私は在日韓国民で、名前を安 美貞(アン ミジョン)といいます。諸々の事情により仮の名前です。
私は現在25歳。18歳から日本にいて、まだ韓国籍ですが、近いうちに日本に帰化の予定です。
家族の大反対を押し切り、22歳上の日本人の夫と、21歳で結ばれました。横浜市で暮らしてます。二人の子供をもうけて、先月3人目の子供をお腹に授かっています。
私が過去に体験した、性的で赤裸々な、素敵な思い出話を告白してみたいと思います。
日本人からすると、とんでもないような話かも知れませんが、私にとっては、有益で良い思い出です。
私は韓国の、江原道(カンウォンド)の華川郡(ファチョングン)の外れにある、寂れた田舎町で生まれ育ちました。
父、母、長女の私、4歳下の弟の4人暮らしでした。
韓国では、婦女は結婚前に、子を孕める体である事を証明するのは良い事とされ、妊娠出来るまで婚約が許されない事もあります。
中には、出産してから結婚するカップルも、少なからずいます。
特に、私が生まれ育った村では、民族的な古来からの風習がありました。
古い習慣で、今やかなり少ない例になったとはいえ、娘が結婚に困らないよう、家族や親族が娘と交わり、あらかじめ妊娠歴を娘に与える。そんな習慣が、ごく一部の家族で行われていました。
いわゆる近親姦通になりますが、娘の相手となる男性は当然ながら信頼性を重視されるため、身内の男性に頼るのは自然な流れです。
不貞やレイプとは違うもので、子供の将来価値を磨くためと、性的教育の一環です。
目的は、あくまで子供を作れる娘であるという証明と、姦通で夫を喜ばせられる証明です。
もちろん出産する必要は無く、妊娠後は早期に堕胎するため、血の繋がりがある近親同士の姦通でも、何ら問題は無いという考え方です。
父や母は、それを婚前姦通(ホンジョン カンドン)とか、婚前妊娠(ホンジョン インシン)と言ってました。
私の父も母も、親戚も、辺境の田舎町の古い地域社会で生まれ育った経緯もあって、その古来からの風習を肯定していました。
その“ごく一部の少ない近親姦通の風習”が、私の家族でも慣行されたのです。
私が初等学校(日本でいう小学校)を卒業し、中学校に進学して間もない3月のときでした。
私は当時12歳になったばかりでした。
私は10歳で初潮を済ませていて、既に体は少しずつ大人へと変わりかけていましたが、まだまだ発育し始めの子供でした。
ずっと昔は、13~14歳で娘が嫁ぐ例は、韓国では当たり前の時代がありました。
そのためか、早い場合では近親姦通の風習も、12歳頃から始めるのです。
「美貞も12歳になり初等学校も卒業した。大人になる前の今のうちに、そろそろ婚前姦通して、一度くらいは婚前妊娠もしておきなさい。」
中学校に初登校した日の夜に、父にそう言われました。
当時、私はお世辞にも周囲から美麗娘(ミリェオッタル)と呼ばれたりもしていましたが、まだ恋愛感情を覚えた事がなく、当然親しい男子などいませんでした。
「このまま子を授かれる証明が無いままだと、将来良い結婚が出来ないわよ。お母さんだって、婚前姦通も婚前妊娠も経験してきたから。
全然怖くないし、姦通も妊娠も、凄く素敵な経験よ。美貞も、すぐにでも経験しなさい。」
そう父や母から、婚前に姦通する歴史や理由や、将来の有益性を交えた強い説得をされ、私はそれを承諾したのです。
婚前妊娠の相手は、特に処女姦通の場合、親と同じくらい歳が離れた、婦女に子を産ませた経験がある男性が良いとされています。
二日後、私の婚前妊娠の相手は、父の実兄に決まりました。父より3歳上で、3人の子を持つ、私も幼い頃から顔馴染みの、安心出来る優しい人です。
私が妊娠し易いと思われる、私の生理が来た日からおよそ10日後を、婚前姦通の日に決めました。
それは父の実兄に決まった日から、2日後でした。
その日の夕方、私は両親と共に、父の実兄の家に行きました。
父の実兄の家族と共に、夕食にトッポギをいただきました。
