、抵抗出来なくなるまで殴られた訳ではありません。

ただ、拒絶する意欲が湧かなかったんです。

もう既に、私の心のどこかがおかしくなって、普通の行動が取れなくなっていたんだと思います。

冷めた感情、と言うより、感情を自分で殺したような、感情が自殺したみたいな感じです。

A君に服を脱がされて凌辱を終えてくれるまで、黙って人形のようにしてるだけ。

A君は、意思の無いただの棒切れみたいな私を裸にさせて、硬い床に転がして。

乱雑な前戯で私を無理矢理に濡れさせ、私と体を重ね合わせ、気が済むまで好きなように凌辱するだけ。

私は、私と体で繋がったA君が、サルのように腰を振って膣の中で逝き終えるのを、脱け殻みたいに、じっとして待つだけ。

そう、それだけ。私が経験してる事は、ただそれだけの事なんだ。

私が犯されてる事って、他の人からすれば、何ら影響の無い、どうでも良い些細な事なんだ。

私が何度凌辱されたって、世間の何かが変わる訳でもない。世間の誰かが困る訳でもない。

今更私が助けられたって、世間は何も変わらない。私の過去も、もう変わらない。

どうせ、その程度の事なんだ。

だったら、もう救われる価値なんて無いじゃん。だから、おとなしく犯されてれば良いんだ。

そう、無理矢理自分に言い聞かせてました。

長いときは1時間以上犯され、多いときは7~8回くらい中で逝かせてました。

そんな悲惨な状態でも、回数を重ねるにつれて、A君は、いろんな体勢で私を犯すようになっていきました。

私は釣られるように、快感が得られるようになりました。

自分が逝くという感覚は、その頃よく分からなかったけど。そのとき膣の中で覚えた快感は、狂おしいほど毒々しい、魅惑的なものでした。

気が付くと、犯されてるくせに一緒に腰を振ってる自分がいた。A君の背中に腕を廻して、足まで絡ませて、声を出しながら力を込めて抱き寄せてる自分がいた。

体が無意識に、そう動いてしまってたんです。

その様子を、ケータイで撮られ、後から見せられたりした。

私の意思に関係なく、体は喜んでた。勝手に膣が濡れた。心のどこかに、快感を好きになってる自分がいて。

そんな自分を、どんどん嫌いになっていきました。

ただ、凌辱の最中、涙はいつも流れました。

怖くて、悔しくて、本当は逃げたくて。全て諦めていても、心の片隅で、そういう感情も、壊れかけても死んでなかったから。

だから余計に辛かったのかも知れません。

完全に心が壊れて、A君と一緒に性交を心から楽しみ尽くせるまで頭がおかしくなってたら、きっともっと楽に過ごせたと思うけど。

中途半端に壊れたときが、一番辛いと知りました。

(今更泣いたって遅いよ。純白は、一度濁ったら、永久に元の純白には戻らないよ。もう何もかも手遅れなのにさぁ。)

心の中のもう一人の私が、犯されながら涙を流す度に、ずーっと、蔑むようにそう囁くんです。それが辛くて。

私が抵抗しなくなったのを見て、A君は和姦が成立したと思ったのかも知れません。或いは初めから、強姦とか和姦とか、そういう概念すら無かったかのかも知れません。

私はその頃、A君の射精を見た事が一度もありませんでした。私がA君の射精を、全て膣内で受け止めていたからです。

そんな事を続ければ、いずれ必ず望まない妊娠をする。いくら私が子供でも、生殖の仕組みは知っていたので、それは分かってました。

でもA君は、子供のうちはセックスしても妊娠しないというバカな話を本気で信じてたみたいで、躊躇せず私の体の中で逝き続けた。

けど、逃れたくても逃れる気力が無い私は、怖くても犯され続ける事しか出来なくなっていたんです。

諦めきっていた私が、SOSのサインを周囲に示す事はありませんでした。

むしろSOSを、周囲に悟られないように隠して生きていたから、誰かが気付いて助けてくれる事もありません。

自分の意思で凌辱を許したら、それは和姦と一緒です。

私が経験したレイプは、強姦と言うより、強制的で自虐的な和姦でした。

清純を失い、汚れた体に更に汚れを上塗りされる日々が続きました。

しばらくは生理がありました。生理が来ると、まだ妊娠してないと分かり安堵してたけど。

2月後半に生理が来てから、それっきり、生理は来ませんでした。

6年生になり、A君とは違うクラスになって、ようやく凌辱からは解放されました。

髪の色も、その頃は登頂部は完全に茶髪に変わってました。医者に診てもらっても、強いストレスが原因で確実な治し方は無いと言われ、髪を黒く染めても、色が長持ちしないから諦めました。

時間が癒してくれると思っていた心の傷は、妊娠に対する不安もあり、悲しいくらいに癒えないままでした。

その頃はもう、体の状況から多分妊娠してると察していました。生理が来ないまま、体調が崩れがちになり、頻繁に吐き気に襲われるようになったから。

A君からは逃げられても、どうしたら良いか分からない不安からは、逃げられませんでした。

一学期の後半、A君は髪の長い女の子が好きだと人づてに聞いたので、私はA君から嫌われるために、長かった髪を切り、ショートにした。

極端な短髪ではなく、耳が完全に隠れるショートボブみたいな感じでした。

髪質は直毛なんですが、ショートにして初めて横の髪の癖に気付きました。天然のシャギーみたいな癖があって、左右の毛先が自然に内側に向くんです。

頬に毛先が触るので、慣れるまではウザったかった。

髪を切る前、私の髪は背中の真ん中辺りまで伸びてました。

色が抜ける前の黒髪と、色が抜けた後の茶髪のツートンカラーになってしまって、格好悪かったのも、髪を切った理由でしたけど。

黒髪の部分を切り落としたため、完全な茶髪になった。

ブリーチをかけたように綺麗な茶髪ではなく、濃い目の茶髪と金髪みたいな薄い茶髪が同じくらいの割合で、少し白髪もあり、それらがメッシュのように入り混じった、とても汚い茶髪です。

