塾の先生のパンチラを見て欲情していた小学生時代②⇒中学時代

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1987年3月、憧れていた塾の先生の通う大学の附属中学の入試に失敗し、その翌月(4月)、僕は地元の公立中学に進学した。

アメフトをやりたかったのだが、地元の公立中学ではアメフト部なんて当然なかった。それでも、小学生時代からやっていた野球にかなり真面目にキャッチャーとして打ち込んだ。

中学入学当初こそ、みつき先生に会う為に、塾へ立ち寄ることも考えたが、受験にすべったヤツが訪れるのはかっこ悪いからやめた。

そして1年も経てば、中学校での生活に馴染んできたことに加え、みつき先生に会うことがなくなり、想いは薄れていった。気が付けば女子バスケ部の同級生のことを毎日考えるようになっていた。

その子とはクラスは違ったが、文化委員会だったかで一緒になり、時々話をすることがあった。当時の見た目は印象にないが、3年ほど前にSNSで繋がった同級生有志の集まりで再会した時は、女子バレー日本代表の奥村麻依選手に似ていると思った(なので以下、麻依ちゃん)。

さて、部活に明け暮れていた中2の夏。夏服になると女子のブラジャーが透けているのをみて常に興奮し勃起していた。その麻依ちゃんはよくピンクのレース付きのブラジャーをしていて、それはもう毎日おかずだった。同級生の男子がある日の休み時間中、廊下で麻依ちゃんをからかった。

「麻依、今日もレースのブラジャーか!」

「もうそんなこと言うとT君が見るでしょ」

と、僕がいつも麻依ちゃんの透けブラを凝視していたのはどうやらばれていたようだった…。

そして夏休みに入り、7月末の出来事。部活の帰り際、たぶん16時ぐらいの強い日差しがまだ残っている時間だった。麻依ちゃんと学校のプールサイドですれ違った。

麻衣ちゃんは短パンにTシャツにビーサン。Tシャツからはもちろん白いブラが透けていたのを鮮明に覚えている。麻依ちゃんはバスケ部だが、外練(体育館外での練習)の日が週3ぐらいあったので、かなり日焼けしていた。

プール横の道路を一人歩く麻依ちゃん。僕と目が合って

「もう帰り?お疲れさん」

と声をかけてくれた。これが最初で最後のチャンスと、僕は思い切って呼び止めて告白した。

「あ、麻依ちゃん…俺、君のことが好きやねん。彼女になってほしい」

麻依ちゃんは驚きつつもちょっと申し訳なさそうな表情で

「ごめん、あたし他に好きな人いとぉから」

とあっさりふられた。

でも、部活に失恋にと、思い出せばほんとに甘酸っぱい青春ど真ん中の中学生活だったと思う。あと、中学時代といえば、休み時間になれば、同級生たちと階段下から女子のスカートを覗くというパンチラフェチな趣味に没頭した。それで仲良くなった悪友もできた。やはり中学生だったので、頭の中は常にどこかにエロがあり、毎日オナニーしてた。

しかしあっというまに時間は経ち、謳歌していたチュウボウ生活も3年生になる際、高校受験のために塾へ通うよう親に勧められた。どこの塾に行ったらよいかわからず、小学生時代に通っていた塾の中学生部門に行くことにした。

小6のとき好きになってしまったみつき先生は、その年の3月に大学を卒業しており、もうこの塾にはいないはずだった。1989年4月、懐かしい塾の中学の部、最初の授業のため、久々に訪れた。

まず入り口奥の庶務室には、小学生時代から顔見知りだった事務のおばさんがいた。そしてみつき先生のその後を聞いてみた。

「わたしはよう知らんけど、あの先生がみつき先生と仲良かったから知っていると思うよ」

と指さした先生は、小6時代に僕が国語を習っていた麻生久美子に似ている先生だった(なので、以下久美子先生。ただし、雰囲気とかキャラはファーストサマーウイカがさらに播州弁になったようなかんじ)。

