37歳になった年のとある夏の日の夜。俺はもう二度と味わえないと言っても過言ではない経験をした。
といっても俺はそこらにはいて捨てるほどいるただのサラリーマンの一人。2つ年下の妻と5歳と2歳になる息子がいるごく一般的な家庭を持っている。一昨年にマイホームを35年ローンで購入し、毎月三万五千円の小遣いでやりくりしている。
趣味も休日の午前中にネットカフェで漫画を読むぐらいで、それ以外はほぼ家族サービスという名ばかりの奴隷となっている。独身の同僚からは「お前それで幸せなんか?」とよく言われるが別に今の生活に特段不満はない。
多分それは自分の身の丈をわきまえているからだと思う。仕事での成績も可もなく不可もなくだし、肩書きも現在は主任だ。これは年齢から見て特に出世コースを外れている事もないが、逆に出世コースまっしぐらという訳でもない。普通に働いていれば当然の結果という感じだ。
これという特技もないし、強いて言うならば普通の奴より少しだけ頭の回転が早いぐらいだろう。要するに少しだけ要領の良い奴というだけだ。
ある日の午後。懇意にしてる取引先の村田という15歳ほど年上の営業マンから連絡が入った。
「もしもし、阿久津ですが…」
「あっ、もしもし?阿久津くん?どーも村田です」
「お久しぶりです。どうかしました?」
「いや~、阿久津くん今夜空いてるかなーと思って。もしよければ久しぶりに一杯引っ掛けて帰らない?話したい事もあるし」
「話したい事?」
「ええ、まぁ電話でもいいんやけどね。けどどうせなら直接会って話したいと思って…どうかな?」
別に帰っても特にする事が無かった俺は現時点の財布の中の残金を瞬時に計算し、村田の誘いに乗った。
「分かりました。じゃあ直接向かいますんで、あとでメールで店教えてください」
電話を切ってから妻に「今日飲んで帰るから夕食はいらない」とメールを送って仕事に戻った。
そろそろ定時を迎える頃にメールの受信フォルダを確認すると村田からメールが届いており、いつもの店で19時に待ち合わせしましょうと書かれていた。
それは何処にでもあるただの居酒屋チェーンで過去に何度も村田とそこで酒を飲んでいた。ちょうど二人の会社の間に位置する店だったのでよく利用していただけだ。
19時少し前に到着した俺は席を確保すべく、先に店内へ入り店員に「二人いけますか?」と聞いた。チェーン店だけあって店内はすでに賑わっていたが、テーブル席が空いていたらしくそこへ通された。
席に腰を下ろしてドリンクメニューを手に取った辺りで店内に顔を出す村田の姿が目についた。
「おーい!村田さん、こっちこっち!」俺が手を上げると村田はすぐにこちらに気がついて「おお!」と汗をハンカチで拭いながらこちらへとやってきた。
ビジネスバッグをショルダーにした小太りの村田はドスンと腰を席下ろすと、近付いて来た若い店員に「とりあえず生二つ!」と言った。
年齢の割にまだ毛量のある村田の頭髪と額は皮脂でギトギトだった。失礼な話だが、もし俺が風俗嬢ならこんな見た目のオヤジとそういった行為は生理的に絶対に無理だと思う。
けど俺にとって村田は過去に仕事で何度も助けられている恩があるオヤジだった。注文を受けた店員が生ビールを持って来たタイミングで我々は乾杯し、二人ともひと口でジョッキの八割ほどを飲み干した。
「で、話って何です?」俺は急かした。理由は村田が何か大口の案件を持ち出すと予想したからだ。そうすると俺は楽をして次は係長に出世できる。今までも二、三度こういうシチュエーションで村田はそういった仕事の案件を持ち掛けたのだ。
本来そういう話は勤務中に行うのが筋だろうが、俺達の関係性からして飲みの席で仕事の話をし、そのまま後日契約という流れが定番だった。出来レースだった。
にやつきながら聞く俺を村田は「まぁ待ちーよ」と制し、残りのビールを飲み干した。そしてジョッキをテーブルに置くとゆっくり口を開いた。
「阿久津くんはさ、副業とかしてる?」
「副業…ですか?」
予想外の内容に俺は眉をひそめる。まずい、思っていた内容と違う。もしかしてマルチの勧誘かもしれないと思った。
