早く欲しいの。

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月曜日の午後9時過ぎ。

わたしは叫びたいほどの苛立ちを胸に、蒸し暑い繁華街から駅に向かう帰路についていた。

この職場で仕事を始めてもう2年以上経つというのに、患者さんのダブルブッキングというありえない初歩的なミスをしてしまった。

しかしそれだけなら自己嫌悪に陥ってもサッと気分を切り替えて明日からの仕事をがんばることのできる年齢のわたしであるが、問題は終業後に折り返した母からの電話である。

頻繁に連絡を取り合う仲でもない母からの電話だったので、面倒半分心配半分で折り返しの電話をかけてみればすぐさま後悔した。

やれ『そろそろ結婚しないのか』

やれ『次女は大企業勤めでがんばっている』

やれ『三女はお金持ちの御曹司を彼氏として連れて来た』

そして極め付けは『あんたもマッサージなんてよくわからない仕事はさっさと辞めて、どこかいいところに嫁ぎなさい』である。

某名門大学在学中にわたしを妊娠し、職歴無く22歳の若さで家庭に入ったウチの母は、娘たちに自分の夢を託す女だった。

自分はキャリアウーマンになりたかったのに子供ができたため家庭に入らねばならなかった悲劇のヒロイン気取りの母は、4人の娘たち全員に一流大学から一流企業に就職して働くことを望んだ。

しかしわたしだけ大学に進学しなかったので、某大手化粧品メーカーに就職した次女、某名門お嬢様大学に進学した三女、某有名国立大学に進学した四女を引き合いに出して、事あるごとにわたしに叱言をぶつける。

そんな考え方の母だから、キャリアウーマンでもない長女に望むのは早く自分に孫の顔を見せることだけで、自分が”キャリア”を捨ててわたしを産んだ年齢をとっくに過ぎているのに、一向にわたしがそういう気配を見せないので、叱言どころではない暴言を投げつけて来る。

ここで一つわたしが叫びたいのは、柔道整復師というのは国家資格である。

数ヶ月の講習をすれば無免許でもできるマッサージと違って、保険が適応される”施術”をすることのできるのが柔道整復師で、その勤務先は病院であったり整骨院であったり(この資格を持っていると自分で整骨院を開業できる)アスリートの専属トレーナーであったりと多岐に及ぶ。

しかし母が言いたいことが『それなのにどうして駅近のマッサージ店で働いてるの』であることは重々承知している。

かつてわたしも総合病院や整骨院で働いていたことはあった。

しかし色々あってどうにも何処にも馴染めなかった。

なので今のマッサージ店に流れ着いて来たのだが、困ったことにわたしは今の職場が本当に本当に居心地が良い。

だから同僚や後輩のマッサージ師たちを引き合いに出して、自分は国家資格の柔道整復師様だから!と母を説得するのはかなり自己嫌悪に陥る。

しかしそうでも言わないと電話を切らない母なので、母と電話をした後はいつも本気で自分が嫌いになる。

繁華街をドスドス歩いていると、美味しいとお酒の香りがわたしを誘ってくる。

こんな日は大酒を飲んで全部忘れるに越したことはないが、”翌日に朝から施術が入っている日はお酒を飲まない(職場の飲み会は別)”という自分ルールを課しているわたしにとって、今晩飲むことは自分への敗北を意味する。