父の実兄の家は農家の一軒屋で敷地も広く、敷地内には生活する家の他に小さな家屋が一軒ありました。
夕食後に、その小さな家屋の部屋に通されました。
部屋には、既に布団が1枚敷かれていました。
それからは、翌朝まで父の実兄と二人きりでした。
父の実兄は服を脱ぎながら
「美貞も裸になりなさい。」
と言いました。私は覚悟を決めて裸になりました。
当時の私は確か身長143センチでした。同じ歳の子と比べても小柄な方で、決して体つきも早熟ではなく、まだ胸の膨らみも幼かったですし、陰部を覆う毛もまだ薄く、一般的概念では、性交に及ぶには早い時期でした。
当然、恥ずかしさは感じましたし、何より立派な大人になるための大事な場面ですから、とても緊張してました。
父の実兄が掛け布団をめくり、私を敷き布団の上に誘いました。
仰向けになった私は、まずクリトリスの愛撫を受けました。
私は初等学校で多少の性教育を教わってはいたものの、自分の性器を触った事すら無かったため、その想像を絶する快感に、思わず声を上げて体を反らせました。
愛撫されているのは小さなクリトリスだけなのに、言葉では表せない強烈な快感が、爪先から脳まで全身を駆け巡りました。
「我慢しなさい、美貞!」
そう言いながら、父の実兄の指は膣内に入って来ました。
生まれて始めて、膣内に何かを受け入れました。指を曲げたり伸ばしたりしながら、盛んに抜き差しされているのが分かりました。
そして間もなく、私は快感により、尿を漏らしてしまいました。
急に尿意が来た瞬間、出し切るまで勝手に漏れてしまったのです。
一時中断して、他の布団に敷き替えました。
「美貞はまだ始めてだろう?最初はよくある事だから気にしないで。」
漏らして恥ずかしくなり泣きそうな私は、父の実兄に優しくそう言われ、気持ちが落ち着きました。
布団の上で愛撫が再開されました。
しばらく続いた愛撫の後、父の実兄は私の顔の真横に来て、ペニスを向けました。
明らかに指より太く、先端が槍のような形でした。
「今度は美貞の番だよ。さあ、舌で撫でてみなさい。」
私は指示に従い、ペニスの先を舌で舐めました。
舌で感じるペニスはとても熱く、脈を打つようにビンッビンッと更に長く太くなり、ペニスの先の膨らみはより顕著になり、ペニスの茎との段差も大きくなりました。
「美貞の膣はもうしっかり濡れている。あとはペニスが潤えば準備完了だ。しっかり濡らしなさい。」
父の実兄は、そう言いながら、ペニスを私の口に入れて来ました。
私はペニス全体に唾液を絡ませようと、舌で舐め回しました。
「もっと、ペニスの先の膨らみを中心に、吸いながら舌を絡めなさい。そうそう、美貞、上手だよ。」
父の実兄は、そう言って私を誉めた後、口からペニスを抜き、両手で私の足首を掴み、両足を開きました。
熱いペニスの先が膣に付けられた瞬間、膣の入り口が押し広げられる感触が分かりました。
ペニスが、少しずつ膣に入って来ました。
私は緊張感からか、自然に体が固くなっていたようで、父の実兄から
「もっと力を抜いて。」
と言われました。
私が力を抜くと、ペニスがズズッと膣内に入り込みました。
処女姦通の痛みに、私は思わず
「痛いっ!」
と声を上げてしまいました。
そこからまた、ペニスが行き止まりになったように進まなくなった様子で、父の実兄は更なる膣への侵入を試みるように何回も突いた後、ついに私の体に覆い被さって来ました。
父の実兄との身長差は30センチ以上あったと思います。それなりに肥えた体格で、華奢な細身の私との体格差は歴然でした。
父の実兄の体はとても重かったのですが、肌が触れ合う柔らかい感触や温もりが心地よく、不思議と安心感も感じました。
「美貞!もっと力を抜きなさいっ!」
そう言って、父の実兄は私の体を抱き締め、ペニスを更に突き入れて来て、お互いの体が隙間無く密着しました。
挿入開始から、私の感覚で4~5分かかったでしょうか。私が未熟ゆえ父の実兄に手を焼かせたと思いますが、ようやく私は処女姦通を果たせたのです。