「そっ!副業。そっちもうちと同じで会社的にはオーケーだよね?」
「ええ、まぁ。けど俺はしてないですよ。興味ないっていうか、手間だし。それに何とか今の収入で生活もできてますし」
「そうか。家も買ったもんな」
「はい」
しばらくの沈黙の後、村田が続けた。
「俺な、副業してるんだよ。もう五年ぐらい経つかな?それでそろそろ会社を辞めて副業を本業にしようと思ってるだ。まぁ、独立開業ってやつさ」
「えっ!?」
衝撃だった。色々驚いたが、何より彼はあと数年で定年退職を迎えるのにそれはもったいないと思ったのが一番強かった。
「定年までいないんですか?ほら、退職金とか」
「まぁな。あと数年我慢すれば定年で退職金も満額出るだろう。だけど俺はこの歳でせいぜい課長代理止まりだ。退職金もたかが知れてる。そりゃあ課長や部長になっていたら定年まで勤めあげただろうし、むしろ副業なんかしてないと思う。だけど後数年でそこまで昇進は望めない」
要するに収入面が問題だったのだろう。けれど村田の会社は全国的にも名の通った食品会社だし、俺なら絶対定年までいるだろうと思った。
「その副業?をあと数年続けて、定年になってから本格的にするってのは駄目なんですか?そんなに急いで本業にシフトしなけりゃ駄目な副業なんですか?」
「うーん…まぁそうだな。俺もかなり悩んだんだけどな」
村田の意思はすでに固まっており、何を言っても無駄だと悟った。
「そうなんですね。いやー、それじゃあ寂しくなるなー。村田さんがいてこそ今が自分があるんでね」
「何を大げさな。阿久津くんは頭が良いから俺がいなくてもこれからも上手いことやっていけるさ」
「うーん、どうでしょう」
「大丈夫。俺が保証する」
やはり村田は退職を固く決意しているようで、今後の生活についてや副業の伸びしろについてなど、正直俺にとってあまり興味の無い話を延々と続けた。俺も今まで世話になった人だから我慢して相槌を打ち続けた。そして酒も進み、そろそろ互いに出来上がった頃に村田が突然言った。
「阿久津くんはさ、浮気とかした事ない感じの人?」
「浮気…はないですね。ちなみにそれってどこからが浮気でカウントします?」
「カウント?どういう意味?」
「いや例えば二人で食事に行けばとか、セックスすれば浮気とかあるじゃないですか。そういう線が」
「あーそういう事ね。そりゃセックスすればだよ」
「それじゃあないですね。風俗以外では」
「俺的に風俗は立派なサービスだから浮気にはならんな。君は結構好きなのか?そういう店」
「どうだろう?男だから好きっちゃ好きですけど、何せ小遣い制ですからね。年に数回しか行けませんよ」
「そうか。サラリーマンならしかたねぇよな。家庭も持ってるしなおさら」
「まぁこればっかりは自分の稼ぎのせいですから。それがどうしたんですか?」
俺が言うと村田は少し不自然なぐらい辺りを見回して、バッグからよれよれの折り畳み式の皮財布を取り出した。そして財布を開いて慎重に一枚のカードを抜き取り、そっと俺の目の前に置いた。そのカードは真っ黒のブラックカードでショッキングピンクの柄がいくつか入っているだけの見た事が無いよく分からないカードだった。
村田につられ、慎重にカードを手に取ると裏表を確認した。そのカードには店名らしきものは一切表記されておらず何のカードなのかさっぱり分からなかった。
「これは何ですか?」
「とあるパーティーの招待券だよ」
「招待券?」
俺は完全にマルチ商法の勧誘だと思った。
「かなりレアなパーティーの招待券さ。俺も過去に三度参加してるが、どの回も頭がおかしくなりそうなぐらい良かった」
「へぇ。で?これがどうしたんですか?」
俺が聞くと村田は不適な笑みを浮かべ「君も一緒にどうかね?」と誘ってきた。
(ほら来た…やっぱマルチの勧誘じゃん。良い人なのに最後の最後でこれかよ)
「いやいや…僕はそういうの遠慮しときますよ。そこに投資できる金も無いし」
「投資?」
「え?これってあれじゃないんですか?マルチ商法の……」
俺が言うと村田は笑い「最後まで話を聞きなさい」と言った。
