水曜日の午後10時過ぎ。
チューハイの缶を燃えないゴミの袋に捨てたわたしは、歯磨きをしながら明日の予定を立てていた。
柔道整復師として駅近くのマッサージ店に勤務しているわたしは、今の職場の日程上、平日に休みをもらうことが多い。
だから翌日が休みで飲みに行こうにもなかなか友人たちと予定が合わず、まっすぐ帰って一人で酒を煽り、そのまま寝てしまうことが日頃の常である。
その日も例に漏れずコンビニで買った缶チューハイを飲んでダラダラとバラエティ番組を眺めながら眠たくなるのを待っていたのだが、番組終わりの天気予報が”明日は梅雨の隙間の晴れ日和です”と教えてくれたので、溜まっている洗濯物を片付けるチャンスを逃すまいと、今日は早めにベッドに就くことにしたのである。
しかし。
しかし、あまりの暑さに全く眠れる気がしない。
下着の上にキャミソールだけという究極に涼しい状態で横になっているにも関わらず、じわりじわりとかき出す汗は、ナイトブラの背中紐をじっとりと濡らし、それから逃げるように寝返りを打っても、寄せられた胸の谷間がじっとりと汗に濡れ始める。
何度も何度も寝返りを打ってはハッと目を開き冷蔵庫に立ってお茶を飲み、再びベッドに戻る。
そんなことを長々と繰り返していたものの、やはりどう考えても眠れる予感がしなかったので、あえなく左手をパンツの中に突っ込んで、さっさと眠れる方法を取ることにした。
閉じたまぶたの裏にありとあらゆる記憶や妄想を映して指先を動かす。
するとだんだんと身体から力が抜けていき、だんだんと眠りの中に落ちていくのだ。
しかし背中の汗が気になって全然集中できなかったわたしは「あーもう!」と一人、苛立った声を出して真っ暗なベッドに起き上がった。
そしてのろのろとトイレを済ませてベッドに戻るも、すでにやんわりと汗に湿っているシーツに再び横たわる気も起きず、ベッドに座って、話相手を探すために携帯を手に取った。
その日、電話をかけた相手は勇太くんだった。
勇太くんは必ず電話に出てくれるので安心してかけることができる。
『もしもーし』
「もしもし」
『ふふふ、どうしたん』
「いや、なんか…寝れんで」
『そうなんや』
「うん」
勇太くんは、いつぞや誘われて行った合コンで知り合った同い年の男の子で、一般企業にてサラリーマンをしている。
別にイケメンというわけではないけれどわたしにとってはドストライクの顔で、普通に優しいし真面目だからモテないはずはないんだけど、”就職して3年間は彼女を作らず仕事をがんばる”という自分ルールのためにしばらく彼女はおらず、すると”どうやって彼女作ってたかわからなくなってきた”ために就職4年目の今も彼女がいないそうだ。
「なんしよーと?」
『今?』
「うん」
『軽く飲んで帰って来てー、風呂上がりに涼みよるとこ』
「んふふ。そうなんや」
『おう。やから俺、今、全裸よ』
パッと脳裏に勇太くんの裸が浮かんだ。
特に太っても痩せてもいないが、年明けから筋トレを始めたらしいおかげで軽く細マッチョである。
「なにそれ。要らん情報ー」と言いながら、わたしの左手は何気なく太ももの隙間に伸びていた。
『ははは。…。美咲ちゃんは今、どんな格好しとるん?』
「わたし?わたしは…。…下着の上にキャミ着とる」
『下着ってあの夜用のやつ?』
「それそれ」
『あー。…新しいの買った?』
「新しいの?」
『うん。ほら、前見た時、乳首はみ出しとったやん』
「あー。あん時、生理前とかやったけん多分張ってたんよ」
『そうやったん』
「うん、多分」
『ふーん』
「うん」
一つ小さな沈黙が落ちた。
特に沈黙を埋めなければいけない仲でもないので、わたしが目を閉じて指先から伝わる感覚に浸っていると、不意に勇太くんの声がした。
