[アジア旅行編]
ミキちゃんには唐突に旅行に誘われることがあって、その時、ボクたちは、珍しく五つ星ホテルにいた。
「ミ、ミキちゃん・・・、ボク、もうダメだぁ・・・、出ちゃうよ」
「ハル、もう少し、頑張って・・・、私、もうすぐだから・・・」
ボクは、身を捩って必死に堪えたが、押し寄せる波状攻撃は、留まるところを知らない。
「あっ、ミキちゃん・・・、もうダメ・・・、ホントにもう・・・、うっ・・・、あっ、あ゛あ゛—っ!」
ボクは、目の前が真っ白になった。
・・・
「ハル、早いね」
ミキちゃんが、指差した速度計を見ると、空港から乗ったリニアモーターカーは、あっという間に時速400㌔を超えていた。
「ハル、明日、カニ、食べに行こっか?」
「いいけど、道頓堀のおっきなカニが動いてるところ?」
「なんでやねん!」
ミキちゃんが、使い慣れない関西弁で突っ込んで見せる。
「上海蟹が食べたいの。今が旬なんだって」
「えっ!?上海蟹?」
ボクは、嫌な予感がした。
「ミキちゃん、ひょっとしてそれ、本場で食べたい、なんて思てはる?」
ボクも関西弁風に返してみたが、あっさりとスルーされた。
「ご明察-っ!」
そう言って、ミキちゃんはパチパチと手をたたいて見せた。
おもむろに、航空券を差し出すミキちゃんに、
「ボクの都合は・・・」
と言いかけたが、
「いくの?いかないの?」
と言われるのがオチなので、ボクは黙ってそれを受け取った。
少しは、ボクも学習している。
そういうことで、いつもの通り、ミキちゃんからの唐突なお誘いで、ボクたちは週末だけの一泊二日で、上海へ来ていた。
安宿ばかりでは、社会勉強にならないからと、ホテルは、五つ星を予約してくれた。
日本と比べて、格段に安いらしい。
リニアを降りて、地下鉄に乗り換えようと、エスカレーターを下って、駅ビルを出ると、屋台のおばちゃんが、クレープみたいなものに、焼いたソーセージとか卵を巻いて、売っている。
いかにも、美味そうだ。
「ねぇ、ミキちゃん、これ、食べようよよ」
お昼ご飯が、まだだったので、ボクたちは、ひとつずつ、目の前で焼いてもらって、そのクレープっぽい食べ物を頬張った。
「美味い!」
それは、見た目以上に美味かった。
日本のクレープのように甘くはなかったけれど、甘いのは、寧ろ、ボクの認識だった。
ホテルに着いて、こんなところに泊まることは二度とないかも、と思って、中を探検しようとしていた矢先に、それは、何の前触れもなくやってきた。
ミキちゃんは、何も言わずにトイレに駆け込むと、あの清楚なミキちゃん(少なくとも見た目は)とは凡そ無縁と思える、すごい破裂音が聞こえてきた。
「ハル、どっか、部屋の外へ出ていて!」
ミキちゃんが、悲壮な声を上げる。
でも、時すでに遅し。
聞く気はなかったけど、聞こえてしまったし、ボクのお腹も、人のことを気にしていられない状態に陥っていた。
コツコツと扉を叩き、ボクは悲痛な声で訴えた。
「ミキちゃん・・・、ボクも非常事態宣言出た・・・」
そう言うと、トイレの中のミキちゃんは、
「えっ?田中くんも・・・?」
と言ったまま、絶句した。
「ミキちゃん、申し訳ないんだけど・・・」
ボクが、すがるようにトイレの扉を叩き続けると、お腹の中のものは、
「出してくれぇ、出してくれぇ」
と言って、ボクの後ろの門を激しく叩き続けた。
ドアを挟んでの膠着状態が、暫く続いたが、限界だった。
「ミ、ミキちゃん・・・、ボク、もうダメだぁ・・・、出ちゃうよ・・・」
「ハル、もう少し・・・、頑張って、私、もうすぐだから・・・」
ボクは、身を捩って必死に堪えたが、押し寄せる波状攻撃は、留まるところを知らない。
「あっ、ミキちゃん・・・、もうダメ・・・、ホントにもう・・・、うっ・・・、あっ、あ゛あ゛—っ!」
ボクは、目の前が真っ白になった。
「ハルぅ・・・、ゴメン・・・、間に合わなかった?」
カチャっと音を立てて扉が開いたが、ボクは、ただ静かにうな垂れた。
「どうして、こんな・・・」
思い当たるものは、ただ、ひとつ、あのクレープしか考えられない。
どうして、あんなものを不用意に口にしてしまったのか・・・。
いくら後悔してもお腹の調子は治まらず、その晩、夜遅くまで、ボクとミキちゃん交代でトイレを出たり入ったりしていた。
上海蟹どころの騒ぎではなかった。
「ナプキン、使う?」
おむつが欲しいくらいだったが、どこに売っているのかわからないし、ちょっとでもトイレから遠ざかるのは、不安だった。
屈辱的な思いに苛まれながら、生涯でただ一度、ボクはナプキンなるものを使った。
お尻にだけど。