けれど夏の暑さも手伝ってか、まるで苛立ちが収まる気配がしない。

よく考えれば、この苛立ちの原因は終始自己嫌悪にある。

それならば、と思ってわたしは携帯を手に取り、健輔に電話をかけた。

『あー?もしもし?もしもーし!』

「あ、もしもし。聞こえる?」

『おー!大丈夫ー!』

「なに?またパチンコしよると?」

『おー!当たり前やろー!なんやー!どうしたー!』

「あのさ、今からウチ来ん?」

『…お?まじで?なんや!また何か嫌なことがあったんか!』

「はあ?なんでよ」

『だってお前、そういう時しか俺に連絡して来んやん!』

苦笑したわたしが言葉を濁していると健輔は言葉を続けた。

『なんや!とりあえず行っていいんか!』

「うん、おいでよ。もうすぐパチンコ屋さん閉まるやろ?」

『いやいーわ!今日全然出らんし、すぐ切り上げて行くわ!』

電話を切ったあと、少しだけ自己嫌悪が薄まったような気がした。

やっぱりこんな日は健輔である。

今晩セックスをする予定を立てたばかりのわたしは、何事もない顔で改札をくぐって蒸し暑い駅のホームで帰りの電車を待った。

***

脱衣所で洗い髪を拭いているとインターホンが鳴ったので、オートロックを外して服を着ているとすぐに健輔が現れた。

健輔は言った。

「おう!」

「ふふっ、おう!」

じろじろとわたしの姿を舐め回した健輔は「お前、いっつもエロい格好しとるよな」と言って遠慮なくキャミソールの胸元を指で伸ばして谷間をしげしげと覗いた。

そしてそのまま健輔が顔を近付けると汗と煙草の混じった匂いが鼻についたので、わたしは健輔の身体を離して「あーもう、くっさい!さっさとシャワー浴びて来てよ!」と言い残し、寝室の扉の奥に消えた。

健輔は、元甲子園球児の自称パチプロである。

本人曰く”元々はチームのエースで毎年甲子園に行っていた”そうだが、ドラフト指名されることなく高校を卒業すると”なんか燃え尽きた”そうで、それから10年間、パチンコと筋トレだけをする生活を送っている。

髪の毛をドライヤーで乾かしていると、灰色の短パンだけを履いた健輔が鏡の奥に現れた。

しかし筋トレをしていると言っても、見栄っ張りのように隆起した胸筋や二の腕はまだしも、お腹周りは腹筋の影もなく丸々と張り詰め、それはこの10年間の怠惰な生活をありありと物語っているようである。

「お茶」と健輔が言うので「勝手に飲んで。…あ、コップは使ってよ」と返すと、健輔は文句を言いながらガブガブとお茶を飲んだ。

そしてソファにドサリと腰掛けると、鏡の奥からじろじろとわたしの姿を見て言った。

「なんかさ」

「うん?」

「お前、痩せた?」

「えー?別に変わってないよ」

「そっか」

「うん」

ドライヤーを切って櫛で髪を梳き始めると、「ふん」と笑った健輔はワルな男のような口振りで言った。

「なら良かったわ。おっぱい萎んでたらどうしようかと思った」

「うわ。サイテー」

沈黙の中、髪を梳いていると少しの間のあと健輔が口を開いた。

「なあ」

「うん?」

「おっぱい見してよ」

「はあ?見てんじゃん」

「ちげーよ。乳首見せろ、って言ってんの」

「は。イヤやし」

再び訪れた沈黙のあと、健輔は自分を試すように口を開いた。

「なんだ、お前。俺の言うことが聞けねーのかよ」

「は?なんでわたしがそんなことしなきゃいけないんですか」

「お前も俺と同じダメな女だからだろうが」

“ダメな女”と罵られると、嫌いな自分を少しだけ認めてもらえたような気がして、お腹の奥がじわりととろけた。

「は。イヤやし」と再び言って鏡の奥の健輔を睨むと、眉間にしわ寄せた健輔の瞳と目が合った。

けれど本当は嫌いな自分をもっと認めて欲しいわたしは、尖らせたくちびるだけに抵抗の意思を示しながら、そろりと右手でキャミソールとナイトブラを引っ張って、片方の胸を丸ごと露出させた。