今も髪の状態は変わらないので、汚い色の髪を伸ばす気になれなくて、髪型は仕方なくショートのままです。

ポニーテールやツインテールや三つ編み、色んなアレンジが私は大好きで、幼稚園の頃からずっと長く保っていた大事な髪でした。

6年生になってから、隣の別のクラスになったA君とは接触してなかったけど、A君を更に遠ざけたいというその一心で、私にとって大切だった髪をバッサリ切った。

それには、自傷行為的な部分もあったかなと思います。

生まれて初めてのショートヘアでした。鏡に映った自分の容姿は、意識の中の自己像とはかけ離れてました。髪が短いうえに完全な茶髪なので、誰の姿なのか分からない錯覚を起こすほど、印象が変わってしまいました。

心も体も、容姿さえも、本来の自分の姿からかけ離れていき、後戻りしたくても叶わない悔しさに、涙が溢れました。

その頃にはウエストがきつくなり、太ったふりをして、ウエストが緩い服やお腹が目立ちにくい服しか着られなくなって。

でも、普通の妊婦みたいに、あからさまにお腹が大きく膨らんではいませんでした。

だから、ママが私の体型の変化に気付いたのは、一学期の最後の日。朝にパジャマから着替えている最中をたまたま見られたときでした。

自分の子供が妊娠しても気付かないなんて、バカな親だと思うかも知れません。でも、私の親を責めないで下さい。

あまりお腹の膨らみが大きくなかったし、それを気付かれないように隠しながら生活してたので、しばらく親が気付かないのは当然です。

翌日、夏休みの初日に、車でママに病院に連れていかれました。

全て知られてしまう。怖かった。でも中絶すれば体だけでもリセット出来る。少なくとも、中絶すれば妊娠した不安からは解放される。

救われたいから、病院で妊娠してると言われる覚悟を決めた。

でも、レイプされた事を打ち明ける覚悟は出来ませんでした。

病院の装置で体を調べられて。やはり妊娠してるのが証明されました。

それから、病院の男の先生に色々質問されました。

最後の生理はいつか?初めてのセックスはいつか?何日おきにしたか?今まで何回したか?胎児の父親は誰かハッキリしてるか?その相手は妊娠を知ってるか?認知してくれそうか?

ママの隣で、何でそんな事まで聞かれなきゃいけないの?と思う辛い質問も結構ありましたが、質問に正直に話しました。

赤ちゃんの父親がA君だという事も、話しました。

犯され続けていた事を除いて、全て話しました。

そのときに犯されたと言ったら、恐怖体験の一部始終まで、本当の意味での全てを、その場で話さなきゃいけなくなる気がしてしまい、聞かれた事に必要最小限の答えで返すしか出来ませんでした。

診断結果は、胎児は女の子で、妊娠21週目だと言われました。あと4日遅かったら法律で中絶できなくなる、ギリギリの時期でした。

胎児の大きさは妊娠中期にしては平均以下だけど、私は当時クラスの中でも小柄でした。

出産するには、私の体は、まだ幼くて適していない体でした。

特に、骨盤が成熟してなかったので、中絶でも負担が大きいのですが、産むより中絶を薦められました。

もちろん、小◯生の身分で産む訳にもいかないから。2日後、中絶のため手術しました。

そのときの陣痛は強烈で、今も忘れません。

犯されて出来てしまった胎児とは言っても、自分の血が通った罪の無い子を、私は殺しました。

望まない妊娠だったけど、赤ちゃんだって、こんな私に望んで宿ったんじゃないんです。

きっと、産まれてきたかったと思います。

赤ちゃんは、汚い母親に宿ってしまったばかりに、その母親に殺されました。私が殺しました。

小◯生で母親になるのが無理だから。そんな理由で、殺してしまいました。

その罪の意識には、今も呪いのように苛まれてます。

中絶を終えて数日後に私が退院した後。赤ちゃんの埋葬が済んでから、A君とその両親と、私と両親が6人で会って話し合って。

夏休み中に中絶出来たのは幸いだ。無理に学校に知らせる必要は無い。と決まりました。

その話し合いの中で、A君は悪びれもせず、信じられない事を言いました。

「お互い好きになって、こうなってしまったんです。

避妊しなかったのは、避妊しなくて良いと言われたからです。

子供はセックスしても妊娠しないから、中で射精しても大丈夫だって、僕が言われたからです。

僕は気が進まなかったけど、しつこく求められたので、中で無理矢理に射精させられました。」

そう言ってきたんです。

更には、最初にセックスを誘ったのは、A君ではなく私。とまで、私の目の前で堂々と言い切ってみせた。

私をズタズタに壊して追い詰めた自覚も、赤ちゃんを殺す羽目になった自覚も、A君には全く無いとしか思えませんでした。

子供はセックスしても妊娠しないから、中で射精しても大丈夫。って、それはA君が言ってた事でしょ!

本当はレイプでしょ!勝手に私の中で逝ったんでしょ!あなたが全て滅茶苦茶にしたんでしょ!と思いました。

そのとき、心の中で壊れた自分が囁きました。

(だから何?今更どうあがいても、凌辱された過去も、赤ちゃん殺した事実も、壊れた自分の心も変えられないでしょ?)

(気持ち良くなって、A君抱き締めながら一緒に腰降ってたじゃん。あの快感、大好きだよね?また味わいたいくせに。)

(レイプされたなんて言えば大事件よ?世間に知れ渡るわよ。10才でセックスして妊娠しました、11才で赤ちゃん堕ろしましたって、友達も先生も親戚も、皆が知るのよ。耐えられるかしら?)