「ははは!まぁ少しもったいつけた俺も悪いな。これな、仮面パーティーの招待券なんだよ」
「仮面パーティー?」実際に聞いた事はないが、参加者がどんな姿で参加するパーティーかは容易に想像できた。
「そう。もっと簡単に言えば乱交パーティーだよ」
村田はいたって真剣に答えた。
「いやいや、冗談でしょ?街コンか何かですか?」
「俺も初めて参加した時はそう思ったよ。AVの企画か何かだってな」
「そりゃそうでしょう。そんなパーティー聞いた事ありませんよ。それにまずそのカードの出所はどこなんですか?」
「これか?これは俺の友人が手に入れたカードなんだよ。で、最近その友人は体調を崩して入院してしまってね。どうにもパーティーの日に退院が間に合いそうにないからって譲ってくれたんだ。このカードは一枚につき一人だけなら付き添いも連れて入れるんだ。俺はその友人の付き添いとして過去に参加したんだ」
「その友人の方は何者なんですか?」
すると村田は誰もが知る超大手企業の社長の名前を言った。それも雇われ社長ではなく創業者の方だった。そして俺が疑いを持つよりも先に、その社長とどこかの料亭で撮ったであろうツーショット写真を俺に見せた。
「すげぇ…マジじゃないですか……!」
「良い大人が嘘ついても仕方ないだろう。それにこいつとは業界が違いすぎて友人であるからって大して恩恵を受けた訳でもない。この歳で課長代理までしか昇進できなかったのが良い証拠さ。俺達は利害関係無しの本当にただの友人なんだ」
「これはすごいですよ。これだけ金持ってる人間なら乱交パーティーをしていても不思議じゃない」
「主催者ではないがな。で、どうする?さすがに阿久津くんでも参加する気がないならこれ以上は深く教えられないんだ。分かるだろ?これは外部に漏れるとまずい話なんだよ」
「じゃあ何で俺を誘ったんですか?はなから興味ないかもしれないのに」
「強いて言うなら君を信用してるからかな?それに俺はもう退職するから君との付き合いも事実上終わりだ。だからこれは俺からの最後のプレゼントだと思ってくれていい。とはいえ君の足を引っ張って家庭を壊そうなんて考えてもいないし、強制はしない。まず奥さんにバレる事はないだろうがこれは浮気になるだろうしね」
俺は頭の中がぐちゃぐちゃになった。突然こんな話をされて「はい、そうですか」と首を縦に振れる勇気もないし度胸もない。
「少し考えさせてもらっていいですか?こちらも予定とかもあるし。まずそこからクリアにしていかないと」
「それはできない。参加するかどうか今決めてくれ。開催日は今週の土曜の夜21時から0時まで。もちろん場所は言えない。交通費も一切掛からないから安心してくれ」
当日、特に予定も無く土日が休みの俺に断る理由は無かった。妻には少し嫌な顔をされそうだが朝帰りにならなければ問題ない。埋め合わせは翌日の日曜にすれば良いだろう。俺は決心した。
「じゃあ行きます!交通費以外もこっち負担の費用は掛かりませんよね?」
「特にこれといって費用は掛からないよ」
「分かりました。じゃあ次の土曜日楽しみにしておきます」
「あ、言い忘れてたけどドレスコードあるから。とはいってもいつものスーツで大丈夫だよ。それとノーネクタイで宜しくね」
「ノーネクタイ?普通逆じゃないんですか?」
「普通はそうだな。だけどやっぱりどこからか噂を嗅ぎ付けて招待されてないのに来る輩も少なからずいるみたいなんだ。だから招待客しか知らないドレスコードであらかじめ、ある程度判別するんだと。で、今回のそれがスーツでノーネクタイって訳。ま、その他にも入場前に色々確認されるよ」
「わ、わかりました」
「それと分かってると思うけどこの話は他言無用だよ?もし情報がひどく漏れてると判断された場合開催は見送られるから。下手するとわいせつ罪で検挙される人間も出かけないからね」
「検挙ですか…」
「ああ、けどそれはそこまで心配しなくていい。我々は主催者側ではないからいくらでも言い訳ができる。罪状的にも懲役刑を食らうような事はまずありえないだろう。けどそうなれば当然…」