『なあ』
「…うん?」
『なんかさ』
「…うん」
『勃ってきた』
思わず噴き出したわたしは言葉を続けた。
「はあ?なに急に」
『いや、なんか…美咲ちゃんの裸、想像したらさ』
そう言われた瞬間、わたしを見下ろす勇太くんの切なそうな顔が脳裏を駆けた。
勇太くんはいつも人前では紳士的に居ようとしてくれるのに、それが始まるとすぐに性欲に素直になってしまうところがたまらなく可愛い。
「えー、もー、やめてよ、変態」と言いながらわたしは、勇太くんのキスの香りや手のひらの大きさやあそこの形を思い出しながら指先を早めた。
再び少しの沈黙が落ち、わたしは着実に快楽に登りつめていった。
それでも勇太くんは何も言ってくれないので、遠慮なくこっそりと果ててしまおうかと思った矢先に勇太くんの声がした。
『なあ』
「…。…うん?」
『今からいっていい?』
「…ええ?…ふふっ…イったら?」
『…うん?今からいっても邪魔じゃない?』
「…」
『…』
「…あぁ。今からウチに来るの?」
『あ、うん。…いい?』
携帯の時刻を見ると時刻は午前0時過ぎ。
当たり前だが泊りである。
「…会いたいと?」
『うん。会いたい。すごく会いたい』
「ふふん…”エッチしたい”の間違いやろ?」
『それもしたいけど、本当に会いたい。
最近全然会えんかったし、本当に会いたい』
汗にまみれた勇太くんの熱い眼差しを思い出すと、身体の奥がキュンと高鳴った。
「…わかったよ。いいよ、来て」
『美咲ちゃんも俺に会いたい?』
要らないプライドが言葉を邪魔したが、勇太くんの素直さに感化されたわたしは応えた。
「…わたしも会いたい」
するとすぐさま『じゃあ終電乗るんで今から走るから!またあとで!』と言って勇太くんは電話を切った。
通話画面の消えた携帯の明かりに照らされながら、わたしは少しだけ迷った。
このまま一人で一回イってしまっても良かろうか、それとも勇太くんが来るまで待っておいた方が良かろうか。
けれど答えの出ぬままに、指先は勝手に動きを始めたので、わたしは背中を伝う汗などすっかり忘れて、指先の期待に没頭した。
***
軽く浴びたシャワーから出たわたしは、洗濯機の上に置いた携帯のメッセージに返信した。
“もうすぐ着く。コンビニで何か買って来るものある?”
“特にないよー。気をつけておいで”
そしてパンツを履き、勇太くんはノーブラが好きなのでナイトブラは着けずにキャミソールだけを着て、身体に不備はないか鏡でしばし確認していると、インターホンが鳴ったのでエントランスのオートロックを外して玄関の前で勇太くんを待った。
「よっ!」と言って扉を閉めた勇太くんはワイシャツのスーツ姿で、軽く息を切らせていたのでわたしは少し笑って言った。
「なんでゼエゼエ言ってんの?」
「いや、だって…駅から走って来た」
自分に会うためにこの暑い中走って来た勇太くんのことを思うと、そのまま抱きしめてエッチを始めたい気持ちに駆られたが、もしも引かれでもしたらヘコむので、「もー」と言って勇太くんの手を取って部屋の中に連れて行くだけにした。
部屋に入ると勇太くんは言った。
「なんか、暑くない?クーラーは?」
「あ。…フィルターの掃除してなくて」
中途半端に真面目なわたしは、”フィルターの掃除をしなければクーラーをつけてはならない”という自分ルールがあった。
けれど中途半端な真面目さだから、フィルターの掃除をするのが面倒で、なかなかクーラーをつけられないでいた。
それを聞いた勇太くんは言った。
「まじで?」
「…うん。…あ、けど、やっぱつける、ごめん」
「いやいいよ。そういうことなら」
「いや、いい、いい、ごめん。明日フィルターの掃除します」
