今は児童ポルノ法があるので、もうこんな体験はできないでしょう。
始まりは私が11才の頃に遡ります。
現在51才ですので40年前、私が小学5年の事です。
その頃私は両親と2才年下の妹の4人家族でした。
ある夏の日私達4人は隣町に住んでいる母の友人のお宅に遊びに行ったんです。
松田さんという夫婦と娘さんの3人家族のお宅でした。
娘さんは私と同い年でしたので当時小学5年です。ひろこちゃんと言う名前でした。
夕方になり私達が帰るころに松田さんたちはお風呂に行くと言い出しました。市営住宅に住んでいた松田さん宅にはお風呂がなく、毎日近所の銭湯に行っていたんじゃないかと記憶しています。
私達もついでに銭湯に入って帰る事にしたんですが、私は母親についていき女湯に入ったんです。父親はいましたが、母親べったりの私はそれを理由に女湯に入る口実にしました。今から思えば情けない小学生でした。
女湯に母親と妹、松田さんの奥さん、そしてひろこちゃんと入りました。
昭和の50年代、まだ人々が銭湯を毎日利用していた時代、ロリコンという言葉にわいせつさもなかった時代かもしれません。
洗い場で母親と妹にくっついてちんちんを股に挟み女の子みたいにしていた私の前にひろこちゃんがタオルで隠さずに堂々と立って話しかけていたのを今も鮮明に覚えています。
私は健康的にニコニコしながら小学5年の女の子が話しかけてくるのをドキドキしながら見てたんです。
胸のふくらみもありましたが、目が釘付けになるのはやはり股関の割れ目でした。
小学5年の男子が同学年の女子の裸を見る機会などないんです。
ですからどうしても目線はひろこちゃんの縦に入ったスリットにいってしまうのでした。
彼女がまったく隠そうとしてなかったのは、親同士が友達という事で親戚のように感じていたのかもしれませんし、裸を見る男子の反応を楽しんでいたのかもしれません。
濡れた髪は後ろに流されていて、浮き出た鎖骨は幼い少女の象徴でした。
細い手足とふくらみかけの乳房、その乳房の先にポツンとついてあるピンク色の蕾のような乳首。
髪の毛以外は毛が生えてないツルツルの肌。
彼女の秘部も同様にツルツルでした。
そこは赤ちゃんのような単なるスリットではなく、高校生のような毛の生えた女性器でもない感じでした。
つまり前から見てはっきりとわかる深く食い込んだ割れ目と丘は大人になる寸前の貴重な姿なのでした。
それに妙に縦筋の長さもありました。
多分ひろこちゃんは腰をつきだして見せつけていたんでしょう。
今現在私の娘が小学6年です。
運動会や授業参観でクラスメートの女子を見ていると
「この中で恥ずかしがらずに同い年の男子に裸をみせれる子がいるんだろうか?」と考えてしまいます。
今から考えるとそれが原因だと思うのですが松田さんとはそれ以降付き合いはなくなりました。
私が同じ立場なら娘の裸を友人の息子に見られた事に怒りすら感じますから。
それ以来私は女子の裸に興味を持ち始めました。
当時妹は喘息を患い、月に一度西成区にある病院に通院治療していました。
うちは貧しくて両親が共働きで何とか生活をやりくりしていたのですが、西成区に小学3年の娘を一人で行かせるのは怖かったんでしょう。両親は私に付き添いを命じました。小学5年の私は妹と電車に乗り病院まで行ったのです。
帰りは虹の街という、今はなんばウォークにある本屋で立ち読みして帰るのが定番でした。
そこにはお目当ての本があったのです。
清岡純子写真集「プチトマト」?「トマト」そんなタイトルでした。
少女が海辺や砂浜で裸になり、それを撮影した写真集でした。清岡女史は確かに少女の裸を芸術として撮影していたんでしょう。
写真集のどれもがピントはモデルの表情や胸にあわせてあり、股関のスリットはおまけ程度に写っているレベルでした。