と、囁いてきたんです。

要するに、私が弱かったんです。犯された事を話すのも、知られるのも、怖かったんです。

多分A君も、私が犯された事を言えない弱い性格だと計算ずくで、保身のためにあんな事を言ったんだと思います。

私は、A君の言うとおりだと認めてしまいました。私が自ら避妊を断り、A君に中で逝かせたと、言ってしまいました。

本当の事を言うより、A君の言い訳に合わせてそう答える方が安全に思えたから。

本当の事を言ったら、A君に何をされるか分からなかった。A君が怖かったし。

それにレイプだと言ったら、私がされた事を、全て詳しく私の口から話さなきゃならなくなるし。

レイプだったと、証明しなきゃいけなくなるかも知れない。そんな事、証明出来る訳ないと思いました。

レイプされた屈辱を語るより、嘘でも和姦に失敗したバカ少女を演じた方が、楽だし安全だと、そのとき思ってしまったんです。

私に勇気があれば、その後に起こる惨劇も無かったと思います。本当の事を語る勇気が無かった。私に勇気が無いのが、全て悪いんです。

今でも凌辱された様子を、全て詳しくは書けません。

大人になった今でさえ、部分的にこうして書くのがやっとなのに、まして幼かった当時は、そんな事を人前で口で言えるほど強くなかった。

未だに面と向かって口では言えません。人と顔を合わせずに、文字を使って伝える事しか出来ません。

朽ち果てた私の心に、立ち上がる力なんて既に無く、自ら敗北を選びました。

中絶にかかった費用は、A君側と私側で半分ずつ出し合う事になりました。

つまり私とA君は同罪。責任は五分五分という事です。

むしろ同罪と言うより、その場の雰囲気は、“一番悪いのは明希奈”、“最初のきっかけを作ったのは明希奈”、“A君に迷惑かけたのは明希奈”という風に感じられました。

パパやママからも、A君の両親からも、私への慰めや癒しの言葉なんて、ひと言も無かった。

私はパパとママから、A君とその両親の目の前で、『一番の戦犯はお前だ』と言わんばかりの強い叱責を受けた。

そのとき、割って入るようにA君の母親が口走った酷い言葉が、今も頭から離れません。

「明希奈ちゃん、昔、綺麗な黒髪だったわよね?小◯生なのに茶髪に染めてるの?髪の乱れは心の乱れよ。女の子は若いうちに態度が荒れるとお尻が軽くなるって、本当なのね。」

「明希奈ちゃんみたいに早熟な可愛い顔の女の子に、色気を出して誘われたら、そりゃあ思春期の男の子なら、誰でもその気にさせられちゃうわよね。」

と言われました。

私のママからは、もっと酷い事を言われた。

「セックスは生殖行為だからね。明希奈が積極的に無防備な交わりを求めたから、望んでないのに赤ちゃん出来ちゃったのよ。」

「A君は避妊したがってたんでしょ?子供のくせして、興味本意で、無理矢理A君に膣内射精させたなんて!A君の気持ちも考えなさい。明希奈、あんた自分がどんな恥ずかしい酷い事をしたか分かってるの?」

と、まるで、発情した牝猫みたいに私が求愛行動をして、A君を誘惑したのを見てきたかのような言い方でした。

私が、仮に可愛い顔だったとしても、元々大嫌いだったA君なんかに、色気を使って誘った覚えはありません。

仮に可愛い自覚があって、使える色気を持っていたとしても、あのA君を誘おうなんて、間違っても考えません。

そもそも、好きな人にしか抱かれたくなかったし、結婚するまでセックスする気はありませんでした。

この世に私の味方が一人も居ないと知った私は、何も言えず泣くだけで、もう抗う力がありませんでした。

私はまだガキのくせに、興味本意で背伸びし、避妊の“ひ”の字も知らなかったバカな女の子ゆえに、赤ちゃんが出来るまで、大人の夫婦みたいなペースでセックスして身ごもった淫乱少女。