「別にフィルターにそんなにこだわらなくてもいいのに」
小さく笑った勇太くんは、クーラーの送風口から送られる冷風を頭から浴びて気持ち良さそうな声を出した。
なのでわたしも横に並んで冷風を浴びると、やっぱり気持ち良い声が出た。
しばし二人で冷風を浴びていると、ブルリと身体を震わせた勇太くんが、笑顔でわたしの顔を見た。
その笑顔につられたわたしも勇太くんを見返すと、勇太くんがおでこに一つキスをしてくれたので、照れたわたしは勇太くんの手を握って言った。
「ごめんね。せっかくお風呂入ったのに来てくれて」
「なんで謝るんだよ。俺が来たいから来たのに」
ふと気付けば、ポツリポツリと汗染みたワイシャツに勇太くんの素肌が透けているのが見えた。
わたしは言った。
「中にシャツ着てないと?」
「ああ。慌てて来たから忘れてきた」
「…もー」と言いながら勇太くんを正面に向かせたわたしは、ワイシャツのボタンを外しながら言葉を続けた。
「早く脱いでフォブリーズしなきゃだね」
「…あぁ」
第2ボタンを外して、第3ボタンを外して、わたしは気が付いたことを言った。
「ふふん。乳首透けてる」
第4ボタンを外して、ズボンからシャツを抜いたら勇太くんが応えた。
「美咲ちゃんも…。…ブラジャーしてないの?」
コクリとうなずいたわたしが第5ボタンを外すと、勇太くんの両腕が伸びて来て、その指先がわたしの二つの先っぽを摘んだ。
思わず「んんっ」と声を鳴らしたわたしが第6ボタンを外していると、勇太くんは言った。
「乳首…もう立ってる」
先っぽに感じる甘い刺激に少しずつ吐息が深まり始めたわたしが最後のボタンを
外すと、やんわりと浮き出た勇太くんの腹筋が見えた。
なので思わずその凹凸に触れたわたしが、その形を確かめるように素肌に指先を滑らせると、ささやかに盛り上がった勇太くんの胸の先端に硬い屹立を感じたので、わたしも言った。
「勇太くんも…立ってんじゃん」
勇太くんがわたしにするように、わたしも勇太くんの先っぽに指先を這わせていると、次第に勇太くんの腹筋が呼吸に合わせて上下し始め、それを見ていると不意に、強い力で全身を抱きしめられて、くちびるを塞がれた。
唐突に注がれる灼熱の甘美に窒息しそうになって喘いだわたしの頭には、かすかにワイシャツのシワの心配が残っていた。
しかしそんなことお構いなしに性欲を表す勇太くんの素直さを見たわたしは、強引に勇太くんのワイシャツを剥ぎ取って、かぶりつくように素直に、勇太くんに欲望をぶつけることにした。
***
まぶしさにまぶたを開くと、着衣の残骸の上でパンツを履こうとよろめく勇太くんのスリムなおしりが見えた。
目覚めていきなりの可愛さをぼんやりと眺めていると、勇太くんが突然振り向いたのでわたしはサッと目を逸らして何でもないところを見つめた。
勇太くんは言った。
「おはよう」
「…おはよう」
ふふん、と笑った勇太くんがテキパキとズボンを履く姿を眺めながらわたしは呟いた。
「えらいね」
「うん?なにが?」
「仕事、ちゃんと行くんだね」
「ふふん。そりゃ仕事だからね」
残骸にワイシャツを探している勇太くんを見ながらわたしは言った。
「…わたしもちゃんとしなきゃなあ…」
「うん?ちゃんとしてるじゃん、美咲ちゃん」
心の中で冷ややかに自嘲したわたしは呟いた。
「…全然だよ」
鼻から深く息を吐いて、ごろりと天井を見上げると、ベッドサイドに腰掛けた勇太くんが、そっとおでこに一つキスをしてくれた。
そんな勇太くんの優しい微笑みを見ていると、わたしもそれにつられてやんわりと笑顔がこぼれた。
ゆっくりと頭を撫で続けてくれた勇太くんが、立ち上がってワイシャツのボタンを留めようとしたので、何かを勇太くんにしてあげたくなったわたしはベッドから起きたまま勇太くんの正面に立って、第2ボタンに手をかけ留めた。