ふん、と鼻で笑った健輔は「それでいいんだよお前は」と言ってじろじろと身体を見ながら言葉を続けた。

「いつ見てもエロい乳首してんな、お前」

「…うるさいな」

「そんなデカい乳ぶら下げて生活して、心の中では自慢しながら毎日生きてんだろ」

「そんなことないよ!」

「…」

「…そんなことないよ」

「けど自慢げに思った瞬間はあっただろ。自分のデカい乳が誇らしくてしょうがない瞬間はあっただろ」

「…」

沈黙している間、言われた通りに思ったことのある記憶が次々と脳裏を駆けて、お腹の奥がどろどろと溶け始めた。

「ダメな女だな、お前は」

それをせき止めるために股の間に何かを入れたくなったわたしは、ギュッと内腿を締めた。

するとそれを見逃さなかったように「おい、変態!」とわたしを呼んだ健輔は、わたしにこっちに来るように促した。

ソファに深々と座った健輔の脚の間にペタンと座ったわたしが健輔の顔を見上げると、健輔は顔を上げてわたしを見下し、面倒臭そうな表情を作って言った。

「いいから早く舐めろよ。これが欲しくて俺を呼んだんだろ?」

言われるまま灰色の短パンを脱がせると、太い腿の間に、太った園児の腕みたいな大きさのそれがダラリとソファに垂れて現れた。

ぼんやりとそれを見つめたわたしが、右手でそれに触れようとすると「おい。なに勝手に触ろうとしてんだよ」という低い声が降って来たので、わたしは「ごめんなさい」と謝って目の前のそれを熱く見つめた。

しばらくの間ぼんやりとした瞳でそれを見つめていると、再び低い声が降って来た。

「舐めたいか」

「…はい」

「入れたいか」

「…はい」

それの先端に顔を近づけて、なお健輔の次の言葉を待っていると、健輔は蔑むような声色を出して言ってくれた。

「お前は本当に、ダメな女だな」

「…」

「…」

「…」

「ほら、いいぞ。舐めて」

そう言われた瞬間わたしはすぐさま伸ばした舌先で健輔のそれをすくい上げて口の中に入れた。

そして口の中いっぱいに拡がるそれの太さと硬さに窒息しそうになりながら無我夢中でそれをしゃぶった。

すると、ほどなくして健輔の太ももが軽く緊縮し始めた。

なので、わたしは健輔にお伺いを立てるようにその顔を見上げると、真っ赤な頬を切なそうに歪めていた健輔は、わたしと目が合うなりサッと目を逸らし、ワルそうな声色を震わせて言った。

