小生も高校1年生になると身長180cmで体重76kgと筋肉質の体系で陸上競技部の短距離・走り幅跳びを行い、最近の有名選手だと朝原宣治選手の様なタイプでした。子どもの頃から走るのが速かったので運動会では美恵子さんも応援してくれました。私は両親から大学進学を勧められて普通科へ、和男はお父さんの影響か工業高校の工業化学科に進み将来を見据えた行動の様に思えました。
私の両親は居酒屋から結婚式や新年会・忘年会等の宴会も出来る和食・洋食・中華の料理人を雇い、地元の皆様に利用される「◯◯苑」という自社ビルを建てて営業しておりました。お陰様で地元では◯◯苑の息子さんで有名になり、それと陸上競技でも高1ですが県内の上位にランク入賞する事が多く地元紙にも掲載される様になっていました。もちろんペニスサイズも大きくなりました。
そして、美恵子さんはうちの事業拡大に伴い、母親が頼み込んでレジ担当兼ウエイトレスとしてお給料もスーパーより良くして働いてもらっていました。ビルは5階建で1Fは厨房と客席、2Fと3Fは個室にも出来る大宴会場でした。4Fは従業員控室と休憩室と食材備蓄及び備品倉庫になっていて、5Fに事務所と自宅がありました。私の部屋も5Fにありエレベーターを利用した。
屋根付き外階段もあり、従業員は階段を利用し、料理は厨房から配膳用エレベーターを活用していました。エレベーターは奥に配置し店舗は正面入口奥に進み、私は家族用入口から入り同じエレベーターを使用していたのです。事務所には両親と総務・経理・営業担当の女性スタッフ2名おり、美恵子さんもレジを締めると現金を5Fの金庫に入れてから、4Fで着替えて帰宅するのでした。
前置きが長くて申し訳ありませんでした。美恵子さんとのセックスは正直タイミングが合わず、出来ませんでしたが時々両親がいない時に私の部屋でフェラして抜いてもらっていました。ペニスが大きくなった事は美恵子さんが一番知っていて、「早く挿れて欲しい」と言っていました。その頃にポラロイドカメラが出来て親父に頼んで買ってもらい美恵子さんのオマンコの写真を撮り
生徒手帳に入れてお守り代わりに持ち歩いていたものです。お陰で怪我や事故を回避出来たと勝手に理解していました。私のペニスの写真もありましたが美恵子さんには時々見せるだけにしてました。
私は高校1年生ながら県大会で100Mで4位となり、地方大会へ行きましたが準決勝で敗退しインターハイへは行けませんでした。夏休みになると私と和男は店でウエイター兼出前担当兼雑用でアルバイトをして、朝は9時から来て店舗の掃除をして11時オープンと同時にウエイター兼出前係で働き、14時から17時まで休憩して17時から20時まで実働8時間で昼飯付きでした。
美恵子さんは12時〜22時の勤務で経理的な仕事もあり、14時から賄いで16時まで休憩でした。10時間拘束の8時間労働でした。和男が先に帰り妹さんと夕食を食べていた様です。美恵子さんは帰宅後入浴して寝る事が多かったそうです。翌朝は朝食支度と妹さんの昼食の弁当を用意していたそうです。
そして、不幸はお盆休みに起きました。
店も旧盆期間中はお休みでしたので、美恵子さんのご主人も夏休みで帰宅して来る途中に飲酒運転している男に反対車線に入られ正面衝突事故で亡くなられたのでした。夜警察から連絡をもらい車が無いので親父に頼み、搬送された病院へ直行しました。警察の説明では即死状態で美恵子さん妹さんは泣き、和男も涙し私も涙しました。その後の事はうちの親父と顧問弁護士も手伝い
会社と話し合い勤務時間外の事故でしたが会社側が認めている帰宅日でしたので労災保険扱いで補償金はいただき、生命保険もきちんと加入していたので、余計なお世話だが暮らしに困る様にならない程度のお金は入ったと思います。美恵子さんは親父や顧問弁護士にお礼を伝えていました。その後は美恵子さんも落ち着きを取り戻してから仕事に復活したのでした。
葬儀は斎場で行いましたが、その後の法要はうちの店で盛大に執り行い美恵子さんは親父と母親に感謝していました。おじさんの49日にお線香を挙げに行くと和男と妹さんは外出して留守にしていました。おじさんの写真の前では気が引けるので、茶の間に行き抱き締めるとキスして来て「色々とありがとうね!」と言い、股間を摩るのでした。当然ながら勃起し大きさが分かる程でした。
美恵子さんは玄関の鍵を閉めに行き、フェラで大きくするとペニスを見て「本当に大人になったのね!」言い、黒のスカートをたくしあげ黒のパンストと白のパンティーを脱ぐと私の顔に腰を下ろしてオマンコを舐めさせるのでした。朝着替える際にシャワーで膣洗浄してもしもに備えて準備していたので、舌を大陰唇から膣・クリトリスに愛撫を加えて十分に濡れさせると
美恵子さんはペニスを持ち膣口を這わせてから徐々に挿れていくと、不謹慎だが未亡人のオマンコの温かさ感じられ、私のペニスが大きくなり美恵子オマンコとの接触が強くなったのかペニスに膣壁が絡んでくる様に感じ、美恵子さんに「膣がペニスを締め付ける様に絡んでくるよ」と言うと、「私もチンチンを包み込むんでいる様な感じがして気持ち良いのよ!」というのです。
あとから気がついたのですが「これがミミズ千匹」というものなのかと知りました。ペニスを動かすと美恵子さんも感じてくれて、私も逝きそうになったので「出しても良い?」と聞くと、「潮噴くかもしれない」のでと言い、スカートを脱いでバスタオルを敷いて、潮噴いても飛ばない様にバスタオルで接合部分を隠して勢いよく動くのでした。私も下から突き上げ奥まで挿入すると
美恵子さんのオマンコは微妙に震えて口を手で塞いで逝くのでした。それと同時に接合部分は生温かくなり聖水を噴き出したのが分かりました。私は遅れて膣奥に射精したのですが、美恵子さんは精液の温かさを感じたと言い喜んでくれました。和男達が帰って来るかもしれないので急いでシャワーを浴びて身支度を整えてから、洗濯機を回すのでした。玄関の鍵を開けてると間も無く
和男と妹さんが帰って来ました。「おじさんに線香挙げさせてもらったよ!」と言い、心の中では「奥さんのことは心配しないで下さい」と言いました。美恵子さんが「ごはん食べて行きなさい」と言うので、おじさんを偲んで美恵子さん特製の精進料理をいただきました。中学2年生になった妹さんが普段はひとりで食事する事が多いので喜んでくれました。お母さんに似て美人でした。
妹さんも生理がありオッパイも大きくなっているので、オマンコも少し毛が生えているのかなと想像してみるとペニスが反応してしまいました。子どもの頃は一緒に風呂も入って毛の無いワレメは何度も見ましたが、大人になりかけのオマンコも見てみたいと思うのはやはり性癖なのでしょうか?その様子に気づいた美恵子さんは耳元で「娘には絶対手を出さないでね!」と念を押されました。
その後は、タイミングが合えば美恵子さんのイソギンチャクオマンコに極太肉棒を沈めてはお世話になりました。高校卒業まではこの様な関係が進み私が東京の大学へ進学し、和男は就職してその会社の研究部門がある千葉県に行くのでした。
その後も話は続きます。誤字脱字がありましたらごめんなさい。