A君の両親も、私の両親も、そんな風に思ってると感じました。と言うより、そうゆう話が規定路線になってた。

私が犯された事を言わなかったから、仕方ないんですが。

A君も過ちを犯したけど、A君に過ちを犯させた私は、それ以上の悪者なんだよ。という事になりました。

当然、A君との度重なる性行為は、全て合意でやった事になってしまいました。

私の気持ちが安らぎを得る瞬間は、私が最初に犯されてから訪れる事がありません。

眠っているときでさえ、夢の中でA君に犯されました。

更に中絶してから、決まったパターンの嫌な夢もよく見るようになりました。

夢の中で、幼稚園児くらいの幼い女の子が、ジーッと私を憎悪に満ちた冷たい目で睨んで立っているんです。

見た事がない女の子でしたが、顔は、アルバムで見た事がある幼児期の私にそっくりでした。

「よくも、あたしを殺してくれたわね、ママ。」

と、私に向かって言ってきて、その子の両腕が怪物みたいに長く伸びて、私の首を絞めるんです。

「パパとセックス楽しんであたしを作ったくせに、あたしが邪魔者だったから殺したんでしょ。」

「許さない、絶対に許さないから!」

そう叫びながら、物凄い握力で首を絞めてくるんです。

その子の冷たい手の感触。首を絞められた痛み。呼吸が出来ない苦しさ。その全てが現実のようにリアルでした。

「ごめんなさい、ごめんなさい!」

「違うの!本当は嫌だったの!お願い信じて!本当は違うの!」

と言おうとしても、息が苦しくて声が出なくて。

そこで目が覚めて、朝まで怖くて眠れなくなって。1人で怯えて泣いてました。

パパとママは、私が本当の事を言わなかったせいで、A君の言い分を全て信じてしまった。

私を見る目が、変わってるのを感じた。

私は、パパとママが産み出した唯一の、愛の結晶です。子供が欲しいのになかなか出来なくて、結婚してから5年過ぎてやっと産まれたのが私でした。

そんな私が、まだ子供のうちに、いとも容易く赤ちゃんを宿したんですから。

パパとママはショックだったと思うし、失望させてしまい、迷惑をかけてしまって、申し訳なかった。

そして、A君に無理矢理に授けられ、挙げ句に殺してしまった赤ちゃんに、申し訳なかった。

気持ちが付いていけなくて、もう死にたいと思いました。

中絶して体はリセット出来た。A君側の両親とは、事実と違う形でも話し合いで解決した。

なのに、破壊された心は、全くリセット出来ず置き去りになったままでした。

セックス経験者、妊娠経験者、中絶経験者というレッテルに、劣等感に似た感覚を覚えたし、罪悪感もあって、むしろ中絶する以前より更に心が朽ちていきました。

何も出来なかった私が悪いんだ。全部、私だけが悪いんだ。自分で、大嫌いになった自分を責め続ける毎日が続きました。

列車が脱線したまま走り続けているみたいな、そんな日々でした。

最悪の事しか現実にならない現実。もう限界でした。

もう、私ボロボロじゃん。多分一生このままでしょ?人として生きてる価値なんて無いじゃん。なら、死んでもいいよね?と思いました。

生きる意欲が無くなりました。

他に、逃げ道が無かったから。

A君は、全ての元凶のくせに何ら罰を受けてない。少なくとも私にはそう思えた。なのに、私は途切れる事がない罰を受け続けて。

私の人生が短いとか、関係なかった。早く終わらせて、楽になりたかった。

死んだら、殺してしまった赤ちゃんの魂に会える。謝って、償って、責任を果たしたいと考えてました。

7月最後の日。自分の部屋で、左利きの私は、右手の手首にカッターナイフを当てました。

刃の先を、青く透けて見えていた血管に狙いを定めて、突き刺しました。5ミリくらいの深さだと思います。

息が止まるくらい痛かった。

泉から水が湧いて出るように、血がダラダラと傷口から溢れて、刺したままのカッターナイフを伝って左手に流れてきて。

カッターナイフを握りしめた左手の指の隙間に、血が染み込むように流れていくのを、しばらく眺めてました。

このままカッターナイフを走らせれば、大量の血が吹き出して、地獄から逃げられるんだ。と思うと、自然に笑みまで浮かびました。

そして、一気に刃先を走らせて切ろうとしたとき、大好きなパパやママの事が、頭をよぎりました。

仲良しの友達の事も、頭をよぎりました。

(一人っ子の私が死んだら、パパやママは悲しみ過ぎておかしくなっちゃうかもよ?友達も泣いちゃうよ?そんな皆を悲しみに巻き込んで死ぬのは、A君がした事より酷いんじゃない?)

と、辛うじて消えてなかった、壊れてないマトモな私が、心の中で囁きました。

壊れた心が私を追い詰めて、壊れてない心が私の逃げ道を塞いだ。

逃げ道を失い生きる資格も失ったのに、死にたくても死ねない。そんな自分を、弱い私は心のどこかで正当化しようとしていた。

本当は死にたくない。もしかしたら死ななくても、もう大丈夫かも知れない。

そんなズルい気持ちが、心の片隅にあったんだと思います。

カッターナイフを握りしめた感覚が薄れていきました。私は机の上にカッターナイフを置きました。

刃が傷口から抜けた途端に、血が勢いを増して湧き出てきました。体育の授業で使う紅白のハチマキで、左手と口を使って右手首を縛って、なんとか出血を止めました。

結局、リストカットには失敗しました。私の一度目の自殺未遂でした。

誤ってカッターナイフで刺したと言い訳して、ママに外科に連れて行ってもらって。

生きる価値が無いくせに、死ぬ勇気も無い。自分が最低の人間に思えた。

でも、死ねないなら生きるしかない。だったら、純白でなくても、純白に近い白でいよう。それなら生きてても、神様は許してくれるかな?

リストカットに失敗して包帯を巻かれた右手を眺めながら、そんな虫のいい淡い希望を持ちました。

その日以降、平穏無事な生活が続いてれば、少しずつ立ち直れたかも知れなかった。

その脆弱な望みは、いとも簡単に神様が握り潰しました。

自殺未遂した翌日は、8月1日。夏休み中の1回目の登校日でした。学校で行われた事は、全校集会と掃除とホームルームぐらいだったと思います。

だから、午前中で全校生徒は帰宅しました。

私と、A君を除いて。

ホームルームが終わり、帰るため教室を出たとき、隣の教室から出てきたA君に呼び止められました。

「お前、6年生になってから髪型ショートだね。綾波みたいで似合ってんじゃん。可愛過ぎて、俺めっちゃ好き。」

と言われた。髪を切った効果なんて、全くありませんでした。むしろ逆効果だったかも知れません。

A君に盛んに、可愛いと言われました。

無理矢理に腕を引かれて、体育館の備品倉庫に連れて行かれました。

ボールやマットや跳び箱を保管している倉庫。扉が無い小部屋だけど、体育館の隅っこの奥まった所にあって、人目につかないし、いつも薄暗かった。

過去に何度も、A君に犯された場所です。そんな場所に連れて来られたという事は、A君がまた私を襲う気なんだと、すぐに察しました。

6年生になってから、半年近く襲われてなかったんですが、この日以降、また凌辱される地獄が始まりました。

その半年くらいの間で、A君の背丈や肩幅は、私より確実に大きくなってました。

私の体も、半年前と比べて、急に大人びた自覚がありました。

体の形は、小柄な小◯生とは言っても、それなりに大人っぽく変化してました。多分、私の年齢の割には、少し速い成長だったと思います。

そんな私の体の変化を、A君は汚く恥ずかしい表現で、罵るように褒めた。

もう嫌だ。私はA君にそう伝えました。

「ヤリマンのくせして良い子ぶるな。」

A君に、そう言われた。汚い言葉で罵られた。いやらしい言葉で、私の体の成長した部分を蔑まれた。

「今朝、体がエロくなったお前を見てから、ずっとムラムラしてた。」

「お前が、俺を我慢出来なくさせてるんだ。」

「お前、俺とセックスして気持ち良くなって、俺にしがみついてアンアン言ってたじゃん。」

「妊娠しなきゃ良いだけだろ。」

色々と、酷い事を言われた。

もうやめて下さい。お願いします。お願いします‼と、私は手を合わせてA君にお願いした。それが私に出来る精一杯の抵抗でした。

けど、そんな抵抗が通用するわけ無かった。

A君は、私を平手で殴りました。倒れるまで殴りました。

私は、A君に命令され、着ていた物を全て脱ぎました。

私は手で、下半身の部分と胸を隠して立ってたら、A君は、胸を隠していた私の右手を握って、力ずくでどけました。そのとき、包帯を巻いていた右手首を掴まれて、傷口に激痛が走りました。