私は、ただ父の実兄の大きな背中に腕を廻して、されるままでした。
「美貞の体は気持ち良い。これならしっかり学べば良い嫁になれるよ。私が教える事をしっかり学んで行きなさい。」
父の実兄は、私を抱いたままそう言ってくれました。
「本当に?嬉しい!もっと教えて下さい!」
と私は答えたのを覚えてます。
少しずつペニスを抜き差しして、やがて激しく打ち付けて来ました。
「美貞、私と息を合わせて腰を振りなさい。
両足を私に絡めなさい。私の足でも腰でも良いから、絡めなさい。腰を振りやすくなるよ。」
そう言われ、父の実兄の両足に自分の足を絡めると、父の実兄の体との一体感が、全身で感じられました。
父の実兄の体が、私の体の一部になったような、立体パズルがガッチリと綺麗に組み合わされたような、そんな一体感でした。
「もうすぐ射精しそうだ。美貞、胎内に放つよ。分かってるね?」
と、父の実兄が言いました。
私は
「はい。」
と答えました。
「美貞、両足で私の腰を抱えなさい。早くっ!」
父の実兄にそう言われ、私は従いました。
父の実兄は
「私の腰を足で強く抱えて、引き寄せなさい。もっと強く!よし美貞、上手だよ、そのままだ。このまま胎内に放つよ、放つよっ!」
と言いました。
私の膣内で、深く収まったペニスが、ビクッ、ビクッ、ビクッ、と脈動しているのが分かりました。
その脈動に合わせて、ペニスを何度も深く突き入れながら
「あっ!あっ!」
と父の実兄が幾度も唸ってました。
一生に一度きりの処女姦通を、期待通りの膣内射精で無事に終えられました。
こうして私は、大人の婦女としての価値を得るための第一歩を、凛とした気持ちで踏み出したのです。
古くから三大姦形と言われる性交の体位があります。妊娠し易いと言われる3つの体位の事で、正常位、後背位、対面座位の事です。
私はその3つを一晩で父の実兄から教わり、その都度、計3回の膣内射精を受け、私の処女姦通は終わりました。
処女姦通ゆえに、私がオーガズムに達する事はありませんでしたが、素敵な一夜だったと思ってます。
その7日後、私は産婦医院で体を調べてもらい、処女姦通での妊娠が明らかになり、即日堕胎しました。
婚前妊娠の文化において、処女姦通で妊娠に成功した婦女は“稀娘(フィナン)”と呼ばれ、生涯の名誉とされています。
当然、父の実兄も、私の両親も喜びましたし、勿論私も嬉しかったです。
そして、婚前妊娠の文化では、他にも名誉とされる事があります。
別々の男性と性交し、それぞれの男性の子を孕む事で“誰と結婚しても子を授かれる婦女”という証明になるのです。
婚前妊娠の文化が薄れた現在も、その名残は残っているようです。
若いうちから性交経験が活発で、相手男性の人数と妊娠回数が、共に複数ある婦女は、必ずモテるし、婚活で不自由する事は、韓国ではまず無いと言えます。
私が12歳2ヶ月の若さで、処女姦通での妊娠を果たし稀娘になれた事に、両親は気を良くしたのか、私の婚前妊娠に、より積極的になりました。
私が別の男性とも姦通して妊娠すれば、稀娘としての私の価値に、更なる箔が付きます。
3人の相手と姦通し、それぞれの相手の子を孕んだ稀娘は“極稀娘(ゴゥフィナン)”と呼ばれます。昔は、貴族や社会的に高い地位の武将が、嫁を選ぶ条件にした例も多かったそうです。
それくらい韓国では古来から、子を授かれる婦女は珍重されてきたのです。
両親は、私の将来価値を極稀娘まで高めようと考えました。
私が14歳のとき。中学校三年生でした。2回目の婚前妊娠を両親から薦められました。
婚前妊娠は、信頼出来る相手を慎重に選びます。選択肢は、当然ですが近親者になりました。
父の実兄の次は、母の実弟で、私より32歳上でした。
あと少しで処女姦通から2年経つ、そんな頃でした。
私は処女姦通して以来、セックスしたい意欲はあったものの、経験はありませんでした。
婚前姦通や婚前妊娠は、あくまで娘を立派に嫁がせるための教育的な意味合いが強く、誰が相手でも許されるというものではないからです。