使わなければ、安眠できないし、下着の替えは、もう無かった。
明け方まで眠れなかったので、翌日はお昼近くまで、二人はベッドでまどろんだ。
「これで、ホントの臭い仲になっちゃったね」
ミキちゃんは、ふふっと笑ったが、ボクは、まだ笑えずにいた。
あの失態は、生涯取り返しがつかない・・・。
「ミキちゃん、ボクは、自分のお尻のコントロールもできない、ダメな男だ・・・」
情けなくて、いっそのこと、ミキちゃんの前から消えてしまいたかった。
「でも、一緒に暮らしちゃうと、お互いに、こういうこと、全部さらけ出しちゃうんだよ」
「・・・」
「ハル、そういうの、受け止めてくれる?」
「私は、平気だよ。ちょっと、恥ずかしかったけど」
ミキちゃんの目は、そう言ってくれていた気がするけど、ボクはヘコんだままだった。
自分がイケてない自覚は十分にあるけれど、これは、そういう次元とは違う気がする。
「マッサージだけでも、受けて帰ろっか?安いんだって」
観光をする時間はなくなってしまったので、ボクたちは、ホテルの向かいのマッサージ店に足を運んだ。
ミキちゃんは、足つぼを選んだが、ボクは、痛いのが嫌だったので、普通のマッサージを頼んでもらった。
別々の部屋に通されて、待っていると、担当のお姉さんが入ってきた。
お化粧っ気は、全くないけれど、素朴な感じのきれいなお姉さんだった。
中国語と片言の英語で何か言ってるが、ボクにはわからない。
取り敢えず、お店のトランクスに着替えろと言っているようなので、着替えて横になると、背中に蒸しタオルを当てられて、施術が始まった。
肩は揉まれても痛いだけなので、ノーを連発して、背中と腰を中心に揉んで貰った。
思いのほか、気持ちがいい。
20分くらいすると、パチンと音がしたので、薄目を開けてみると、何だか部屋が薄暗くなっている。
「何?何?」
そう思っていると、お姉さんが正座をして、うつ伏せのボクの足の間に割って入ると、ボクの太ももを両脇で抱え上げるようにして、お姉さんの膝の上に乗せられた。
施術台にへばりついたカエルみたいな格好にさせたまま、お姉さんの指は、ボクの膝の裏、そして、太ももの裏から内股へとすべり、やがて、トランクスの裾から手が入ってきた。
「ダメだよ・・・、そんなことされたら、ボクは・・・」
オイルを塗った両手で優しくタマタマを包まれると、ボクのはすっかり大きくなり、前も後ろもすっかり揉みほぐされて、やがて竿をしっかりと扱かれた時には、自分でもびっくりするくらい、大量に放出してしまった。
「え?え?ここって、そういうトコ?」
お姉さんが、ニッコリ笑いながら、何か言ってたけど、さっぱりわからない。
「どお?気持ち良かった?」
サッとシャワーを浴びて服に着替え、店の入り口に戻ると、ミキちゃんは、もう待っていて、訊いてきた。
確かに、気持ち良かったけど、何が気持ち良かったかなんて、死んでも言えない。
ボクは曖昧に頷くと、お店が出してくれたお茶を飲もうとして、やめた。
今から特別警報が出たら、今日は、もう、飛行機に乗れない。
「ミキちゃん、これは、不可抗力なんだ。決して、浮気をしたんじゃないから・・・」
心の中で、そう弁解しながら、ふと、
「ミキちゃんは、どうだったのだろう」
と疑問が湧いた。
でも、怖くて訊けない・・・。
ミキちゃんには言えない秘密ができてしまった。
こうして、リニアとホテルとマッサージだけの、週末の旅は終わった。
[ヨーロッパ旅行編]
「え?本当にいっちゃったの?」
でも、ミキちゃんは、直ぐににっこり笑って、ボクの口の端にキスをしてくれた。
☆遡ること一週間。
ボクたちは、システィナ礼拝堂にいた。
朝から壁と天井一面の壮大なフレスコ画なるものを見上げながら、運命の不思議さを感じていたところだった。
「ハル、次、いくよ」
ミキちゃんに呼ばれて、我に返った。
「ちゃんと、ついてきてね。ハル、直ぐに迷子になっちゃうから」
「チェッ、痛いところ、突いてくる」
ボクは心の中で、口を尖らせながらも、素直に
「はい」
と、いいお返事をして、ミキちゃんの真っ赤なダウンジャケットを追った。
「何、食べる?」
さぁ、この返事が難しい。
ここに着いて、最初の食事だから、ミキちゃんは、絶対に食べたいものがあるはずだ。
「折角だから、パスタかな」
無難なところで、そっと、探りを入れてみる。
「うん、いいね。私、行きたいお店あるんだけど、いい?」
ほら、きた。
「広場を出て、お城の前の橋を渡って、真っ直ぐ行ったところのが、美味しいんだって」
「そこまでピンポイントで決まっているのなら、最初からそう言ってよ」
