思春期のアンバランスさと、ブルマ姿の女の子

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前回の話にブルマについてのコメントをくださった方がいたので、今回は少しブルマの話をしてみたいと思います。

ブルマ姿の女の子と学校生活を送った事があるのは、もう40代以上の方になるでしょうか。

ブルマの魅力は色々あると思いますが、個人的に一番ポイントだと思うのは

「露出の高さと、女の子の意識の釣り合ってなさ」

のような気がします。

ブルマの、ほとんど下着と変わらないようなフォルム。ハミパン、という言葉があるように、身体の少しの動きで中の下着がはみ出てしまうくらいの露出の高さ。

一方で、それは「ただの体操服」でもあり、おそらく多くの学校では「スカートの中のインナー」でもありました。

露出の高さと、当たり前のように週に何回か体育で、あるいはスカートの下に毎日身につける日常性。

そのアンバランスさが、あの頃の男子の記憶に強く残るエピソードを生み出してきたのだと思います。

ブルマ世代でない方に伝えるとしたら、「あのクラスで一番可愛い女子、自分が好きだった女子が、下着と変わらない露出の衣類で週に何回か運動したり、スカートの中からそれが見えたり、あるいは自ら脚を開いて座っていたりする」絵を想像してもらうと分かりやすいかもしれません。

それが普通にあり得たのが、女子がブルマを身に付けていた頃の世界でした。

ただ露出の高い体操服、というだけでなく、多くの女子にとって「それが当たり前だった」事がポイントです。

「露出の高さ」「ただの体操服」はある意味対極に位置していて、女子の意識はそのグラデーションの中のどこかにある、という感じでした。

一般的には、年齢が上がるごとにその意識は露出の高さに寄っていくイメージです。それは自分自身の身体の変化や、性の知識の量などで変わっていくのでしょう。

しかしその個人差は、経験した限りではかなりバラバラだったように思います。一概に年齢が上がったから、身体のラインが変わってきたからブルマ姿での行動が変化していく、という訳でもなさそうで、おそらく本人の性格や、仲のいい女子との関係性などもそこに絡み合ってくるのでしょう。

そのグラデーションがまだ「ただの体操服」の意識の女の子が、たまたまクラスの可愛い子だったり、自分が気になる子だったりした時。かつ、見た側の男子が既に射精する機能を身体に備えていた時。さらに言えば、その周りに「露出の高さ」を意識している女子もいる時。

それが、強烈な印象として残っていくのではないでしょうか。

前回の最後に書いた、自分の印象に強烈に残っている同級生はまさに、この条件を全て満たしたような女の子でした。

ボーイッシュで、活動的で、クラスで一番最後までブルマを「ただの体操服」だと認識してた(気がする)女の子。それでいてその太ももはきれいで、身体にピッタリまとわりつくブルマ。そのブルマをスカートの中に身につけて、大胆に脚を開いて見せているその姿。

彼女が脚を開いていなければ見えることのない、その傷一つない太ももの内側と、股間に張り付くブルマ。さらにその大胆な姿が、そのまま「同級生のスカートの中が丸見えになっている」という事実になっていること。

他の女子がブルマを身につけていてもスカートの中が見えないように気にしている理由。そうしなければいけない理由。その全てが、彼女の開脚姿には詰まっていました。

彼女との思い出は一度別のところに書いた事があるので、ここでは詳細は書きませんが、(私も含め)未だに根強くブルマのことを語る人が一定数いるのは、こんな感覚が多かれ少なかれあるからではないのかな、と思ったりします。

そして、「なぜ露出の高さと体操服として当たり前に身に付けることを両立しなければいけないのか」という、ブルマ廃止の流れになっていったのも、ある意味自然なことのように思います。

身の回りにブルマ姿の女の子が当たり前にいた時代の、そんな話でした。

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