でも母に買い与えられた、いわゆるローターやバイブと言われる幾つかの性玩具を使い、本格的なセックスを模した自慰を覚えて、膣内の刺激による多少のエクスタシーは知っていました。
自慰と併せて、あらゆる体位に応えられるように、体を柔らかくするため、1日30分のヨガも日課になってました。
母に薦められ、腹筋も鍛えました。アスリート程ではありませんが、うっすらと割れた腹筋が分かる程度には、腹筋も鍛えられていました。
顔も体も2年でだいぶ大人びて、身長も当時155センチ以上ありました。
胸も大人並とはいかないまでも、同じ歳の子に負けない、と言うより、むしろ多少勝っていると周囲から羨ましがられる程に、成長していました。
過疎化した田舎町ゆえ、恋愛に至る巡り合いはありませんでしたが、私は同級生男子達からも一目置かれていて、学校では常に視線を感じる毎日でした。
勿論、婚前姦通についても、自慰の事も、全て周囲には秘密でした。
ですが、姦通を経験し胎内に射精を受け止めて、非処女となり妊娠まで経験した婦女の、オーラと言うか雰囲気は、自然に出てしまっていたみたいです。
自分で言ったら変ですが、私は中学校のマドンナ的存在になっていました。
稀娘としての大きな自負がありましたし、次の姦通の機会には、初めての時より上手にこなす意欲がありました。
韓国では、3月で新学期が始まります。2月で中学校二年生が終わると、半月ほど休日になります。
婚前姦通を行う場合、お願いする娘が相手の元を訪れて行うのが通例です。
母の実弟は遠くの釜山に住んでいたので、私は一人で春の休日を利用して、泊まりがけで母の実弟のマンションに向かいました。
母の実弟は、結婚して1男1女をもうけた実績がありましたが、離婚して独身でした。
母の実弟とは、私が幼い頃に会った事があるものの、記憶が殆ど無かったのですが。
いざ会ってみると、日本の俳優で草刈正雄さんがいますが、見た目がソックリの美男性で、日本で言うイケメンでした。背も高く180センチ以上あり、完全に私好みで、生まれて初めて男性に一目惚れして、舞い上がってしまいました。
日本料理店で天婦羅をご馳走になり、母の実弟の部屋で、人生2回目の婚前妊娠のため姦通に及びました。
まずは愛撫から。そこは、処女姦通のときの父の実兄と基本的に同じ流れで、性器の愛撫から始まりました。
ただ、私が舞い上がっていたせいか、私の体の成長と2年近い自慰経験の効果か分かりませんが、感じ方が違いました。
特に膣の内壁で、強烈に快感を感じられたのです。
私より太い指が、私の意思とは違う動きで膣内で動いて、私はすぐに濡れてしまいました。
予めトイレで済ませていたので、さすがにこの時は尿を漏らしませんでしたが、一瞬尿意に近い感覚に襲われかけて、少し焦りました。
私への前戯が終わると、次は私が母の実弟への前戯です。
日本では順序が決まってないのか、婦女から男性への前戯から始める事もあると思いますが、韓国ではセックスは男性の絶対的主導で終始し、前戯もまず男性側から婦女に施します。
釜山に来る数日前から、私は毎日両親から、バイブを使いグガンソンギョ(日本で言うフェラチオ)のレクチャーを受けていました。
上手な前戯は婦女の礼儀だと言われ、敏感なペニスへの舌の使い方、舐める場所、抜き差しの仕方などを、しっかり教わっていたのです。
私は前戯で、持てる舌技を全て出しました。
私の口の中で、とても熱いペニスが、ムクッ、ムクッと段階的に脈動しながら大きくなりました。
私が買い与えられた、大小3本のバイブのどれよりも、長く太く、本物の風格を感じさせられるペニスでした。
「本当に今日が2回目の姦通かい?上手い、上手いよ美貞。なんて上手なグガンソンギョだ!」
と言われ、とても喜ばれ、誉められました。
そして前戯を終えると、母の実弟は、私の体を2つに折り畳むように足を上げて、私の膣と繋がりました。
まだ2回目の姦通だったからか、バイブを使った自慰で膣内を日頃から馴らしていたつもりでしたが、私の膣内がまだ狭かったようで、挿入には少し時間をかけていた様子でしたが、私も力を抜くよう気を付けたので、処女姦通の時よりもスムーズに繋がりました。