その激痛だけで、私はもうA君に勝てっこないと思わされ、A君に逆らう気持ちは完全に喪失しました。

そのまま押し倒され、乱雑な前戯が始まった。

やっぱり昨日、リストカットして死んでれば良かったんだ。

そう思いながら、A君のペニスで、また体を突き通された。

これで何度目かな?もう、何度目でもいいや。結局、神様を信じた私がバカだったんだ。

そう思いながら犯されてた。そのとき感じた快感なんて、何の慰めにもならなかった。

「妊娠しないように、外出ししてやるから安心しろよ。」

と言われた。私も避妊の知識があまり無かったから、妊娠するリスクは考えてなかった。

A君は、さも気持ち良さそうに私の名前を口にしながら、ケータイで犯されてる私の様子を撮ってた。

やがて外出しで逝ったA君に、目の前で体にドロドロしたおぞましい精液をかけられた。

ペニスを抜いた瞬間に、お腹めがけて射精したみたいだったけど、精液が胸や顔にまで飛んできた。

初めて射精を見た。人の体が作った液体とは思えなかった。肌にかかったとき、人の体温よりずっと熱いように感じた。

怪物か魔物から放たれてるように見えて、恐ろしかった。

性教育の授業で、射精で出る精液の量はスプーン1杯程度だと教わった筈だったけど、どう見てもそれ以上の量でした。

過去に何度も、あれを膣で受け止めてたんだと思うと、余計に怖くなった。

A君は私が脱いだ下着で精液を拭き取り、それを私の口に押し込まれた。

愛情も尊重も感じられなかった。そこで記憶が途切れたみたいに曖昧になって。

気が付いたら、A君に乗られて繋がっていて、またすぐ睡魔のような感覚に襲われ、意識が薄れていって。

次に気が付いたら、A君は居なくて、私は裸のまま床にベッタリと座り込んでました。

その日の夜、またリストカットしようとしました。でも、切ろうとするとパパやママの顔が頭に浮かんで切れなくなりました。

死ぬのが怖い自分が、まだ心の中に居たからです。

自分が弱いから死ねないんだ。もっと強くならないと死ねない。と思いました。

それ以来、何度も嫌な夢を見ました。

夢の中で、幼い私に似たあの女の子が、また首を絞めるんです。

「あたしを殺せたくせに、自分を殺すのは何で出来ないの?」

「早く死んでよ、ママ。」

「死なないなら、A君を使って何度でもママを汚し続けてあげるから。」

その子は、首を絞めながら、そう言ってきて。

そんな夢を見るのが怖くて、夜が嫌になっていきました。

8月半ばの2回目の登校日も、A君に放課後に犯されました。

このときは、臭くて汚いペニスを口に入れるよう言われた。口の中で射精させろと言われた。

私は奴隷のように、やれとA君に言われた事を全てやりました。

オシッコと同じ臭いがするペニスを、泣きながら口に入れて。口の中で射精させた。

精液を飲めと言われて、臭くて不味い精液を飲みました。

その後、外出しで数回犯されました。

口の中から喉の奥まで、精液でヌルヌルして気持ち悪く、帰り道の途中、たまらず道端で嘔吐しました。

二学期になり、放課後は毎日のように犯されてた。

私の中でA君が逝く事は無かった。でも、外出しが避妊にならないなんて、私はまだ知らなかった。

8月の生理の後、また生理が来なくなった。

11才にして、二度目の妊娠でした。でも、妊娠してるはず無いと信じてしまってた。

熱っぽい日が続き、10月になると頻繁に嘔吐しました。

そして11月。

妊娠の前科があったから、私の体調の崩れ方を見て怪しんだママに、また病院に連れて行かれました。

妊娠12週目だった。

当然、中絶するよう言われた。

私は、もう赤ちゃんを殺したくなかった。だから、中絶を拒んだんです。

出産予定は5月。そのときには、私は12才の中学1年生です。

世間的に見たら、そんな立場で赤ちゃんを産みたいなんて、有り得ないのは分かってた。

A君側にも、また私がA君の子を宿した事が伝えられ、双方の両親から中絶するよう強く求められたけど。

私は、産むと言って譲らなかった。

望んでA君に犯されたわけでもなかったし、当然妊娠も出産も望んでなかったけど、赤ちゃんを殺すのは一番望んでなかった。

私の頭がおかしくなって、考え方がズレてしまってたのかも知れないけど。

産んだ後、育てるのは無理だと分かっていたから、誰かに養子として授ければ良い。

