中学の2~3年の時の担任の先生は、当時、私が大ファンだった森下愛子さんにとてもよく似ていて、恋焦がれてしまいました。
中3の夏休み直前、冬休み直前、そして、卒業式の後に先生に告白しましたが、当たり前のように断られました。
でも、高校1年が終わった春休みに、本屋さんで先生と再会、今度は熱烈に告白して、交際にこぎ着けました。
「健太君。先生は大人で、健太君は高校生。本当はイケナイことなんだからね。絶対に付き合ってることは秘密よ。いいこと?」
「はい。」
この春休みに、16歳の私は、28歳の先生で童貞を卒業したのです。
森下愛子さんに似た美人先生は、その美しい女体を惜しげもなく披露して、私にクンニリングスを指導しました。
初めて見た女性器は桃色でとても美しく、
「先生ね、大学生の時の彼氏に抱かれて以来、6年ぶりなのよ・・・」
クンニリングスの後、フェラチオをされて、先生の口に漏らしてしまいました。
「大丈夫よ。健太君の精液、美味しかったわよ。もう一度お風呂でオチンチン洗ってらっしゃい・・・」
優しい先生は、私が陰茎を洗っている間、歯を磨いてから、私にキスしてくれました。
陰茎にコンドームを幹部せて、先生の中へ・・・先生は私の腰を抱き寄せるようにして、優しくリードしてくれました。
「ああ・・・私、教え子とこんなこと・・・ああ・・・イケナイ先生・・・」
先生は、そう言いながらも、12歳年下の男子高校生とのセックスに興奮していたように思えました。
この日、3回戦までこなし、先生の口内射精を含めて4回の射精をしました。
若かったですね。
先生にセックスの手ほどきを受けた私は、高校を卒業する頃には、コンドーム無しで生挿入で膣外射精をできるまで射精をコントロールできるようになっていました。
高校を卒業した私は、大学進学で上京する時、
「先生・・・4年後、地元に就職しに戻ってきた時、先生がフリーだったら、また、付き合ってください。その時は、結婚を前提に・・・」
「健太君。あなたは、先生じゃなくて、もっと若い子とお付き合いしなさい。戻ってきても、先生を探しちゃダメよ。」
こういわれて上京しました。
大学では、とっくに女性を知っている私は臆することなく2年先輩の女子大生を口説き、彼女にして毎日セックスに励みました。
「け、健太君・・・初めてじゃないのね・・・ああっ・・・うそ・・・ああん・・・」
2年先輩の美人女子大生を狂わせて、休みの日などは1日中セックスして過ごしました。
その先輩女子大生が卒業した後は、女子高生と付き合って、初めて処女喪失を経験しました。
セーラー服になびく少女の黒髪に天使の輪が煌めき、甘い女の子の香りに包まれながら、青い果実を頂きました。
清純な女子高生を言葉巧みに愛の言葉でその気にさせて、心と身体を絡めて裸に剥いたら、今度は羞恥と快感を絡めて破瓜へ導き一つになれば、その痛みさえ愛だと信じ、美しい処女喪失を神聖なひと時に変えました。
透き通るような白い肌を上気させて、天使のような幼い笑顔は、やがて快感に歪むようになりました。
陰茎が与える快感に、清純であるはずのセーラー服で悶え、淫乱な女子高生へと堕ちていきました。
凌辱的なプレイにも感じてしまい、恥辱と快感の区別さえつかなくなり、自ら腰を振り、純真な少女の面影を失うほど耽溺するようになりました。
清純な女子高生が淫乱になっていくのを見て、純真な学ラン男子高校生だった私を、セックスマシーンに変えていった先生の心情を少し垣間見たような気がしました。
大学を卒業して帰郷、地元に就職をしました。
私は当然、先生を探しだしました。
私を見て驚いた先生に、独身で彼氏がいないことを確認して、安心しました。
そして、当時23歳の私は、35歳の先生に結婚を申し込んだのです。
「健太君、本気なの?」
相変わらず森下愛子さんに似た美しい先生と交際が復活、私25歳、先生37歳で結婚しました。
12歳年上でしたが、美人先生との結婚に誰も反対しませんでした。
母は、私の部屋にずっと飾ってあった、中3の私と27歳の先生のツーショット写真を持ってきて、
「こんなに大好きだった人と結婚できるんだから、反対なんかしないわよ。」
と祝福してくれました。
若い私は、37歳の妖艶な女体を毎日求めました。
現役教師の引き締まった身体、でも、Dカップはある乳房、たまりませんでした。
出勤するときは、グレーや紺のタイトスカートにスーツ、その腰から太腿にかけてのラインは朝から勃起モノでした。
時には、帰宅した先生を押し倒し、タイトスカートをまくり上げ、ムチッとしたラインを楽しみながら着衣セックスに及んだこともありました。
先生だってヒイヒイ喘いだくせに、スカートがシワになって毎回叱られていました。
そんなヤリまくりの新婚生活は半年、それからは毎回中出しで子作りにかかり、先生は38歳で女の子を出産しました。
娘の妊娠出産の折、若い私の下半身を心配した先生は、毎日手で陰茎を扱いて射精させてくれました。
入院しても、ベッド脇のカーテンを閉めて私の陰茎を扱いて、ティッシュで包んだインスタント膣で精液を搾り取ってくれました。
臨月の先生が私の陰茎を握っているところへ助産師が来てしまい、バッチリ見られたこともありましたが、さすが38歳の先生は落ち着いていて、
「あ、もう少し待ってもらえますか?夫が若いもので放っておけなくて・・・」
と全く慌てませんでした。
その時生まれた娘も大学を卒業して社会人になりました。
先生は昨年定年退職し、現在、近所の学童保育のお手伝いをしています。
先生は61歳でも性生活は現役で、49歳の私の陰茎挿入を愉しみにしてくれます。
さすがに毎晩ではありませんが、それでも週3回は夫婦の営みがあります。
8年前に先生が閉経してから、毎回中に出していますが、先生は、中に出されるのがとても好きで、
「ああ・・・愛しい夫の精液を中でもらえるって、心も身体も満足する・・・中に出された熱い精液を感じて、そして、それが流れ出していく感覚がとても好き・・・」
大単に拡げた股、真っ黒に変色した陰唇、その中心の膣口からドロドロと私の精液が零れていきます。
その様子は非常に淫らで、森下愛子さんに似た美人妻の美しい顔とのギャップが興奮を呼び、アラフィフの癖に年に数回、私は先生に2回戦を挑むこともあります。
さすがに61歳の先生は2回戦では逝き過ぎて、白目を剥いてグロッキーになってしまいますが、それでも私の求めを拒むことなく応じてくれます。
61歳になっても美しい妻を見て、私は、先生と結婚して良かったと思っています。
先生とは何歳までセックスができるかわかりませんが、どちらかができなくなるまでは、精一杯愛し合いたいと思います。
年齢的には、私が先生を見送る確率が高いと思いますが、もし私が一人になったときでも、先生との思い出の中で生きていけそうな気がします。