そう言いたくなるが、口が裂けてもそんなことは、言えない。
ボクは、ニッコリと微笑んで、親指を立てて、
「いいね!」
をして見せた。
ミキちゃんはボクの手を取ると、手を繋いだままジャケットのポケットに入れてきた。
それから軽く肩をぶつけてくると、歩き出すようボクを促した。
着いたレストランは、小さいけれど、きちんと手入れの行き届いたいい感じのお店だった。
ミキちゃんが、テキパキと何かを頼んでメニューをおいた時、ボクはようやく、日本を出る前から聞きたかった質問をした。
「あの・・・、どうして、ボクたち、地球の裏側まできてしまっているんだろ?」
ミキちゃんは、菜箸みたいに細くて硬い、カリカリしたものを口に運びながら答えた。
「ちょっと、非日常がほしいかな、って」
しかし、それでどうして、後期の試験が終わると同時に、往復の航空券だけ買って、ホテルの予約もせずに、日本を飛び出してしまうことになるのか、ボクの理解は追いつかない。
倉田さんだって、4月からの社会人としての準備があるはずだ。
「これからの日本って、どうなるのかなぁ?」
「うわぁ、壮大なテーマをありがとう。でも、ノンポリのボクには、そんなこと考えたことないよ」
そう思ったので、素直に
「はい」
とは言い辛かったので、ボクは曖昧に応えた。
「そうだね・・・」
すると、ミキちゃんは、窓の外を見ながら唐突に言った。
「あ・・・、あの二人、ポイ捨てした・・・」
見ると、ボクたちぐらいの若いカップルの足元に、何かを食べた後のゴミが転がっている。
「あれ、絶対、日本人だよね。海外だと、どうしてこうマナーが悪くなっちゃうんだろう」
ボクが、再び曖昧に頷くと、ミキちゃんの無茶振りが飛んできた。
「ねぇ、ハル、なんか言ってやってよ」
「え?ボク?」
「いや、いや、いや」
「ミキちゃんは、正義感の塊みたいなひとだから、そういうの平気かもしれないけど、ボクは、羊のようにおとなしい、ことなかれ主義のノーと言えない日本人なのです」
「人さまに注意なんて・・・」
心の中でそう思って、ミキちゃんを見返すと、ミキちゃんは、外の二人を黙ってじっと見つめている。
「ボクは、男だ、男だ、男だ・・・」
そう自分に言い聞かせて意を決すると、ボクは店を出て、カップルに歩み寄った。
「あの・・・、余計なお世話かもしれませんけど・・・、こういうの良くないと思うんです・・・」
足元のゴミを指差しながらそういうと、二人はバツの悪そうな表情を浮かべ、小さな声で、
「スミマセン」
というと、ゴミを拾って、足早に立ち去っていった。
ボクは、ホッと胸を撫で下ろし、踵を返して店に戻ると、ミキちゃんが驚いた顔をしてボクを待っていた。
「え?本当に言っちゃったの?」
「それは、ないよ、ミキちゃん・・・。ミキちゃんが、言えって、言うから・・・」
絶句するボクの表情に全てが表れていたのだろう。
ミキちゃん、直ぐに、にっこり笑って、ボクの口の端にキスしてくれた。
「ありがとう。でも、こういうの危ないから、もうやめてね」
本気と冗談の区別もつかない、駄目ボク。
さっきのカップル以上にボクはバツが悪かった。
・・・でも、今日の倉田さん、なんだか変だ。
空いてたホテルは、ツインルームだった。
シャワーを浴びて、それぞれのベッドに潜り込むと、外で爆竹を鳴らす音が聞こえた。
灯りを消した暗がりの中で、ミキちゃんの方に身体を向けて、手を伸ばす仕草をすると、ミキちゃんは徐に起き上がって、ボクのベッドに潜り込んできた。
ミキちゃんが、ボクの胸に顔を埋めてきたので、ボクミキちゃんの細い身体を抱きしめた。
気がつくと、ミキちゃん身体が、震えている。
「あれ?え?泣いてるの?」
ボクは、慌ててベッド脇のライトを点けて、ミキちゃんの顔を覗き込んだ。
「ど、どうしたの?」
「ううん、なんでもないの」
ミキちゃんは、指で涙をぬぐうと、無理に笑って見せて、ボクの顔をじっと見ながら、指を櫛のようにボクの髪に入れると、優しく撫ででくれた。
これは、おかしい。
いくら鈍感なボクでもわかる。
ミキちゃんの上体を抱き起こし、足を伸ばしたままベッドに据わらせると、その横で正座をして訊いた。
「ミキちゃん、何があったの?」
最初は、首を横に振るだけのミキちゃんだった。
けれども、珍しくボクが強く促すと、こうだった。
入社前検診で、
「胸に異常あり、精密検査の必要あり」
との診断で、生検とかいう組織検査までも受けたらしい。
「ここに、しこりがあるの。わかる?」
ミキちゃんはボクの手をとって、自分の左胸に押し当てた。
「え?え?それって、ガン?」