産んでから、私は自分の命を絶とう。そう決めていました。

「そんな歳で産みの母になって恥ずかしくないのか?」

と言われた。

「頼むから中絶してほしい。」

と言われた。

「A君の将来の事も考えなさい。」

とまで言われた。

A君に至っては、

「僕は避妊すると言ったのに、大丈夫だと言われて拒まれた。」

とか言い出した。

でも、私にはA君の将来の事なんて、全く関心が無かった。

A君のためにまた赤ちゃんを殺すなんて気には、なれなかった。

A君が何を言おうが関係なかった。産んで苦しむのが自分なのも分かってた。

ただ、赤ちゃんを2回も殺すのは耐えられなかった。

そんな私の願いは、また神様に握り潰された。

12月、クリスマスの日。私は家で突然激しい腹痛に襲われ、流産しました。

間もなく妊娠19週目だった。また、産んであげられなかった。今度は、神様が赤ちゃんを殺した。

私は、赤ちゃんを殺したせいで苦しみ続けていたのに、神様は赤ちゃんを殺しても良いんだ。

神様は赤ちゃんを殺した私を罰し続けてたくせに、神様は赤ちゃんを殺すんだ。

また神様は、A君の味方をしたんだ。

小◯生のくせに2回も妊娠した事で、パパとママは、私を“手のつけられない淫乱女子”だと蔑む目で見るようになった。

A君はその後、自重したのか、凌辱される事は、それからしばらく無くなりました。

あくまで、しばらくです。

小学校の卒業式が終わった後の春休みの最中だった、3月22日。私が12才になった誕生日でした。

クラスメートの女子の友達に「今から明希奈の誕生日のお祝いしたくて、友達集めたから一緒に遊ぼう」と、その子の家に呼ばれました。

行ってみたら、その女の子と、他に女子が2人。A君を含む男子が6人居た。全員私のクラスメートでした。

A君が自慢気に、私とセックスしてた事や、私が妊娠して中絶も経験していた事を、このクラスメート達に教えたと知らされました。

暴力で捩じ伏せて私を犯した事は、黙ってたみたいだけど。

私がA君とセックスしてるとき撮られた動画まで、証拠だと言われて見せられた。

映っている床の色とかで、体育館の備品倉庫だとすぐ分かりました。

映っていた私は、全裸で仰向けに床に寝かされていた。

A君に繋げられた膣から出入りするペニスが丸見えだった。

顔を左右に振ったり、仰け反らせていたけど、髪色が不揃いなショートの茶髪を振り乱している私が映ってました。

私は、裏返されたカエルみたいに脚を開いて、自ら腰を前後にくねらせて振ってた。

A君は体の一部しか映ってない。A君の目線で見下ろして撮られた画像だった。

撮っていたケータイと目を合わせた私は、快感で泳いだような目をしていた。A君の左手と自分の右手の掌を重ね合わせて、指をギュッと組み合わせていた。

「気持ち良い、気持ち良い、好きだよ、愛してるよ。明希奈、お前もだろ?好きだよ、好きだよ。」

と、A君が無我夢中に悶えていた。

再生された画面の中で、仰向けの私が、A君の下半身に突かれながら、荒い息のような声を出して悶えてた。

その私の声は、快感で出てしまっていた声。自分でも信じたくないくらい、リズミカルで気持ち良さそうな声。自分の声とは思えない、高くて可愛い声だった。

「また、ちゃんと外出ししてやるよ。もう出ちゃう、出ちゃう、ああっ、ああっ、やべっ!」

というA君の声が聞こえた。

ケータイの画像がブレ始めたので、A君の動きが早まり、激しくなったのが分かった。

A君が

「あっぶねぇ!」

と叫びながら私からペニスを抜いた瞬間、濁った精液が私の下半身から胸にかけて、放射状に飛び散ってた。

その後、髪を鷲掴みされた私は、自分で舌を伸ばして、ペニスを舐めて掃除させられたところで動画が終わった。

その一部始終で、私がセックスを拒否する仕草は全く見られなかった。

誰がどう見たって、その様子は和姦でした。

A君に犯されたときの恐怖が一気に鮮明に甦ってきて、頭の中が混乱し始めて、体が震えだして、顔から血の気が引いていくのが分かった。

『明希奈って、茶髪の不良なだけあって、陰では過激ね。学校では、おとなしいくせに。

A君の子を、もう2回も妊娠したんだってね。

中◯生になったら、皆にその話をバラす。この画像を学校中に拡散させる。

明希奈って、不良のくせに、学校ではカワイ子ぶってるじゃん。

あんたの事がムカついてる女子、いっぱいいるのよ。知ってた?