フローリングに落ちた朝日はまぶしくて、手元はあんまり見えなかった。
けれど、ありがとね、仕事がんばってね、と温かな気持ちを込めて第3ボタンから第4ボタンを留めていると、不意に勇太くんの声が降って来た。
「美咲ちゃんさ」
「うん?」
「まだ…彼氏とかはいらないの?」
「…」
合コンで知り合って3回目の晩に一夜を共に過ごしたあと、真面目な勇太くんはわたしに『付き合おう』と言ってくれた。
けれど中途半端に真面目なわたしは”交際するならちゃんと素敵な彼女でいなければならない”と思うので、それが面倒で、中途半端に言葉を濁してこの関係を始めた。
ダメだとはわかっていても責任感のない関係はとても心地良く、そんな堕落したわたしには中途半端な関係を持っている人が勇太くんの他にも数名いる。
そして勇太くんは、それに何となく気が付いている。
「…そうだね。まだ彼氏とか、そういうのはいいかな」
「…。そっか」
「うん」
少しの沈黙のあと、気持ちを切り替えるように大きく吸った息を吐き出した勇太くんは、全裸でシャツのボタンを留めるわたしの姿を遠慮なく見つめると、ふと両手でわたしのおっぱいを下から持ち上げて言った。
「てか本当にでっかいおっぱいしてるよなー」
「…。ふふん、そうでしょ」
「まあ俺は、美咲ちゃんがおっぱい大きくなくても可愛いと思うけどなー。俺は」
「…。ふふん?なにそれ」
第5、第6とボタンを留め、最後のボタンを留めてしまっても勇太くんはおっぱいから手を離さなかった。
知らんぷりをした罪悪感に浸って勇太くんのされるがままになっていると、その手つきは次第にいやらしく嗜虐的になっていき、いつの間にかスイッチの入ったわたしは熱い吐息を勇太くんのワイシャツの胸に漏らしていた。
しかし勇太くんもまた少しずつ吐息を熱くしていることに気が付いたわたしは、ハッとして勇太くんの胸を押し、その指先から離れた。
そして勇太くんに言った。
「今からはダメ。遅刻するでしょ、勇太くん」
お互いの身体が繋がりたがっていることは明白だった。
けれどここでお互いに性欲に流されてしまうと二人の関係が終わってしまうことも明白だった。
わたしは勇太くんの望む関係を結べないくせに、自分の望む関係だけは維持しようとしているクズな女なのである。
少しの沈黙のあと大きく息をついた勇太くんは、わたしをリードするように言ってくれた。
「じゃあさ」
「…うん」
「俺が帰って来るまで待っててよ」
「え?」
「今日、何も予定ないんだよね?」
「うん」
「だったらさ、俺、絶対定時に仕事終わらせて戻って来るから、それまで俺のこと待っててよ」
「…」
「…それもダメ?」
「…」
「…」
「…それならいいけど」
そうわたしが呟くと、勇太くんは「よし!」と言ってキラキラした顔で笑って、チャカチャカと身支度を整えた。
そしてとりあえずキャミソールとパンツだけを身に付けたわたしが勇太くんを玄関まで送ろうとすると、勇太くんは「そこまででいいよ」と言って寝室の扉の前を指し、チャカチャカと靴を履いて玄関扉を開け、振り向いて言った。
「絶対早く帰って来るから!」
「…わかったよ」
「今日一日は俺だけの美咲だからな!」
判断に困る冗談を言う勇太くんに、わたしは苦笑いで返事をすると勇太くんは続けた。
「せいぜいフィルターの掃除でもして待っていやがれ!」
そう言い残した勇太くんはキラキラした目で扉を閉めて、足音も早々に仕事へと向かった。
突然静かになった室内に残されたわたしは、ひとまずうんと伸びをして今日の予定を考えた。
どうせいつかはやらなきゃいけないことだし、本当にフィルターの掃除でもするか。