「家族や会社にもバレる…と」
「そういう事!それなりの思いをするんだ。多少のリスクは取るべきだと思うがね」
「はぁ…」
それからしばらく俺はパーティー当日の段取りを村田から説明され、当日は村田の勤める会社までタクシーで向かい、そこで合流すると約束をしてこの日は別れた。そして翌日から数日、俺はネットで調べられるだけの情報を仕入れて何度もイメージを繰り返した。
もちろん詳細が分かるような大した情報は手に入らなかったが、少なくとも世の中でそういういった乱交パーティーが行われている可能性がある事は理解した。
パーティー当日。俺は妻に仕事で大事な会食があるからと嘘をついてスーツ姿で家を後にした。そして自宅から一番最寄りのコンビニまで徒歩で向かい、あらかじめ予約していたタクシーに乗り込んだ。タクシーに乗り込んでから、ネクタイを取り外し村田の指示通り彼の食品会社へ向かうよう運転手に指示を出した。
運転手は「こんな時間に?」と言いたげな顔で振り返ったが、こちらが知らん顔をするとそれ以上何も詮索する事なく待ち合わせ場所へと向かった。タクシーが到着するとすでに村田は会社の門辺りに腰を下ろして守衛と話をしていた。
村田はタクシーに気が付くと守衛に手を上げ乗り込んだ。乗り込むと運転手に簡潔に行先を伝えた。それは建物の名称ではなく、◯◯市◯町◯◯番地といった細かな住所だった。運転手は慌ててナビを打ち込んだが途中で何かを察したのか、案内開始ボタンを押さずに車を走り出させた。
「お疲れ様です」
「ああ、お疲れ。阿久津くん勃ちは良い方?」
「勃ち?」
突然何を言い出すのかと俺が固まっていると村田は笑い「まぁまだ若いから大丈夫か」と言った。
「悪ければ何かあったんですか?」と聞くと「良いのが手に入ったんだ」とビジネスバッグから錠剤を取り出してこちらへ見せた。ただでさえ怪しい場所へと向かうのにそんなものは飲めないと思った俺は丁重に断りを入れた。
今回のパーティーの話を聞いた辺りから俺の中で村田の見る目が変わりつつあった。正直今までは油っ気のある不潔な小太りの人の良いオヤジって感じに見下していたところがあったが、この時ばかりは村田を怪しいうさんくさい人と認定していた。
そこから一時間ほどタクシーを走らせるととある会館にたどり着いた。見た目はそこいらに存在する◯◯市民会館的な感じだが、建物はそれよりもはるかにでかかったし、外観も税金で造られたものではないと決めつけて良いほどの華やかさがあった。
村田は運転手に料金を払い領収書を受け取った。そして俺に手招きをし、入口へと向かう。
俺は入口を遠目から見て嫌な予感がした。そこには日本人だろうが日本人体型を超越したばかでかいボディーガードが数人立っており、村田は慣れた様子で先ほどタクシーから受け取った領収書と例の招待カードを手渡した。
領収書とカードを受け取ったボディーガードは一旦奥へと引っ込み、その間俺と村田は五人のボディーガードに囲まれる形で待たされた。そしてボディーガード帰って来て村田に無言で封筒を手渡した。
そしてそれが合図だったかのように五人のボディーガードは金属探知機のような黒い棒でつま先頭の先まで入念にチェックを始めた。
探知機を持っていない他のボディーガードは素手で持ち物のチェックを始めた。ビジネスバッグの中身も白いプラスチックのカゴに全て出され、全てのアイテムを一つずつこれは何か?と口頭で説明されられた。村田はこれを知っていたのだろう彼のバッグはほぼ空だった。
そんな話を一切聞かされていない俺は仕事で使うツールを一式入れたままだったので終わるまでにかなり時間が掛かった。その間も回りのボディーガードは全員顔色一つ変えず、淡々と俺の持ち物を触り続けた。
そしてやっと持ち物検査が終わると、プラスチックのカゴに入れられた俺達の持ち物は、ボディーガードの目の前でプールなどに備え付けられているコインロッカーに入れさせられた。もちろん財布もスマホも全てだ。そして鍵と引き換えに番号札を渡された。俺が12で村田が11番だった。鍵も持たせてもらえないようだった。