だから、明希奈の事が好きな男子とか、明希奈とならヤリたいっていう男子を探して、明希奈のために、ここに集めてあげたのよ。

男子2~3人呼ぶつもりだったけど、明希奈モテモテだから、6人になっちゃった。

ここで男子全員とセックスしてくれたら、A君が持ってる画像は全て消してあげるし、A君との関係も黙っててあげる。

どっちをとるの?』

と、私は脅されました。

皆の前で、裸になるしかありませんでした。

「精液であたしの部屋のカーペットが汚れちゃう。新聞紙持って来るから、敷いてその上でやってよ。」

とか、

「何回妊娠しても、またどうせ堕ろすに決まってんだから、ここで妊娠させようよ。」

とか、私を呼び出した女子が、そんな事を言い出して、男子に外出しも避妊も禁じた。

『始めはA君にセックスのお手本見せてもらおうよ。

その次からは、ジャンケンで順番決めよっか。

射精は、今日12才になった明希奈へのお祝いの祝砲だからさ。

男子全員に、お祝いに明希奈の膣の奥で射精キメてもらうから。

良いわよね?明希奈。』

クラスメートの3人の女子が囲んで眺める中で、裸で仰向けになった私は、6人の男子から、1人ずつ順番に犯された。

私は、頭の中がパニックだった。最初の男子は、手本を見せるとかいう理由でA君だったのは覚えてます。

その次からは、誰と、どういう順番で犯されてたのか、思い出せないんです。

A君の後の5人の男子が一巡したら、二巡目。二巡目からは、誰と何回繋がったか分かりません。

ある男子は、

「気持ち良い、気持ち良い。」

と連呼しながら逝って、別の男子は、

「ずっと好きだったんだよ、明希奈。出来ちゃったら堕ろせよ。」

と呟きながら逝ってた。

「ガキのくせに、でけえ胸だな。もう乳出るんじゃね?」

「明希奈のくびれた細い体、パンパンに孕ませてやる。」

とか、言いながら、代わる代わる私を犯してた。もっと色々な事も言われた。

男子達は皆、欲望の塊だった。ただ射精するだけのための“おもちゃ”として私を扱った。

男子6人全員に、何度も繰り返し私の膣内か、口の中で射精された。口の中で出された精液も全て飲まされました。

そのうちに膣から、ペニスで掻き出された精液が溢れ出るようになり、それでもなお膣内射精され続けた。

そんな状況でも、快感で脳まで溶けそうで、私の腰は勝手に動いた。そんな自分に強い嫌悪感を抱き、もう涙も出なくなってた。

一瞬か数分か、気が遠くなり、気が付いたら男子の体の上に股がってた。そのまま相手が射精するまで、腰を振らされた。

何回か、眠るように気を失っては目を覚まして。目を覚ますと誰かが私と繋がっていて。

犯されてる間ずっと、狂おしい快感を感じていた自分が嫌だった。その快感自体が、私にとって拷問でしかなかった。

それでも私が逝かなかったのは、何回も気が遠のいたからかも知れません。

途中からは、2~3人から同時に犯されたし、もう自分が今、誰と交わってるのかすら、よく分からなくなってた。

男子達が怖かった。許せなかった。そして、その場に居た3人の女子も同じくらい許せなかった。

私と同じ女の子なのに、犯される辛さが分からないの?いえ、分かっていたからこそ、嫌がらせの手段として打ってつけだと考えたんだと思います。

「明希奈って、チビで痩せてるくせに、あたしよりおっぱい立派だ。超むかつくから、もっとイジメてやって。」

「小5でA君に処女あげたんだってね。さすが茶髪の不良だけに経験早いよね。」

「気持ち良さそうに声出しちゃって。良い絵が撮れてるよ。」

「取っ替え引っ替えで男子に愛されて、幸せ者だね。きっと将来良いお嫁さんになれるよ。」

「ペニス根元までズボズボ入っちゃって、良い眺めだわ。もっと激しく腰振りなさいよ。」

「洗ってないペニスなんて、よく口でしゃぶれるね。上級者なのね。」

「口の中で出された精液、全部飲んでよ。明希奈だったら出来るでしょ。」

3人の女子達は、笑って私を囲んで口々にそのような事を色々言いながら、ケータイで撮ったり、お菓子を食べたりしながら、犯されてる私を見物してた。

犯されながら、動画を撮られて、カメラ目線で笑顔でピースサインまでさせられた。

「男子全員が精液を出し尽くしたから」

とか

「お腹空いたから」

という理由で、ようやく凌辱地獄が終わった。

お昼過ぎから夕方まで、5時間以上輪姦されてた。

A君は約束通り、過去の動画は全て消した。けど、その日に新たに皆から動画を撮られてたから、その約束は全然意味が無かった。

だから死の不安は最初からありませんでした。

産み落としてから丸一日経って、病院で目が覚めたとき、(あれ?私、まだ生きてる。)と、私は思いました。

顔を真横に向けたら、枕の横に置かれていたノラたんと目があって、ビックリして。

そのとき、パパがベッドの横で、点滴の管が繋がった私の右手を握ったまま、疲れきってうなだれたように座って眠ってました。

私がパパの手を軽く握り返しただけで、ハッとパパが目を覚まして。

私と目が合った途端に、パパは涙をポロポロ流し初めて、ずっと私の名前を言い続けながら、泣いてました。

ごめんなさい。私はそう言った筈だったけど、酸素マスク着けてたし、唇が微かに動かせただけで、全く声が出なかった。

力を振り絞っても掠れた声しか出なくて。そんな声で、

「ママは?」

と聞いたら、家で寝込んでると言われました。

赤ちゃんが産まれたとき、パパとママは一緒に手術室の外の廊下にいたそうです。

赤ちゃんの産声と同時に、私の絶叫が絶え間なく廊下に響いて、ママはそれを聞いて憔悴してしまって。

途中で、血だらけの姿で手術室から出てきた先生に、私が重篤でもう意識がないと聞かされた途端に、ママは倒れてしまったので、今は家で休んでるけど心配しなくて大丈夫だよ。とパパから聞いて。

パパは、ママを車で家に連れて帰ったあと、すぐ病院に戻ってきて、ずっと私のそばに居てくれてた。

妊娠する度に、両親に蔑む目で見られていると思ってたけど、本当は愛されていたんだと感じました。

私は、そのまますぐ睡魔に襲われ、いつの間にか眠ってしまいました。

出産してそのまま死ねるつもりでいたから。まだ生き続けなきゃならないと思うと、辛かった。

あれだけ私を痛みつけながら、死なせてくれなかった神様を憎んだ。

親の愛情に気付いた事で、余計に死にづらくなった。

赤ちゃんは産まれた瞬間から私のものではなくなる事が決まっていたので、見せてもらえなかった。

レイプされて産んでしまった赤ちゃんを、見る勇気も無かったけど。

産んだ赤ちゃんは3,297グラムの女の子という事以外、私には何も知らされなかった。

産んだ子には、こんな私が産みの母親だなんて、父親がケダモノだなんて、知ってほしくありません。

産んだ事で、1つの責任を果たした達成感みたいなものはあったけど、感動なんてありませんでした。

その後も、よく嫌な夢を見ました。

あの私に似た女の子が、私を責め続けるんです。

「ママ、まだ子供のくせに子供産んじゃったのね。あたしを産んでくれなかったのに。」

「苦労して赤ちゃん産んだ自分を、偉いとか勘違いしてるでしょ?」

「今更そんな事したって、私を殺した罪が許されるわけないのに。」

「あの赤ちゃん、産みの親が12才の不良女子中◯生だと知ったら、どんな気持ちになるかな?父親が誰か分からないなんて、知ったらどんな気持ちになるかな?」

「ママが死ぬまで、ずーっと、ずーっと苦しんでもらうからね。」

「汚いママは、もう生きてる資格なんて無いのよ。早く死んでよ。」

と、私を責め続けるんです。

その子に首を絞められ、もがき苦しみながら、私は「ごめんなさい、ごめんなさい!」と謝り続けて。

目が覚めると、汗で体がビッショリでした。

その後、何回かリストカットは試みたけど、死ぬための最後のひと押しが、どうしても出来なかった。

私を蔑む事があっても、それは私のせい。昔からパパやママの事が好きだったから。尊敬してたし、また愛されたいと思っていたから、死を直前でためらってしまったんだと思います。