「…お…おい…」

「なあに?」

「…もう…。…もう舐めるの…やめろ…」

「なんで?」

なおも熱い吐息の中で健輔の大きさを確かめていると、健輔はわたしの両肩をグッと押して言った。

「…だから…もう入れろ、って…言ってんだよ」

気付けば健輔は、わたしよりも熱い吐息を深めていた。

なのにまだわたしのために強気でいてくれようとして、頼りなさげな瞳でわたしを睨みつけた。

そんな健輔にやはり可愛さを覚えたわたしは、パンツを床に落として健輔の太ももの上に乗った。

そして股間に健輔の硬さを感じながら健輔を見下ろしたわたしは、そのくちびるにちょんとくちづけて言った。

「なに。健輔。もうイきそうになっちゃったと?」

普通の声色に戻った健輔は応えた。

「だってお前…そりゃそうだろ…こんな…」

そう言いながら健輔がわたしの胸に目を落とした。

すると健輔の硬さがさらに強度を増した。

なので、キュンとしたわたしは健輔の頭を抱きしめて言った。

「ね!入れる前に一回イっとく?もう結構ギリギリやろ?」

「え…うん。…いいの?」

「いいよ、いいよ!今日も何回もイけるやろ?」

「あ…うん。そりゃあ、まあ…」

「よーし!…ふふっ…じゃあおっぱい触っていいよ」

健輔はとても優しい。

そしてとてもダメな男である。

だからわたしは、そんなダメな男の言われるがままになっていると、現実のダメな自分よりもっとダメな自分を健輔に赦してもらえる気がして、とても心地良い。

そんなわたしをわかってくれているから、健輔はいつもわたしをいじめてくれる。

けれど健輔のあそこは正直、わたしには大き過ぎる。

だからこそ嫌いな自分を痛めつけたい時にはちょうど良くて、こんな自己嫌悪の日にはいつも健輔を頼ってしまう。

しかし健輔はそのことを知らない。

そして自分のそれがわたしを痛めつけるためだけの存在だと知ったら、優しい健輔はきっと傷付く。

だからわたしは、せめてそのことだけは何があっても健輔に伝えないことを心に決めて、この関係を続けている。

「ねーえ?」

「なんだよ」

「早く健輔のおっきいおち◯ちん欲しいよぉ…」

***

翌朝。

目覚ましに起きたわたしが朝のシャワーから出てくると、短パン一枚でベランダで煙草を吸っている健輔の後ろ姿があった。

出勤までには少し時間があったので朝日でも浴びようかとわたしもベランダに出て、健輔の左隣に行ってその顔を見上げた。

すると優しく笑った健輔はゆっくりと煙を吐き出して言った。

「おはよう」

「んふふ、おはよう」

遠くに電車の走る音を聞きながらわたしは続けた。

「起きるの早いね。寝とけばいいのに」

「…いや、今日は開店から並ばなきゃいけないから」

「ははは、さすがやね」

煙草の灰をトントンとポケット灰皿に落とした健輔は言った。

「何か理由がなきゃ起きとけねーんだよ」

「うん?」

「…俺、ニートだから」

静かに煙を吐く健輔の横顔を振り返ってわたしは言った。

「え?”パチプロ”やろ?」

「ははは。ちげーよ」

ベランダの手すりに乗せた太い腕に顔を埋めた健輔は、やんわりと顔を上げて続けた。

「いや…最近…この先どうしたらいいんやろうなー、とか思うことが結構あって」

まさか健輔の口からそんな言葉が出てくるとは思わなかったわたしが黙ってしまっていると、ゆるりとこちらを向いた健輔は続けた。

「お前はえらいな」

「…全然だよ」

「どこがだよ。ちょくちょく職場は変わってるけど、ずーっと仕事は続けてんじゃん」

健輔に倣ってわたしも腕に顔を乗せて、言った。

「…ママには、そんな仕事辞めて早く結婚しろって言われてる」

「はあ?まじで?お前のママどんなやつだよ」

腕に耳をつけて目を閉じていると小鳥のさえずりがした。

それから健輔の声が続いた。

「こないださ」

「うん」

「パチ屋でたまに会うじーさんと喫煙所で喋っててさ」

「うん」

「その人、余生はパチンコが生き甲斐みたいな人なんだけど、最近めっきり見なくなっててさ」

「うん」

「で、こないだ久しぶりに会ったから、『最近全然パチ屋に来てないじゃないっすかー』ってじーさんに言ったんだ」

「うん」

「そしたらじーさん、なんか腰が悪くなって、痛さで動けなくなってたらしくてさ」

「そうなんだ」

「だから『じゃあ治ったんですか?』って聞いたら、『いやー病院行ったら良い整骨院を紹介されまして』って」

「うん」

「『そこの先生に毎週身体を触ってもらってたら、今じゃもうこの通り絶好調よ』って」

「…うん」

「じーさん、また生き甲斐のパチンコを始められるようになったんだよ」

「…」

「…」

「…」

「その先生って、お前と同じ仕事の人だろ?」

「…。…多分…」

ふん、と笑った健輔は続けた。

「すごいじゃん。お前」

「…。…うん…」

うっかり涙をこぼしたわたしを見た健輔は、「まじかお前」と言って笑った。

そんな健輔の笑顔を見たわたしは、自分を傷付けるためにこんな優しい人を使ってはいけない、と思った。

そして嫌な自分を認めてもらえる本当の言葉とは、罵倒じゃなくて、こんな温かな言葉なのかもしれない、と思った。

「ねーえ?」

「うん?」

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