懐かしかった。国語が得意だったので久美子先生も僕の中学受験には期待してくれていた。しかし不合格だった僕は、合格発表の帰り道、塾へ合否連絡にいって、たまたま塾に久美子先生がいたので、泣きながら不合格の報告をしたのだった。そのときは久美子先生もすごく残念そうで僕を慰めてくれた。

「久美子先生、おひさしぶりっす。」

「うーわ、でた。T君やん!久しぶりやなぁ。元気にしとー?もう中3なんや。早いなあ。」

その久美子先生にみつき先生のことを聞くと、

「みつきさん、4月からXX社(大手精密機器メーカー)に就職して、今は東京にいよー」とのことだった。

東京ときいて、ちょっとショックを受けた。ただし、久美子先生は近いうちに就職活動で東京へ行く予定があり、その際、みつき先生に会う約束をしてるようだ。「T君のこと伝えとくよ」

と言ってくれた。

久美子先生は

「ほんま思い出すなあ。T君、あんたみつき先生のこと好きやったでしょ?ウヒヒヒヒ。めっちゃみつきさんに懐きよったもんなあ。でもさ、あたしもみつきさんもな、あの頃、T君の授業を聞く態度とか積極的に質問しにくるとことか、だんだん大人になってきたねって言うとってん。」

「みつきさんな、あの子はほんましっかりしてきて、受験には失敗したかもしれんけど、自分で決めたことをできるまでしっかりやるようになって、そういう成長のほうがが嬉しい。あの子は絶対いい男になるって言ってたよ。」「」#ピンク#ピンク

「あーあ、もう、中学受験がうまくいってたら、一緒のキャンパスやったの#ピンクにねえ。年の差カップル誕生やったのに、残念やったなあ。高校受験は、ほんま頑張りやー。国語はまた私が見たるからな。ビシバシいくでー!」

余談だが、久美子先生でオナニーすることはなかった。僕にとっては先生であり、あるいは姉みたいな存在だったのだ。

さて、中3最初の塾。授業開始のチャイムがそろそろ鳴りそうだったので、初回の英語の授業のために教室にはいると…英語の先生がびっくりするぐらいきれいな先生だった。

背がスラっとたかく(170cmぐらい)、背筋がピンと伸びて、肩までの髪が少し茶色い京都の名門ミッション系大学法学部2年生の先生だ。瀬戸まなほさんに本当によく似ていた(なので、以下まなほ先生)。

まなほ先生はきれいだし、すらっとしたスタイルもかっこいいけど、本人があまりそれを自覚してないのか、たまにとても野暮ったい服装の時があった。

だいたいはスーツっぽい服装でかっこいいのだが、なんか白の手編みニットの上下揃いのセーターとスカートに赤い靴下という意味不明な服装がなかなかの頻度であった。

ただ、その白ニットのスカートの日は、確実にパンティが透けていた。いつも白いパンティだった。あと、胸元が広いブラウスのときは、前かがみになったとき、白いレース付きのブラジャーが見えたり…パンツスーツのときも、パンティラインが確実に浮いてみえた

今思うとちょっと隙の多い先生だった。テスト中の巡回の際はしょっちゅうお尻がひじにあたる。で、毎回パンティやお尻の感触を思い出し、帰宅してオナニーする…。

そんなある日のテスト中。僕が消しゴムを落として拾おうとしたところ、後ろの席に座って、テスト監督しながら書類作成しているまなほ先生のタイトスカートのデルタゾーンから純白のパンティがバッチリみえた…。

まなほ先生が気づいていないのをいいことに、しばらく凝視し、帰宅してまたオナニー…。どんだけパンチラ好きなだよと我ながら呆れる。そんなこんなで、入試のシーズンが近づいてきた。

僕は英語も頑張ってはいたが長文の読解力に難があり、模試の偏差値が芳しくなく、まなほ先生にも積極的に英文読解の質問をよくしていた。高校受験については、もう一度、みつき先生のいた大学の附属高校を受験することも考えたが、アメフトでその高校を倒すという目標ができ、同じ県内の公立の進学校でアメフト部のある高校を志望校とした。