もうひとつ、不思議なパターンの夢を見るようになりました。

見覚えの無い幼稚園児みたいな男の子が、私の前に立っている夢。

「僕、ママから産まれて来れなかった。ごめんね。」

初めてその夢を見たとき、その男の子にそう言われました。

「ママ。僕を産もうとしてくれて、ありがとうね。」

と言われて、えっ?と思いました。

(まさか私が流産した子なの?)と思い、手を伸ばして近付こうとすると、男の子は離れていくんです。

「こっちに来ちゃ駄目だよ!ママ、死んじゃうよ?」

「ママ、酷い事をされてたよね。ママの事は何でも知ってるよ。僕がいつかママの仇を討ってあげる。」

そう言って消えていきました。そんな夢を、何回も見ました。

やがて高◯生になりました。同い年の男子に対して恐怖心があったので、私立の女子校を選びました。

地元では有名な品の良い進学校で、いわゆるお嬢様学校でした。

私ほど色が抜けた茶髪の生徒は居なかったけど、この高校は地毛だと認めてくれたので、表向きは問題の無い学校生活でした。

でも、心が壊れたままの私が、マトモな生活を送れるはずが無かった。

リストカットは失敗し続けていたけど、カッターナイフを手首に突き刺す程度の事は、何度も繰り返していて、私の右手首は大抵包帯が巻かれてました。

自暴自棄になってました。

自暴自棄から自分の体を粗暴に扱いたくなる衝動が生まれて、援交に近い事を、してしまいました。

お金等は一切貰わないようにしていたから、厳密には援交ではないけれど。

つまり、タダで自分を抱かせていました。

中学時代のうちに、私の体はほぼ完全に大人になった。

高校1年生の一学期のとき、身長153センチだったと思います。自分では結構伸びたと思うけど、周りの女子も成長してたから、全体の中ではチビのままでしたけど。

高校に進学した頃には、脚や腰回りの曲線とか、豊かに増した胸の膨らみとか、かなり立派にエロチックになってた。

高校に通うようになってすぐに、私は性的に荒れました。

おまけに茶髪なので、制服を少しルーズに着るだけで、Hが好きそうな素行の良くない女子◯生の雰囲気を、簡単に演じる事が出来ました。

ピアスを左右の耳に2個ずつ付けて、リボンタイを緩めて、制服のブラウスの胸元を開けて、スカートから生脚を見せながら、ナンパスポットとか漁り場とか呼ばれる場所をただ歩くだけで、それ目的の男性を簡単に釣る事が出来ました。

そして、私に食い付いた男性と意気投合して、私は制服の上から薄手のカーディガンを羽織って制服を隠してホテルに入り、抱き合いました。

本名を名乗ってるかも怪しい、連絡先も知らない初対面の相手と、一度限りの体の繋がりを持ちました。

この頃が、壊れた心が一番酷く表れていたかも知れません。

セックスがストレス解消法のような、或いは男性の性欲を利用した自慰行為みたいな感じでした。

避妊はコンドーム。セックスするのが当たり前の日常の生活習慣になってた。コンドーム代に毎月2万円以上使ってたので、コンドーム代のためにファミレスでアルバイトもしてた。

もうセックスに特別な感情は必要なかった。抱いてくれさえすれば、愛情なんて有っても無くても気にしなかった。

一応、和姦なわけだし。売春じゃないし。

レイプされ続けるセックスより、100倍マシだったから。レイプじゃなければ、誰と寝ても平気になってた。

平均して、月に10人くらいとセックスしてた。

すぐに私も、セックスで逝く事を知った。男性に抱かれ逝き狂う事が唯一の生き甲斐のようになり、歯止めが利かなくなっていきました。

体重110キロ越えた肥満の相手もいたし、私のパパより年上の相手もいた。

肌の色が違う外国人だった事もあります。

孫と私が同い年だと言われた事もありました。

男性達は、色んな体位で逝ったけど、私と唇を執拗に重ねたり、夢中で乳房を弄ぶあたりは、A君とあまり変わらなかった。

でも、レイプと和姦とでは、私の感じ方が全然違った。

男性と交わりながら逝く快感は麻薬のようで、止められなくなりました。

抱かれて快感に酔いしれているときだけ、生きてる事を実感出来た。

あるとき、コンドームが膣内で裂けて、一度だけ膣内で射精を受けてしまいました。

後日、自分で密かに妊娠検査キットで調べて、陽性がでて妊娠してると知った。

私は退学覚悟で産むつもりだった。妊娠は親にも学校にも言わなかった。

そして、高校2年生の夏休みのとき。全く病院に行ってなかったので、自分で生理の最終日から数えて妊娠12週目の事でした。

妊娠してからずっと腹痛を感じていたので、おかしいと私は感じてましたが、その日、家で突如激しい腹痛に見舞われて、病院に運ばれました。

子宮外妊娠でした。子宮ではなく卵菅に受精卵が着床したせいで、卵菅破裂していました。

そして、左右2つある卵巣のうち、左の卵巣が機能を失いました。

仮に将来赤ちゃんが欲しくなっても、卵巣1つに頼るしかない、妊娠しにくい体になってしまったのですが、生き続ける意欲は無かったから、気にもしませんでした。

子宮外妊娠の場合、着床した段階で既に出産は出来ません。最初から流産する運命でした。

私はそのときも、相手の男性は誰か言わなかったし、不特定多数のセックスに溺れてる事まで、親は気付かなかった。

妊娠しただけで退学させられるほど、高校は校則が厳しかった。けど、学校には妊娠は伝えられなかったので、学校からのお咎めはありませんでした。

そんなある日、高校3年生の三学期に、私は夢を見ました。

私に優しく話しかけてくる、あの幼い男の子の夢です。

「ママ、また男の人と寝てたよね。何で自分の体を大事にしないの?」と聞かれました。

「生きてる私が、受けなきゃいけない罰だからよ。」と私は答えました。

「受けなくていい罰だよね。ママは最初から悪くなかったよね。やめて。お願い、ママ。」

そう言って男の子は消えました。

そのすぐ後、今度はあの幼い女の子が出てきて。

「ママが死なないから、罰を受け続けてるだけでしょ。気持ち良さそうに逝き狂って、何が罰よ!そんな人生、周りに迷惑だから、早く死んで終わりにしなさいよ!」

「心が壊れてる不良が死んだって、誰も困らないでしょ。ママは、生きてる必要ないのよ。だから、もういいかげんに死んで。」

と言って私の首を絞めてきたところで目が覚めました。

本当に私が死ぬべきなら、中立的な立場から「死になさい」と迷わず言って欲しいし。

私が苦しみながらでも生きるべきなら、どう生きれば良いか、教えて欲しいので。

それが、場違いを承知で、敢えてこの場を借りた理由です。

長い話でごめんなさい。分かりづらい文章でごめんなさい。

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