しかしながらくっきりとはなくても確かに写りこんでいる少女の割れ目に私は興奮を隠せませんでした。地下のトイレで脳裏にやきついた写真集の画像をおかずに自らのぺニスをしごいて射精して帰ってました。
次に体験したのは私が中1の時、相手は妹です。
妹の名前は裕子です。
今もお盆や正月に帰省してくる妹と実家で会うのですが森高千里似の美人な妹です。
帰りに駅まで送る時に助手席に座る妹を見てるといつも38年前のあの出来事を思い出してしまいます。
妹は小学生5年生でした。
両親を含めて4人家族の中で妹はマスコット的なキャラクターで家族を笑わせていた存在でした。
家族は妹の明るい性格に皆が和まされてました。
どういういきさつかは忘れましたが、笑わすためか妹はある日、男の子のおちんちんの話をしたんです。
同級生の女の子が男子のおちんちんを見たとかいう話から、男子のおちんちんはどんなのか見たい見たいと言って両親を困らせながら笑いをとってました。
「もうこの子ったら」と母親も呆れてました。
そんな中で私達兄弟はある夏の日に留守番をしたんです。
居間で寝転がりマンガを読んでいた私に妹は暇そうなのか話しかけてきました。
マンガを邪魔されて私は
「もうあっち行け」と追い出そうとしたら妹は笑いながら
「じゃあっち行くからおちんちんみせて」と笑いながら言ってきました。
どうせ断るだろうと思っていたので
「いいよ」と淡々と感情を込めずに私は答えました。
「えぇ!本当に!」と笑いながら答えた妹の前に仰向けに寝転がった私はズボンのチャックを下ろしました。
妹の表情は「どうせ恥ずかしくて途中でやめるに決まってる」という感じにみてとれました。
苦笑いしてる妹の前でチャックからペニスを出すと
「えっ!」と驚く妹がとても可愛かったです。
ぽっちゃりしていたりしたらあんな気持ちにはなりませんでした。
「へぇ、こんなんなんだぁ」
自分から言い出した事だから引っ込みがつかなくなりそれでも持ち前の明るさで平常心を保とうとしてるのがわかりました。
でもすでにペニスを見る妹の頬っぺたは真っ赤っかになっていたのです。
「もっと見せたるわ」
私がそう言った時には、妹も返事しないでただペニスをなめ回すように真っ赤になりながらみていたんです。
ズボンのベルトをはずして脱ごうとしたら
妹は「ハッ」と目が覚めたように息を吸い込みました。
ズボンを下ろしてパンツも脱いだ時には、すでにペニスはかちんかちんになってました。見られてる感恥ずかしさより見せている快感が私の脳天から足のつま先まで全身を駆け巡っていたんです。
妹とはいえ小学5年の女子に中学生男子が硬く怒張した性器をみせつけているのです。イヤらしい気持ちにならない方がおかしいです。
興奮の坩堝の最中、我慢できなくなった私は唯一残っていたTシャツにも手をかけました。
妹の前で上半身も裸になり、靴下も脱ぎ去り、全裸で横たわりました。
妹の心臓がドックンドックンしている音まで聞こえてくる気がしました。
「私も脱いだ方がいい?」
(見たい見たい)と笑ってせがむ明るく健康的な少女の姿はもうどこにもなく、代わりに妹の表情には(間近で本当に見るペニスの卑猥さ)(ペニスを見てるという羞恥心)(もっとよく見たいという好奇心)が入り交じり息も荒くなってきてました。
「裕子は脱がなくてもいいよ。その代わり見せるのは一回だけだからよく見てろよ」
妹は返事しないで首を縦にふりました。
私は立ち上がり妹の前に仁王立ちして、
硬く勃起したペニスを妹の顔前に突きだしました。
「裕子にこんなんついてるか?」
そういいながらペニスをつまんで持ち上げて玉袋を見せました。
「ない。女の子にはついてないよ」
