遠方のお得意先を訪問した時の話。後輩の美紗紀が一緒について来てくれる事になった。でも、美紗紀が、
「どうせなら、少し見て回りたいですねえ。おいしいもの食べたいな」
と言うので、早めに着いてから少し観光しようと言う事になった。
当日、仕事とはいえ、スタイルも良くて美人な美紗紀と一緒に居れるのが嬉しかった。
俺の運転だ。社用車じゃなく自家用車を使う。
「おじゃましまーす」
美紗紀が俺の車に乗ってる。その事実が既にたまらない。
憧れの子と密閉された空間で同じ空気を吸うのだ。
「何かおいしい店知ってます?」
美紗紀はマスク越しで話しかけてきた。さっき美人といったが、マスクの内側も滅茶苦茶可愛いのを俺は知ってる。可憐な唇とちっちゃな顎が、ぴったりとマスクに覆われているのだ。
うきうきの美紗紀は本当に可愛くて、どうして俺の彼女じゃないんだろう、と本気で思った。
着いた頃、先方から電話があった。その時俺はやらかした。ついうっかり、もう着いたと言ってしまったのだ。
先方は、なら会えませんか、ときた。先方は今日午後から急に用事が出来てカツカツのスケジュールになってしまったので、今会う方が楽なのだそうだ。
「すいませんね、我々の都合ばっかり」
とへらへらしていたが、俺もにこやかに、良いですよ!と応えていた。
残念ながら、俺達は拒否できる立場になく、先方の言う通りにするしかなかったのだ。
「ごめん……、俺が口を滑らしさえしなければ、向こうも無理言って来なかったろうに」
「それより、早く急がなきゃ!」
先方の来客用の駐車場に停めて、書類の再確認だ。
「よし、OK」
「先輩、マスクは?」
微笑みながら、何気なしに訊いてきた美紗紀。俺は、はっとして途端に背中に汗が滲むのを感じた。
忘れた!持ってきていない!
先方にマスク無しで訪問は今のご時勢有り得ない。
「こ、コンビニあったっけ?」
「無かったですよ」
美紗紀の声色もどこか呆れている風にも感じて、俺は胸をチクチク刺されてる気分だった。
「な、何か店あったっけ……」
「わたしも予備持って来てなくて……」
焦りに焦っていると、美紗紀がマスクを外して、
「はい、これつけてください」
というのだ。
「え?」
「先輩が行かないと駄目でしょ?わたしはここで待ってますから」
「でも……」
「わたしが行っても何も出来ませんよ。先輩どうぞ」
とマスクを手渡してきた。
その時、美紗紀の柔らかな手が俺の手と触れ合った。
俺はマスクを手に持ち、ドキドキした。
美紗紀のマスク、しかもさっきまでつけていた!
まだ温もりがある。おずおずとつけると、ふんわりといい香りだ。美紗紀の付けている香水と彼女自身の匂いの混じったものだ。
そしてマスクはピッチリとするタイプであった。
「ありがとう。じゃあ行ってくる」
俺は車を出ながらも、マスクが優しく当たってくる口元に全神経を集中させていた。
美紗紀の唇も触れていたかもしれない箇所だ。
そうでなくとも、耳にかかる紐の部分や、頬やあごを覆う部分は美紗紀の肌が触れていた部分なのは間違いなかった。
正直、メッチャ興奮してた。
仕事もその分、モリモリやる気が出て、上手く行ったよ。まあ、ちょっと緊張していたせいか、ついうっかりマスクを舌で舐めてしまっていたが。
「お疲れ様です」
可愛い笑顔で、美紗紀が迎えてくれた。
「ありがとう」
俺がマスクを返すと、美紗紀はふふっと笑って、
「返すんですね」
「え?」
と俺が戸惑っていると美紗紀はマスクをつけた。
「わっ、濡れてる。汗ですか?緊張し過ぎ」
と言うので、動悸が止まらなかった。
「そうだ、まだ時間あるし、予定通り観光する?」
頷く美紗紀。
「それが楽しみできたんですから」
と微笑む。
「俺も」
笑い合って、それから観光した。観光スポットを見て回り、おすすめの店に行く。
はしゃぐ美紗紀は本当に可愛くて、
(これってデートなんじゃ)
と思ったりもした。
「楽しかったです。ありがとうございました」
頭を軽く下げて来る美紗紀。
「おい、今日は仕事だろ」
「先輩だって楽しんでた癖に」
笑顔が本当に可愛い。ただ、マスク越しだから口元が分からないのが残念だった。
職場の駐車場に着いて、名残惜しさを感じていたら
助手席からすっと美紗紀の手が伸びて俺のふとももを擦った。次いで手を握ってくる。
驚いて固まる俺に、美紗紀は顔を近づけて来て、
「マスク……間接キスでしたよね?先輩どう思いました?」
とマスクを外してチュッとキスしてきた。
ふふ、と悪戯っぽく微笑む美紗紀。
車を降りながら、
「マスク予備あるんであげますよそれ」
と言って、俺に笑いかける美紗紀。
「え?」
俺はさらに固まってしまった。思考停止してしまったと言う方が正しい。
バックから新しいマスクを取り出し付けてから、
「早く仕事戻りましょ」
と急かすので、俺は気を取り直して、助手席に残されたマスクを拾い上げ、美紗紀の体温と香りの残ったマスクをつけ、後を追い掛けた。
つい最近あった出来事だ。
これは脈ありなんだろうか?今書いていても夢の中の出来事みたいだ。