しかし、英語の読解が思うように伸びず、入試直前の冬休みから、まなほ先生が居残りで文章構造をしっかり読み解くことと、わからない単語がでてきたときに文脈で意味を読み解くというやりかたで読解対策を徹底的に教えてくれた。

僕はまなほ先生に対しては恋心とか触りたいとかパンチラを見たいとかいう思いしかなかったが、冬休みにボランティアで特訓してくれることに涙が出るほど感謝していたし、その思いに答えたい一心で勉強を朝から晩まで頑張った。

しかし、静まり返る年末の夜の住宅街。マンツーマンで教えてくれるまなほ先生が隣にいるだけで、いい匂いがしてそれだけで勃起した。胸元から覗くブラジャーを見ると、思わず手を入れてしまいそうになった。で、それに気づいたまなほ先生は、たまに胸元を抑え、顔を真っ赤にして続きを教えてくれていた。たぶん、めっちゃ恥ずかしかったのだろう。

帰宅してから、その胸元から覗くブラジャーと恥ずかしそうなまなほ先生を思い出してオナニーはさせてもらってた。

そして入試の2、3日前だったか、塾での最後の授業となった。まなほ先生には帰り際、中3のガキのくせに

「僕、先生にはめっちゃ感謝してる。自信もって入試受けられます。ほんまにありがとうございました。で………あの、僕が高校生になったら、二人であってもらえる?」

と伝えた。

まなほ先生はちょっとびっくりして数秒沈黙したが、

「ありがとう。でも高校生になったら、あたしなんかよりかわいい彼女みつかるよ…」

と言った。

ちょっとショックではあったが、想定内っていう感じだった。続けてまなほ先生は

「ほんまに、入試頑張ってね。あんなに英語できなかった子が、ここまでできるようになったのは、わたしにも自信になった。あたしこそ、T君にありがとうって言わなあかんわ…」

と言って涙目になってた。こっちこそ感謝しかないよと思うと、言葉にならなくて、僕はすぐに

「さよなら」

と教室を出て行ってしまった。ちなみにその後、まなほ先生は大学卒業するまでこの塾で熱心に英語を教えていたようだ。大学卒業後はどうされているかまったく知らなかったが、10年ほど前、SNSで検索してみたら、まなほ先生の名前を見つけ、メッセージを送信した。

すぐに返信があり、大学卒業後、出版社に勤務したが、その後やはり語学教育の道に進み、現在は海外で日本語教師をしているとのことだった。

「今でも語学を教えているのは、T君を教えて自分に自信ができたから。T君のおかげやわ」

とメッセージに書いてあり、こそばい気持ちになった。

あと、久美子先生は、国語の授業中、在阪テレビ局に就職が内定したことを教えてくれた。何年か後、報道記者として夕方のニュースを事件現場からレポートをしてる姿を画面を通して見た。

今でもテレビで見かけることがあり、周囲に「この人に国語ならとったんや」と自慢している。

さて、そんな年上のお姉さんたち…じゃなくて先生たちのご尽力により、高校受験は無事、第一志望の地元の公立高校に合格した。

1990年4月、その高校で念願のアメフト部に入部し、ひたすらアメフトに打ち込んだ。入学して数か月後の夏休みに、初めてのセックスを経験した。これも年上フェチな僕らしい話なのだが…部活が5日間休みになる盆休み中、地元の百貨店でのイベントで短期バイトをした。

そのバイトで知り合った隣の市にある私立女子高の1つ年上の人に、いろいろ話かけられ、僕もちょっと調子に乗っていた。2日目のバイト帰り、その人と公園に行き、公園のベンチでされるがままにされてしまった。

好きでもない人にいきなりディープキスされ、ちんちんを触られ、まんこに騎乗位で入れられた。正直な感想として気持ち悪いと思った。好きでもない人が僕のちんこを入れながらあんあん言ってて…でも性欲と好奇心から拒めなかった僕はクズだ…

だから初めてのセックスは、苦い思い出であり、そんなエロい話でもないから書くことはやめておく。

結局、その苦い初体験以降、社会人になるまでセックスを経験することがなかった。でも、社会人になって人生最大の出来事が起こるので、続きのご要望があるなら、書きますね。

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