真っ赤になりながらも竿と玉から目を離さない妹の下半身を見ると内股でしゃがんで、スカートの間からショーツがみえてました。
Tシャツの胸元からも胸のふくらみも見えていました。
「ちょっと待ってて。トイレ行ってくる」と言い残し私は我慢できずにトイレに駆け込み硬くなったペニスを右手でしごきました。
イ…イキソウ。
射精する寸前で(妹に精液出るところも見せてやろう)
そう考えてリビングに戻ると妹の姿はなく、つけっぱなしのテレビと脱いだ私の衣服だけ散乱していました。
どこに行ったんだろう…
気になりながらも私は素早く服を着て妹の部屋に行きました。
階段を上り左側が妹の部屋でした。
そっとドアを開けてベッドにいた妹を見て私は安心しました。
ショックで自殺していたらと心配していたからです。
妹は私に気づくとあわてて掛け布団を頭からかぶり
「恥ずかしい。見ないで。お兄ちゃん。」
とか細く泣きそうな声で懇願してきました。
あわてて「ゴメン」とだけ謝って口止めしようとしたら妹の方から
「今の事、誰にも言わんといて。お願いやから」と逆に口止めされました。
「う、うん」と口止めされた事に疑問を感じて立ち尽くしていると
「ドア閉めて。一人にさせて。」
と言われて部屋を後にしました。
その晩も両親から叱られる事もなく、なぜかチクられませんでした。
妹も「ちんちん見せて」とはそれ以来言わなくなったのです。
中学生だった私はこの事件から妹に対して性的好奇心を抱くようになりました。
私が中学3年になり、妹は中学1年の頃です。
私は昼間に独りで留守番している時は妹の部屋に入り、吊ってあるセーラー服に抱きつき、タンスの中のスクール水着やブルマの匂いを嗅いでました。
夜、家族が寝静まった後で脱衣室にある脱いだ衣類の中から脱ぎたての妹のショーツを見たりしてました。
陰毛が見つかった時は興奮しました。
そんな中のある日、妹のタンスの中からイヤらしいショーツを見つけた時がありました。
妹は部活で遅くなり両親も共働き。
家にいるのは私だけでした。
いつものように妹の部屋に忍び入りタンスの引き出しを開けました。
下着を探してたんです。
高校受験のストレスとプレッシャーで息抜きするつもりでした。
一番下の引き出しにショーツがたくさん入ってるのを確認して、形を崩さないように注意しながら眺めてました。
そのうち一つくらい広げて見てやろうと考えて一番下の奥にあるのを手に取りました。
ピンクのショーツでかわいい刺繍がありましたが、裏返して見ると茶色のシミがついてました。
シミは低部分ではなく、前の部分に汚れてついてました。洗濯しても落ちなかったんでしょう。
女子の穿くかわいいショーツのクロッチ部分、つまり女性のスリット部分に沿うように縦についてました。
興奮した私は自分の部屋に持ち帰り机に裏返しにしてショーツを置いてシミ部分を両手の中指、人差し指の4本で広げてみるとまるで妹の性器を広げている感覚になり興奮がおさまりません。
(どうしたらこんなシミができるんだろう。おしっこの拭き漏れか?それとも…)
そう考えて縦についてるシミをなぞってみました。
上から下へ、縦スジをなぞるうちにそれが女子の割れ目ぴったりだと気づいたんです。
そして電気にショーツを透かしてみるとシミの下部だけシミが横に広がっていて下着の生地が薄れているのも発見しました。
想像するとこのシミは妹が淫唇を指でなぞったんじゃないかという結論にたどりつきました。そして一番濡れやすい淫乱な膣穴からあふれでるスケベなお汁でショーツに恥ずかしいシミを作ってしまったんだろうって事でした。
こんなシミができるまで…指でこね繰り返して…イヤらしいアソコを…中学生の…
妹の明るい笑顔と裏腹になんてスケベな淫乱中学生なんだ!