「阿久津くん、この札を胸につけて」
持ち物を没収されて居心地悪くそわそわする俺に村田は言った。俺は黙って左胸にピンで札を留めるとそれを確認したボディーガードが次に仮面を手渡した。その仮面は鼻から眉辺りまでを隠せるもので、まぁイメージ通りの仮面だった。
だが実際に着けて見て村田を見ると、ほとんど人相が分かってしまう代物だった。
正直これならまだ口を覆うマスクの方が顔バレしないと思った。
ここで俺はふと思った。思い返すとここには初めから俺達とボディーガードの姿しかなく、他の参加者らしき人物を一切目撃していないのだ。
「村田さん、他の参加者達は?」
ビビりながら聞くと村田は「あぁ、それね」と言い、「参加者は開始前に顔を合わさない様に全員集合時間が違うんだよ」と言った。すると一人のボディーガードがこちらへと近付いて来て「こちらでお待ち下さい」とかなり威圧的な態度で俺達を八畳ほどの控え室に通した。
壁に掛けられた時計に目をやると20時40分だった。集合時間が違うったってここまで来たのは俺のタイミングだったはず。知らず知らずのうちに集合時間を知っていた村田のペースに乗せられたのか?とも考えたが今となってはそんな些細な事はどうでも良かった。
控え室で俺達は沈黙だった。俺としては村田に聞きたい事が山ほどあったが雰囲気的になかなか聞ける状態ではなかったのだ。がらんとした控え室には今時珍しく灰皿と煙草がマッチがセットで備え付けられていたので俺は緊張を和らげる為に煙草に火をつけた。普段吸わない銘柄だったのであまり旨く感じられず、ふた吸い程度で煙草を灰皿に押し付けた。
すると部屋のドアが「コンッコンッコンッ」とノックされた。静まり帰った控え室からはそれはとても渇いた音に聞こえた。
「さぁ行こうか」
ドアを凝視したまま固まる俺に村田が仮面を着けながら言った。気が付くと俺は控え室にいる間も仮面を着けたままだった。それぐらい気が動転していた。村田がドアを開けるとそこには先ほどのボディーガードとは一風変わった上品なスーツ姿の細身の男が立っており「こちらでございます」と俺達を大広間へと案内した。
大広間の入口に設置されている大きな二枚の扉は全開になっていて、促されるがまま中へ入ると橙色の明かりが豆電球ぐらいの明るさで目を凝らさないと顔が認識できないほどに調整されてきた。そして聞いた事はあるが、誰の曲か思い出せないクラシック音楽が流れている。
「原則私語は禁止です」と背後に立つ案内係が言った。反射的に返事をしようと振り返ったが横にいた村田が「行こう」とずかずかと奥へ進んだから俺も後に続いた。
「行為中の声は大丈夫だから」村田はそう言うと近くにあった大きなテーブルに近付くと、その上に容易されていたシャンパンを手に取って静かに飲み干した。俺も同じようにシャンパンを手に取り口をつける。酸味が強くあまり口には合わなかった。
少しずつ目が慣れて辺りを見回すと、簡単に数えただけでざっと30人ほどの人が視認できた。男女共に年齢は30~40代ぐらいに見える。それでも中には20代に見えるモデル風の女性や村田の様に50代半ばの男性も確認できた。
部屋中に流れるクラシック音楽のせいで細かい音は聞き取れないが、辺りで男女が交わっている気配は感じた。がっつり交わっているというかイチャイチャしてるといった具合だ。そんな具合に周囲の状況に意識を向けているとあっという間に村田を見失った。
焦りと心細さで俺は動けなくなった。そうやって立ち尽くす俺の前や後ろを、やたら香水臭い女性達がスタスタと通り過ぎていく。俺は邪魔にならないよう壁際まで移動し、壁にもたれかかりながら口に合わないシャンパンをちびちび飲んだ。俺の観察はまだ続いた。
男性はスーツでノーネクタイといったドレスコードが指定されていたが、女性はそうでもないようだ。友人の結婚式に着ていくような服の女性もいれば、女子アナが着ている衣装のような格好している者もいた。要するに女性側は男性ほど服装に統一感がなかった。それに男女比も六対四と女性の方がやや多く感じられた。