婦女としての自分の成長を実感した瞬間でした。
今の私と比べたら、まだ発育途中の未熟な乳房(それでも同級生と比べたら、結構大きかったのよっ!)を、揉まれたり、吸われたり。子猫を可愛がるように、乳首から乳房全体まで愛されました。
乳首は痛いくらい固くなって、母の実弟の舌先が触れるだけで、強烈に感じてしまいました。
母の実弟の手から放された両足は、自然に180度開脚のような格好で、左右に投げ出していました。
目をチラッと真横に向けると、私の真っ白い足は、快感の影響で筋がこわばり、自然に膝は勿論のこと、足の指先までピンッと綺麗に真っ直ぐ伸びてました。
真上からその様子を見たら、母の実弟と私の交わりは、きっと綺麗な十字架の形に見えたと思います。
ダブルベッドだったので、それでもベッドからはみ出す事はありません。
母の実弟は、更に挿入にを深めながら、覆い被さって来ました。
私は、処女姦通で教わった事を思い出しながら、両足を母の実弟の両足に絡ませました。
母の実弟のペニスは長いのか、処女姦通や自慰の時では達し得なかった、膣内の深い奥の所まで来ました。
まるで、内臓まで貫かれそうな錯覚を覚えました。
ペニスが長いゆえに、太さもあったので、膣内はパンパンでした。私の膣内が、ペニスと全く同じ形になってる実感がありました。
きっと、母の実弟のペニスをかなり圧迫していたのでしょう。
そのためか、最初は慎重に、ゆっくりと、ペニスの抜き差しが始められた。そんな感じでした。
ペニスが長いためか、母の実弟は大きく腰を振りました。
イケメンの母の実弟に抱かれながらの交わりで、頭の中が舞い上がっていたせいもあったと思いますが、自慰とは違う、いえ自慰を遥かに凌ぐ強烈な快感が、膣内で感じられました。
「美貞、僕に合わせて腰を振ってごらん。」
そう言われ、私も母の実弟の抜き差しのリズムに合わせて、腰を振りました。
私が腰を引くと、母の実弟も腰を引いて、お互いがリズムを合わせようと探り合いながらの交わりで、初めはぎこちなかったです。
でも私は、ただ相手に抱かれてペニスを抜き差しされていただけの、処女姦通の時とは、もう違いました。
お互いのリズム感が一致してくると、私も母の実弟も、腰の動きが自然に野性的に、活発になっていきました。
お互いが腰を引いたとき
『ペニスが膣から抜けちゃうっ!』
と思った瞬間、抜ける直前でお互いが腰を突いて、ペニスが根元まで膣に収まるのです。
次第にリズムは荒々しく、ダイナミックになりました。姦通のため腹筋を鍛える理由が、このとき理解出来ました。
膣の内壁は激しく擦られ、その快感は、脳が溶けて無くなってしまいそうでした。
挿入からどれ位の時間が経ったのか分からないけど、今思うとかなり早いタイミングでした。
若干14歳、およそ2年近いブランクを経ての、たった2回目の姦通でしたが、早くも、生まれて初めてのオーガズムを経験したのです。
辛うじて意識はあるものの、脳内は快感一色でした。まさに、脳で快感を得ていると言うか、脳が性感帯になった感じです。
どんな言葉で悶えたか覚えてません。多分、言葉にすらなってない、叫び声のような喘ぎだった気がしてます。
眼球が裏返る感覚を覚えてるので、白目を剥いていたかも知れません。
そんな顔を見られてしまうのは、恥ずかしいですが、オーガズムのときはそこまで考える余裕などありません。
やがて、少しずつオーガズムの波が引きました。
私が先に絶頂まで達してしまいましたが、母の実弟はまだ達していませんでした。
「今夜は、何回でも逝って良いんだよ。美貞。」
と言ってくれて、盛んにペニスの抜き差しを続けていました。
「さすがに稀娘だ。なんて良い女なんだ、美貞は。ただ美しいだけじゃない。僕もどんどん気持ち良くなってくるよ。
このまま、美貞の膣内で射精して良いかい?僕の精で稀娘が孕んでくれたら、僕にとっても名誉だよ。」