私は我慢できなくなり、舌を出して妹のショーツの縦についてるシミ部分に這わせました。
シミをキレイに拭いさるように舌先でチロチロ舐めているとまるで妹の割れ目を舌先で愛撫してる感覚に陥りました。
でもそれで満足できるわけありません。
自分のパンツを脱ぎ捨てて、私は妹のショーツに足を入れました。
サイズが合わずに「ビリッ!ビリッ!」と破れる音がして手を止めました。
見ると私のペニスはショーツの上部から飛び出していました。
もちろん硬くなってましたから収まるわけありません。
小さなショーツは妹の身体の小柄さをあらわしてました。
男用のパンツは前に前が開くようになってますが、女性用には前開きすらありません。
指で外側からシミ部分をなぞりながら
「こうやって割れ目をいじってるのか?裕子!」
耐えられなくなり、ショーツを脱いでペニスに被せてしごきました。
ダメだ!このショーツは返さないと…
という理性と射精したい欲求が頭の中でシーソーのように揺れてましたが、一瞬で射精欲求に打ち負かされました。
妹のショーツは被せた鬼頭からほとばしる男の精を受け止めるティッシュ代わりになりました。
快感が覚めてくると大変な事をした後悔の念でいっぱいでした。
とりあえずショーツは洗って私のベッドの下に隠しました。
たしかそのショーツは学校にこっそり持っていき、帰りに公衆トイレで何度もティッシュ代わりに使用し精液を洗い落としてはベッドの下に隠してました。
ボロボロになって最後だけは鮮明に覚えています。
棄てると決意して学校帰りに公衆トイレに行き大便をした後に、ショーツのお尻が当たる部分、つまり最低部分を使って私の尻穴を拭き取りました。
それから小便をぶっかけてから二回射精してぼろ雑巾な感じになってやっと汚物入れに棄てたんです。
それ以来私の中では妹は性の対象になりましたが、常に妄想の域で終わってました。
やがて高校を卒業して就職してから車を購入しました。
大阪の繁華街まで毎日仕事帰りに行きました。
その頃のブームは少女写真集でした。
力武という写真家撮影の写真家を買い漁りました。
未成年の少女が裸で修正もなく写ってるのに何度も興奮しました。
植物のツルやティッシュを12才の少女が割れ目に挟んでカメラに撮影されているのです。胸ももちろん丸見えです。
そのうち西村理佳という少女のものは何も隠してないばっちり割れ目から胸のふくらみ、乳首まで余すところまったくないものでした。
そのうち行きつけの古書店で声をかけられました。
「兄ちゃん。小さい子に興味あるならいいのあるで。ちょっと値は張るけどな」
店主が出してきた写真集を見てびっくりしました。モデルが妹そっくりだったんです。
名前は忘れましたがタイトルは忘れてません。
「君はキラリ」
頭の中に未だに保存している画像では
表紙はスクール水着。確かピンクか赤。
中程には砂浜でそのスクール水着を脱いでる途中の画像。
そして次は全て脱いだ少女の全裸。
それは割れ目というだけではなく、小さな包皮が芽のようにみえてました。
小さな芽はクリトリスを包むためのものでしょう。12才の少女の性器でした。
今となっては所持していれば間違いなく捕まります。
何度も何度もオナニーのネタにしていた写真集は児童ポルノ法施行される前日にゴミ袋に入れて棄てた記憶あります。
話は戻りますが力武写真集が出版されていた頃はブルセラショップや援助交際が流行っていて未成年が性の対象になってました。
大阪の旭区で声をかけられました。
旭区には古書店があり君はキラリ以外にも少女がカネで男たちにまわされていた妖精伝説というのも買っていた店でです。
「キミ、よく見かけるけどこういう幼い子供に興味あるの?」
その声をかけてきた池田氏(仮名)に誘われて高槻まで行きました。
そこで援助交際希望の中○生と池田氏とホテルで撮影したんです。
児童ポルノ法施行前の話です。
私は車を出して撮影する役でした。
私は撮影したビデオを捨てましたが、池田氏が存命ならまだ所持してるかもしれません。
生きているなら70才くらいになっていると思われます。
私は結婚して娘がいますが、ちょっと最近おかしな気持ちになる時もあります。
性的虐待にならないように理性は何とか保てていますがあの頃は本当に良かった時代でした。