初めは男女共に距離があるように感じられたが、徐々に男女の影がひっついていっている気がした。明らかに喘ぎ声といった声も聞こえ始めた。その生々しい声にただ壁にもたれかかっていただけの俺ですら少し勃起した。
すると左側から一人の女性が俺に寄り添うように体を密着させて来た。死角からの突然の接触に俺は固まる。女性は固まる俺を無視し、軽く勃起した股間を手のひらでゆっくりなぞりながらキスをして来た。
俺はされるがままキスを受け、女性が舌を絡め初めたので自然な感じで一度顔を離した。女性は仮面越しににっこりと微笑んでいたが、口元に目をやると矯正器具を装着しているのが目についた。
本当に失礼な話で申し訳ないのだが、それを見た俺は萎えてしまった。小さな声で「すいません。ちょっと…」とだけ言ってその場を離れた。そして丁度、対角線上に移動し反対側の壁にもたれかかった。
さっきの女性には悪い事したなとは思ったものの、こればっかりはしかたない。そんな事を思いながらぼんやりしていると今度は両サイドから二人の女性が俺に密着してきた。
驚いて首を振って左右を確認すると左側には黒髪セミロングの色白で韓流美女っぽい女性がおり、右には明るめの髪色のロングヘアーで小麦色に日焼けしたギャルモデル風の女性がいた。二人共レースクイーンのようなスレンダーな体型をしており、対照的な容姿の二人に俺はまたたくまに勃起し直した。
二人は左右から俺に抱き付くように密着し、ほぼ同時に股間をさすった。俺はされるがまま二人の美女に股間をまさぐられた。そして興奮が高ぶり空いた両手で各々のケツを触った。すると右のギャルは俺にキスをし、左の韓流美女は俺の手を取り自分の胸に手を当てた。揉むとやや小ぶりに感じたが、とてつもなく柔らかい胸だった。
興奮した俺が胸を揉む事に夢中になり、キスが疎かになると今度はギャルの方が俺の手を取り自身の胸を触らせた。そしてこっちは揉んですぐに衣服をはだけさせ乳首を露にした。
ただ一つだけ残念だったのは、照明が薄暗すぎて乳首の色がはっきりと分からなかった事だ。茶色にも見えるしピンクにも見えた。それを見ていた韓流美女もすぐに胸元を開いて俺は立ったまま左右交互にキスをし、両手で二人の胸を揉むといった状態になった。
交互に二人の女性とキスをしていると次第に呼吸が苦しくなってきた。いくら仮面越しだとはいえ、見ず知らずの美女の顔近くで「はぁはぁ」とするのは口臭も気になるしエチケットに反していると思った。
「ちょっ…ごめん。しんどい」とだけ言い俺は二人から顔を真下に背け、大きく呼吸を整えた。
緊張と興奮でなかなか呼吸が整わなかった。すると右にいたギャルが膝をついて俺の股間にスボン越しから鼻を当て言った。
「お兄さんもうガッチガチだね。ねっ、ズボン下ろして」
俺はこんな所でそんな事はできないと言った。
すると左にいた韓流美女が耳元で囁いた。
「大丈夫、周りを見て。ここはそういう場所よ」
俺ははっとして周りを見た。いつの間にと思った。薄暗い大広間では他の参加者達が次々と交わり初めている。皆それぞれ上品な格好はしているが、行っている行為そのものはまるで野生動物のようだった。
固く冷たいタイルの上で上半身裸になり正常位をしている男女もいれば、隅に寄せられたテーブルの上で大きく股を開いた女性にクンニする男もいた。クラシック音楽が邪魔をしてはいたが、耳をすますと辺りは喘ぎ声と激しい呼吸音だらけだった。
俺が呆気に取られていると、いきなりベルトを外されスーツのズボンをずるん!と下ろされた。いつの間にか左にいたはずの韓流美女もギャルと同じように膝立ちをし、勢い良く勃起した股間をまじまじと見ていた。
二人は「えいっ」とわざとらしく可愛い声を出して俺のボクサーパンツまでずり下ろした。そしてギャルの方が先に反り勃つ俺の性器を口に咥えた。彼女の生温くねっとりと唾液をまとった舌が性器に絡んだ。
その瞬間、俺の頭のネジが外れた。
正確には理性を失ったと表現するのが正しいのかもしれない。
妻帯者であり、二児の父であり、ただのサラリーマンである事を忘れた。