私は小五の秋に、実の親がネグレクトで放置され続けたことで、子供がいない中年夫婦に里子に出されました。
まだ11歳だった私は、裸にさせられて、当時46歳の継父に抱き締められながら、陰茎を扱かれました。
11歳でも、それは淫らな行為と何となく感じていましたが、大人の愛情が嬉しく感じました。
継父は私の肛門を開発しだし、小六になってすぐ、継父の陰茎で肛門を犯されました。
小六の夏、12歳の私は継父の陰茎扱きで初めて精通し、射精を経験しました。
そして、継父の見守る中、44歳の不妊の継母で童貞を失いました。
以後、私は継父母の夫婦の営みに参加するようになりました。
継母をクンニしながら、継父にフェラされて、継母は継父をフェラするような三角前戯をしていました。
その日によって、前戯の組み合わせが変わりました。
その後は、私が継母とセックスしている時、私の肛門を継父が犯すことが多かったです。
たまに、継父が継母とセックスしている時、継父の肛門を犯すこともありましたが、それは月に数回でした。
この行為は、中学生になっても続き、時々継母抜きで、正常位で継父に抱かれることもありましたが、継父抜きで継母と交わることはありませんでした。
こういう行為をするのは、私達だけだと思っていたので、他の友達や先生には絶対にバレないようにしなければと思っていました。
行為自体がゲイを伴う変態行為でしたから、異常だと感じていました。
でも、私が高校生になった時、他のご家族と子供交換が行われました。
向こうも高校生の男の子を伴っていて、私がお相手の奥様とセックスして、その後ろからお相手のご主人に肛門を犯されました。
その時、継父に犯されて喘いでいるお相手の連れてきた高校生を見て、激しい嫉妬心が湧きました。
高校時代に、全部で5組のご夫婦と子供交換を経験しました。
だいたい月に一回、どこかのご夫婦とそれを経験しましたが、高校2年の夏休みに、初めて全6組のご夫婦と男の子が集まったことがあります。
一回戦が終わった後、ご主人たちは酒盛りを始め、私達高校生は、奥様方に追いかけ回され、
「若いんだから、もっとできるでしょ!」
と言われて、次々と犯されました。
お尻からはどこかのご主人が出した精液を垂らしながら、他所の奥さんに跨られて精液を搾り取られました。
3人の奥様に犯されてもう無理だと思ったら、コックリングが付いたアナルプラグを装着されました。
他の子も装着させられていましたが、コックリングは陰茎の根元を締め付けて血流を阻害して、勃起を長持ちさせられました。
そして、アナルプラグが前立腺を刺激して、嫌でも勃起させられました。
動くたびに、繋がっているそれらが連動して、勃起が止まらなくなるのです。
ご主人たちは一度出して終わってしまいますが、興奮冷めやらぬ奥様たちは、男子高校生を犯し続ける大乱交状態です。
少年達は逃げ惑いますが、逃げるたび揺れる勃起陰茎が連動する前立腺を刺激するので、すぐに動けなくなって、もう陰嚢が空っぽなのに、肉食獣と化した奥様達に捕まって犯されます。
そして何度も空砲を打つドライな快感に泣き悶えするのです。
ご主人達はそれを見ながら、ビールで酒盛りです。
そんな少年時代を過ごした私は、継父母に学費を出してもらって大学進学で上京しました。
その頃には、継父母も50代になっていましたから、精力も落ちてしまっていました。
休み中に帰省しても、継父に肛門を犯されることはなくなりました。
大学では普通に女子大生の彼女と普通のセックスを楽しみました。
女子高生の処女をもらう経験もしました。
そして、大学を卒業して社会に出たら、実の親とも継父母とも疎遠になり、今は結婚して6年、現在34歳です。
年賀状だけはやり取りしていた継父から、私の実の母が獄中死したと知らされましたが、23年も会っていない実母を弔う気になれませんでした。
実父についての情報はありませんでしたので、尋ねる気も起きませんでした。
妻は8歳年下の26歳と若くとても可愛いアイドル顔ですが、私同様、あまり幸せな生い立ちではありません。
妻は中一で処女喪失、その後、某ロリコン代議士の愛人少女となりながら、高校2年まで囚われの身でした。
私が妻と出会ったとき、妻は高校2年生でした。
妻は、膣内での快感を十分知った女子高生でしたが、変態代議士は、妻の膣より肛門を好んだため、高2の時に脱肛、愛人をお払い箱になりました。
妻が代議士から解放された時、私のアパートに転がり込んできて同棲、妻が二十歳になった時に婚姻届けを出しました。
私たち夫婦は、過去を振り返りません。
過去を消し去りたい思い出寄り添い、愛し合っています。
私や妻のような生い立ちの人は、きっとたくさんいるんだと思います。